仕事ができるとはどういうことか?_山口周 楠木健 はじめに  「この人じゃないとダメだ」       と思わせる、それが「仕事       ができる人」です                 楠木建  仕事ができる人はなぜ稀少なのか。このシンプル な問いが本書の起点であり基点です。  仕事ができるようになりたい。そのための能力を つけたい。意欲のある人であれば、おそらく全員が そう思うでしょう。需要のあるところには供給が生 まれます。人々の需要に対応して、仕事ができるよ うになるための技法を説く指南書が次から次へと世 に送り出されます。ビジネス書の大半がこの種の本 だと言ってもよいでしょう。  にもかかわらず、現実に仕事ができる人は依然と して少ない。試みにみなさんの周囲を見回してみて ください。「ああ、この人は確かに仕事ができる な……」と思わせる人はそういないと思います。こ れはどういうことでしょうか。  言うまでもなく、この問いは「仕事ができる」の 意味に依存しています。世の中に流暢な英語を話せ る人はたくさんいます。プログラミングができる人 もたくさんいます。会計やファイナンスの知識を持 ち、統計分析ソフトを使いこなして高度な財務分析 ができる人も少なくありません。しかし、こういう のは仕事全体をいくつかの機能に分解したところに 出てくる「スキル」です。ここで言う「仕事ができ る」は「スキルがある」とは似て非なるものです。  まずは、仕事とは何かをはっきりさせる必要があ ります。「仕事」とは「趣味」ではないもの。これ が僕の定義です。趣味は自分に向けて自分のために やることです。自分が楽しければそれでいい。これ に対して、仕事は「自分以外の誰かのためにやるこ と」です。漁師は仕事ですが、釣りは趣味。お客の 役に立ってこその仕事です。お客とは組織外部の顧 客だけとは限りません。組織の中にもその人の仕事 を必要としている大−上司や部下や横で働いてい る人々−がいます。彼らに価値を与えられて初め て「仕事」になるのです。  あっさり言えば「成果を出せる」。これが「仕事 ができる」ということです。広い意味でのお客の立 場で「頼りになる」「安心して任せられる」「この人 ならなんとかしてくれる」、もっと言えば「この人 じゃないとダメだ」、そう思わせる人が僕の言う 「仕事ができる人」です。  この意味での仕事能力は、「あれができる・これ ができる」というスキルを超えています。それを総 称して、「センス」と呼んでいます。外国語を駆使 しても、肝心の成果を出せない人がいます。プログ ラミングのスキルがあるのに、まるで役に立だない 人がいます。さまざまな戦略分析のフレームワーク に精通しているのに、戦略を描けない人がいます。 みなさんも思い当たる人がいるのではないでしょう か。こういう人は「作業」は得意でも「仕事」がで きない。スキル以前にセンスがないのです。  スキルを伝授しようという本は無数にありますが、 センスの問題に正面から向き合った本は少ないのが 現状です。理由ははっきりしています。スキルであ ればそれを開発する定型的な方法、すなわち「教科 書」があります。この意味で、スキルは育てられま すが、センスは直接的には育てられません。センス についてはスキルのような標準的な教科書が成立し ないのです。  ほぼすべての人がセンスの重要性に薄々は気づい ています。しかし、正面から論じようとはしない。 本文中でも話しているように、古い比喩で恐縮です が、センスというのは「月光仮面をかぶった寅さ ん」のようなものだからです。月光仮面は「どこの 誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」。 で、マスクを取ると、中から寅さんが出てくる。 「それを言っちやあ、おしまいよ……」という成り 行きです。センスと言ったとたんに、話がそこで終 わってしまう。裏を返せば、だからこそ「仕事がで きる人」はいつも稀少な存在なのです。それだけ価 値があるということでもあります。  本書のタイトルは『「仕事ができる」とはどうい うことか?』です。「どうしたら仕事ができるよう になるか」ではありません。HOWの話はほとんど していません。議論の対象の性質からして、そうい う話はできないのです。どうやっても中途半端に なってしまいます。  その代わり、仕事ができるとはどういう「こと」、 すなわち、WHATについては、さまざまな実例や エピソードを交えてたっぷりと語っています。「仕 事ができないとはどういうことか」という逆側から も突っ込んだ話をしています。  WHATを特定すれば、WHYについての理解も また深まります。なぜセンスなのか。なぜスキルや 分析だけではそのうち限界に直面するのか。にもか かわらず、なぜ仕事の文脈ではスキルが優先して、 センスが劣後するのか。何かセンスを殺すのか。こ うした論点についても多様な切り囗や角度から考察 しています。  WHATとWHYに加えて、WHOも重要な論点 です。われわれが見たり聞いたり一緒に仕事をした 経営者やリーダーを主たる題材にして、「仕事がで きる人とは、どういう人なのか」についても語って います。WHOを知ることは、「仕事ができる」の 正体に接近するうえで大いに役立つからです。  繰り返しますが、センスは直接的には育てられま せん。だからと言って、生得的な「天賦の才」では 決してありません。育てられないけれども、育ちま す。他動詞ではなく、自動詞の「育つ」です。セン スは自ら錬成するものです。  そのためには、まずもってセンスとは何で、何で はないかを知らなければなりません。仕事能力の中 核にあるセンスの輪郭をつかめなければ、その錬成 にも取り組めません。本書のタイトルを『「仕事が できる」とはどういうことか?』とした次第です。  対話を通じてこうした論点を明らかにするうえで、 山口周さんは僕にとって理想的、まさに願ったり 叶ったりのパートナーです。その著書を通じて山口 周さんを知り、「自分と同じようなことをずっと考 え続けてきた人がいる!・」とうれしくなりました。 この本をつくる過程で、山口周さんから多くのこと を学びました。深く感謝致します。また、こうした 機会を与えてくださった宝島社の宮川亨さんにお礼 を申し上げます。ありがとうございました。  本書をつくり終えた今でも、「仕事ができるよう になるにはどうしたらいいのか」という問いに対し て、僕は確たる答えを持ち合わせていません。それ ぞれに自分のセンスを見極め、時間をかけて磨いて いくしかありません。それでも、山口周さんとの対 話のおかげで、「仕事ができるとはどういうことか」 が前よりもはっきりと見えるようになりました。そ して、このセンスの錬成こそがキャリア構築の醍醐 味だということを再確認しました。  スキルの「お勉強」に明け暮れがちな人々が多い 昨今、いま一度「仕事ができるとはどういうこと か」をはっきりさせておくのは、意味があることだ と思います。本書が読者の「仕事」の一助となるこ とを願っています。 「仕事ができる」とはどういうことか?  目次  第1章 スキル優先、センス劣       後の理由  アート派、センス派は”ビルの谷間のラーメン J  「役に立つ」はスキル、「意味がある」はセン ー ス 問自は角決すればするほど「量」から「質」に シフトする  「論理」は常に「直 」を必要とする センスの劣後と日本人の「因果応報」世界  ”直 主義”小林秀雄は批判され、”努力の人” 矢吹丈は愛された 弱い人ほど「法則」を求める 「1き嫌い」の問自を「良し悪し」へ強制翻訳 センスにも「序列」をつけたがる日本人  「アスリート型 ジネス」と「アート型 ジネ ー ス」 日本でアスリート型 ジネスが優位だった理由 男のマウンティンクは「スキル」に収aする 人事における「コン テンシー」という 念の 闥劃 − 第2章「仕事ができる」とはど     ういうことか7・ 労働市場で平均点にお金を払う人はいない 「やってみないとわからない」センスの事後性 勝間和代がブームになった理由 400メートル(Iドルー為末大に見る「身の 置き場所」問題 ユニクロー柳井正が己の才能に気づいた瞬間  「AC/DC」に見るセンスの不可逆性 センスがない人が出世する1、の不幸 すぐに「分木‥」する人は仕事ができない J  「担当者」と「経営者」の仕事のtい 小林一三とチャーチルのセンス どこで 負するかという「土俵感」    囗のす」みは、やることの「順序」に表れる 原田泳幸の”アートな”マクドナルド立て直し − 第3章何がセンスを殺すのか ビジネスパーソンの「エネルギー保存の法則」 「横串おじさん」と位置エネルギーの”魔力” センスのある人の「仕事は仕事」という割り切 − エリートはなぜ「階層上昇ゲーム」が好きなの I か  「ピンクしてから抱きしめる」と「抱きしめて から ンタする」の大きなtい センスある経営者は「『それでだ』おじさん」  「゛゜自のストーリー」があるから同じものが 迦−冫剣刔刔  「これからはサ スクだI・」が見落としている I もの 元―”センス派”力−ルーワイクの究極セッ ー ション 最句 ジネスワードという”飛び道具”の誘惑  「インサイドーアウト」か「アウトサイドーイ − ン」か 「ネットブリッグス」強さの淵源 環境や状況に原因を求める「気象予報士」ビジ ネスパーソン 「誰か を止めてくれ」究極のインサイドーア ー ウト アムンセンとスコットの違い I 第4章センスを磨く センスの怖さはフィードバックがかからない点 島田紳助の「芸人は努力するな」の意味   センスとは後天的に習得するもの ジャハニーズーロストアート 日本電産・永守重信の人心掌握力 センスメイキン とは「人間洞察」 アークでは見えない人間の「矛盾」   センスとは「具体と抽象の往復`動」  「根本的矛盾」を直視する  「抽象的思考」は難しいけど面白い 抽象的な理角ほど実用的で実 的なものはない どうやって自分の土俵を見極めるか 仕事ができる大は自分の「意志」が先にくる 仕事ができない人の「過剰在庫」      おわりに    スキル優先、 I  センス劣後の    理由       アート派、センス派は       ”ビルの谷間のラーメン屋” 楠木 仕事ができるようになりたい。能力をつけな   ければいけない。で、スキルの習得に血道をあ   げる。この手の努力が、かえって仕事における   限界をつくってしまう。こういう皮肉な成り行   きがあるんじやないか、と常々思っているんで   す。その背景には、山口さんの言葉だと、「サ イェンス」と「アート」の相克がある。僕もほ とんど同じことを考えていて、僕の言葉で言う と「スキル」対「センス」ということになりま す。  図式的に言えば、「センス」とか「美意識」 とか「直観」というのが右側にあるとすると、 左側に「スキル」とか「サイエンス」とか「分 析」の世界がある。比喩的に言えば、右脳対左 脳ということですね。そう言うとすぐに「いや、 右脳対左脳という通俗的な機能分担は現代の脳 科学では否定されていて……」とお叱りを受け たりするのですが、こういう人こそ左脳が強す ぎる(笑)。いずれにせよ、この対比で考えると 仕事におけるいろんな誤解や矛盾みたいなもの が解けて、本当に仕事ができるとはどういうこ とか見えてくると思っています。  面白いのは、世間的には、とくに仕事の文脈 ではサイエンスとかスキルが優先してセンスと かアートとか美意識とかいうのは劣後するとい う傾向があります。それは理由があることです が、結局のところ山口さんとか僕とか、ほかに こういうことを言っている人で言えば内田和成 さん(早稲田人学商学学術院教授)とか、そういう センス系の主張は常に少数派なんですね。  山口さんのご本(『世界のエリートはなぜ「美意識」 を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエン ス」』光文社新書)を僕は比較的早くに読んでいて、 お目にかかる前から同じ少数派ということで勝 手に親近感を抱いていました。われわれの立ち 位置は人気がないんですよね。一方に、「要す るに人間力だ」という、一足飛びな話をする 人々のI群が昔からいて、これは一定の多数派 を常に形成している。でも僕はこっちの「人間 力派」とも気が合わないんですね。人間力と 言ってしまうと話があまりに茫漠としてくる。  それが何なのかを突き詰めて考えるとき、そ れが「何ではないか」をまず考えてみるという のが僕の思考のクセなんですが、人間力という 話はそれが「何ではないか」が議論しにくいん ですね。「アート対サイエンス」「センス対スキ ル」という枠組みで考えたほうが、議論の解像 度が上がると思います。  いずれにしろ、「アート派・センス派」とい うのは、いつの時代も「サイエンス派・スキル 派」と「人間力派」という二大派閥に挟まれた 。ビルの谷間のラーメン屋”のような存在。東 西両正面から攻め込まれるドイツ第三帝国とい うか。 派 数 い   人間力派 代 時 {  万 は      センス派          E` ス ン セ       サイエンス派 派 ト     スキル派 } ア 山口 いや、僕も楠木さんのご本、とても共感して   読ませていただきました。ここ20年ほどの間、   「論理を極めれば強いビジネスができる」とい   う考えが支配的になっていたなかで、楠木さん   の『ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略   の条件』(東洋経済新報社)が「本当にそうだろう   か?」という大きな問いを投げかけた。私の   「美意識」に関する本も同じ問題意識に根ざし   ています。 楠木 山口さんが言う「サイエンス対アート」とほ   ぼ同じような意味で、僕の場合は「スキル対セ ンス」という言葉を使っていると言いましたけ ど、そもそもなぜ「センス」が「スキル」に劣 後するのか、これを考えると両者の相違がはっ きりすると思います。  一言で言ってしまうと、山口さんもご本の中 でおっしゃっているように、アートとかセンス にはアカウンタビリティがないんですね。例え ば国語、算数、理科、社会。こういうのは「ス キル」です。「できる・できない」という話。 あるいは英語をしゃべることができるとか、プ レゼンテーションや交渉力とか、ファイナンス の能力とか、法務の知識とか、スキルは他者に 容易に示せるんですね。英語で言えば外国人の 前で流暢な英語をしやべってみせるとか、弁護 上とか会計上の資格を持っているとか。  これに対して、センスというのは一例で言う と「女性にモテる」。特定の尺度では測れない し、すぐにモテるという状況を見せられるわけ でもない。さまざまな要囚の総体というか綜合 として「モテる」能力があるわけです。  清潔にすればモテるとか、顔がよければモテ るとか、特定少数の説明変数を持ってくるのが 難しい。清潔でルックスもいいのにたいしてモ テない人もいれば、見た目はパツとしないのに とにかくモテる人もいる。「清潔感がある人が 好き」という人は多いですが、これにしても物 理的に清潔かどうかとはちょっと違う話で、実 際は清潔にしているのにまるで清潔感のない人 もいる。 「清潔にしろ!・」というのであれば、話は簡単 です。朝起きたらシャワーを浴びるとか、歯を よく磨くとか、爪を切り揃えるとか、鼻毛を 切っておくとか、すぐにいくつものアクション   が思いつく。それを実行すれば清潔になれる。   これはスキルの範疇です。清潔スキル。ところ   が、「清潔感を持て!・」と言われても困つてし   まう。何をどうしたらよいのかが判然としない。 山口 「爪を切れ」というアドバイスと「清潔な印   象を与えろ」というアドバイスでは具体性のレ   ベルが全然違いますからね。しかし、では「爪   を切れば清潔な印象を与えられるか」というと   必ずしもそうではない。 楠木 わかりやすい例として「明らかにプレゼン   テーションのスキルがあるにもかかわらず、話 がものすごくつまらない人」がいる。それとは 逆に「プレゼンテーションの構成や方法は出鱈 目なのに話に大いに引き込まれる人」もいる。 これは僕たちがセンスとかアートと言っている ものに大きくかかわっていると思います。  アカウンタビリティー示せる・測れるI はスキルの絶対の美点です。「TOEIC 950点」とか、「プログラミングができます よ」と言ってチャカチャカやれば「おお、でき るなあ」とすぐわかる。職務経歴書にも書ける。 職務経歴書に書けるかどうか。端的に言って、   これがスキルとセンスの違いですね。 山口 なるほど、スキルはエビデンスとして言語   化・数値化して示すことができるということで   すね。一方でセンスのエビデンスは言語化・数   値化か難しい。確かに「僕にはセンスがありま   す」なんて言う人のセンスこそまったく信用で   きないですね。 楠木 信用できない(笑)。「私は商売センスがあり   まして」−僕もちょっとうさん臭いなと思う。   そういうことは経歴書には書かない。ヘンに思   われるから。  それに加えて、スキルには習得の方法が用意 されている。スキルを開発するための標準的な 教科書や教育プログラムが用意されている。し かもそういう方法は常に市場での競争に哂され ているから、次から次へ「よい方法」が出てく る。その分野で定評がある方法が確立している から「こうやったらできるようになる」という 道筋が事前に見える。要するに、スキルは人々 をそそるんですね。  これがセンスやアートとなると「じやあ、ど うすればいいんだ」という話になる。センスを 身につけるための「定型的・標準的な方法」は ないわけで。  よく読まれている本に「ロジカルーシンキン グ」をテーマにしたものがありますが、あれは 思考とその構成についてのスキルです。最近よ く言われるデザイン思考とかもそうなんですけ れど、ああいうのもスキルとしてパッケージさ れている。実際に素晴らしい教科書がたくさん あります。長く読み継がれている教科書であれ ば、まず間違いない。例えば、照屋華子・岡田 恵子両氏の『ロジカルーシンキング 論理的な   思考と構成のスキル』(東洋経済新報社)は非常に   優れた教科書です。優れた教科書や方法を選ん   でそのとおりにやったら、必ず前よりもロジカ   ルにシンキングできる。だからスキルには安心   感がある。それに対して「センスだよ」と言っ   たとたんに人々は不安になりますね。 山ロ スキルと違って「定型的・標準的な方法」が   ありませんからね。 楠木 スキルであれば、正しい方法の選択と努力、   時間の継続的投入がカギです。ここさえ間違え   なければ、間違いなく前より「できる」ように なる。あるところまでは、やればやるほどTO EICの点数は上がるんです。そうすると、そ れがますますインセンティブやモチベーション になる。  その一方でセンスが厄介なのは、ない人が頑 張るとますますヘンなことになってしまうんで すね。要するに努力と得られる成果の囚果関係 がきわめて不明確なんです。洋服のセンスのな い人が30万円握りしめておしゃれなセレクト ショップに行くと、だいたいひどいことになっ て出てくる。       ビジネスとは問題解決 山ロ スキルがここまでもてはやされてきたのは、   「時代の要請」という側面があったと思います。   端的に言えば「スキルが金になった」というこ   とです。それは「役に立つ」ということが価値   になったからですね。ところが昨今では「役に   立つ」ということがそもそも求められなくなっ   てきている。「役に立つこと」から「意味があ   ること」に価値の源泉がシフトしていると思う んです。「役に立つ・役に立だない」「意味があ る・意味がない」という二つの軸を組み合わせ て世の中で売られているサービスや商品を整理 してみると面白いことがわかります。「役に立 つモノ」よりも「意味があるモノ」のほうが高 い値段で売られているんですね。  例えば自動車の世界では、日本車のほとんど は「役に立つけど意味がない」に整理されます。 人も荷物もちやんと積めて静かで快適で燃費も よいIつまり移動手段としてはもちろん「役 に立つ」わけですが、一方で、そのクルマがあ ることで人生の豊かさや充実感が得られるとい うような「意味的価値」はありません。「ア コードのない人生なんて考えられない」とか 「プリメーラのハンドルを握っていると人生の 手応えを感じる」という入ってあんまりいない わけです。一方で、例えばポルシェやBMWと いった自動車は「役に立つうえに意味もある」 ということになります。価格で言うと標準的な 日本車の3〜5倍くらいの価格で飛ぶように売 れているわけですが、では3〜5倍も役に立つ のかというとそんなことはない。「役に立つ」   という点で日本車と高級外車を比較してもほと   んど差はないわけです。じやあ何にそれだけの   プレミアムを払っているのかというと「意味的   価値」なんですね。 楠木 世の中では移動手段としてほとんど役に立だ   ない自動車も売れていますね。 山口 そうなんです。さらに上をゆくのが「役に立   たない、意味しかない」という自動車で、例え   ばランボルギーニやフェラーリなどがその典型   ですね。車体は巨大なのに人間は2人しか乗れ   ず、荷物はほとんど積めない。悪路が走れない のは当然のことで、車高が極端に低いので段差 のあるガソリンスタンドにも入れない。つまり 「移動手段として役に立つ」という点から評価 すればまったく評価できない、単に爆音を出し て突進するだけのシロモノなんですが、数千万 円の対価を支払っても欲しがる人が列をなして いるわけで、これは「意味的価値」にお金を支 払っているということになります。  この「役に立つこと」から「意味があるこ と」に価値の源泉がシフトしているというのは、 いろんなところで見られる現象で、例えば昨今 では家を新築する際に薪ストーブを入れたがる 人が増えていますけど、これも同じですよね。 エアコンというきわめて効率的に部屋を暖めて くれる器具が備わっているにもかかわらず、あ えて不便な薪ストーブを高いお金を払って入れ ようとする、というのも「役に立つ」から「意 味がある」へのシフトとして整理できます。  類  分       二 しここ 六万 心い シニ  一乱 い マ     ーy ’Iか 界味 業意 車F  車      い 勳と  本      か 自大 日    い  立  に  役  役に立つ 役に立だない  F       「役に立つ」はスキル、       「意味がある」はセンス 山口 ちょっと大げさな表現をすれば、これは「近   代の終焉」ということだと思うんです。「役に   立つ」「便利にする」というのは、ここ200   年くらいの間は必ず価値を生んだんですが、最   近になって機能や利便性を高めても売れないと   いう状況がいろんなところで発生しています。   これは日本にとって非常に大きな話です。とい   うのも、日本企業の多くは「役に立つ」ことで   世の中に価値を生み出してきましたから。 楠木 トヨタやホンダ、パナソニックやヤマハと   いった昭和時代に確立したナショナルブランド   はことごとく「役に立つ」。 山口 そうなんですよ。日本企業でいち早く世界進   出に成功した企業の多くは「役に立つ」という   便益を提供することで成功しているんです。一   方で「意味がある」という便益で世界進出に成   功した企業となるとそんなにないんですね。す   ぐに思い浮かぶのは、川久保玲さんのコムー   デーギヤルソンや、ヨウジーヤマモトといった   ファッションブランドです。 楠木 ヨウジーヤマモトの服は普段着としては必ず   しも機能的ではありません。僕は女性がヨウジ   の服を着ているのは大好きです。日本の女性を   もっとも美しく見せる服ではないかと思ってい   ますが、ユニクロで売っている服の10倍の値段   で売られています。 山口 欲しがる人にとっては「意味がある」という   ことですよね。僕が問題だと思うのは、ああい うデザイナーの輩出が1980年代以降はパッ タリと止まってしまったということです。通常 は社会の文明的側面が一定の水準を超えると文 化的側面での価値創出へとシフトするんですけ ど、日本ではその流れはバブル崩壊の冷水で出 端を挫かれてしまうんですね。その結果、相変 わらず「役に立つ」という軸での価値創出から シフトできないでいるんですが、「役に立つ」 ということを追求していると、そのうち逆に 「役に立だない」ものを生み出すことになりま す。典型的な例が家電製品のリモコンですね。   うちのテレビのリモコン、ボタンが65個付いて   いるんですよ。普段使うボタンは4つなので残   りの61個はそれこそ「役に立だない」んですね。   どうしてこういうことになっちやうのかという   と、「役に立つ」という軸から離れられないか   らです。なぜ離れられないのかというと、「役   に立つ」はスキルとサイェンスでなんとかなる   けど「意味がある」はセンスとアートが必要に   なるからです。 楠木 今の山口さんのお話で僕が思つだのは、まず、   今までは「問題の量」が「解決策の量」を大き く上回っていた。それが、だんだん解決策のほ うが過剰になってしまうという量的な問題。も うひとつは、昔あった問題というのは今そこに ある誰が見ても同じ、明らかな問題だったとい うこと。「暑い」とか、「食べ物が腐った」とか。 ところが、「意味」が問題になると、人によっ て違う。「意味があるのか、ないのか」という 問題になると、これは人によって違うというこ とが出てくるわけです。これは質的な問題です ね。       問題は解決すればするほど       「量」から「質」にシフトす       る 楠木 グローバルで成功を収めた日本の会社という   か、特定の商品と言ったほうが正確ですが、ホ   ンダのスーパーカブ。これは化け物のような工   業製品です。最近、ある本を読んで「へえ〜」   と思ったんですけど、スーパーカブがこれまで   に世界でつくられたモビリティ商品のなかで、 もっとも累積で売れているんですね。世界生産 台数が1億台を超えている。しかも、現役の商 品として今でも日々記録を更新し続けている。  何かすごいのかというと、日本で売っている スーパーカブは1957年の最初のモデルと基 本的に同じ技術や構造をそのまま維持している ということです。これは掛け値なしに偉業だと 思うんですね。スーパーカブはものすごく「役 に立つ」ものだったんですけれども、それが本 質みたいなものをがっちり捉えすぎちやってい て、「もっと役に立つ」の方向に行くというよ りも、結果的にそれとは別系統の何かしらの 「意味」を持つところまでいった。  そういう日本発のケースというのはほかにも あって、僕が手伝っている会社で言うとファー ストリテイリングのユニクロ事業はそこを目指 していると思うんですよね。大衆に向けたマ ス・プロダクションだけれども、「用の美」と いうか、役に立つを突き詰めていった先に美意 識が出てくる。独自の意味を持つようになる。 これは日本発のイノペーションのひとつのモデ ルだと思います。ところが、多くの会社は先ほ   どのリモコンの例にもあるように、効用がどん   どん小さくなるにもかかわらず、余計な機能を   使う、加えるという形で「役に立つ」の方向へ   無理していってしまう。 山ロ スーパーカブが面白いのは、スーパーカブを   製造して提供する企業側ではなく、その製品を   受け止める市場側か意味をつくっていった、と   いうところにあると思うんです。もともとホン   ダはハーレーダビッドソンのようなビッグバイ   クでアメリカ市場に進出しようとしたけれども、   なかなかうまくいかなかった。そんなときに スーパーカブを営業の移動用に使っているホン ダの社員を見た販売店員に、「むしろあっちの ほうが欲しいんだけど」と言われて売り出した ら、それまでの「ヘルズーエンジェルスのよう な無頼漢たちの乗り物」というバイクの凶悪な イメージが、善良でナイスな人たちによって 「健全ですごく便利な乗り物」というイメージ に変わっていった。市場の中でユーザー側か勝 手にスーパーカブのイメージをつくっていった というところがありました。ビッグバイクとい うのは移動手段のツールというよりも情緒的な   ツールで、そういう意味では「役に立つ」より   「意味がある」ものですね。それを売ろうとし   て結局はうまくいかなかったところ、移動手段   としてきわめて便利で「役に立つ」スーパーカ   ブが売れたところ、市場の中で「善良でナイス   な人たちの乗り物」という意味まで生まれてし   まっだ。 楠木 商売というのは本質的に問題解決ですね。こ   れまでにもありとあらゆる人たちがありとあら   ゆる問題を解決してきた。だとすると「この線   でいくと大方の問題が解決されて、消費という   のは大きく抑制されて、商業活動も抑制されて、   純粋消費財しか売れなくなるんじやないか」と   いう仮説を持った人がいるんですね。(ジョンー   メイナード)ケインズあたりも、ちょっとそうし   た面があった。100年ぐらい前にあった議論   ですけど。 山ロ ケインズの「生産性がこのまま上昇し続けれ   ば、一日に3時間だけ働けばいい社会がくる」   という予言のことですね。 楠木 要するに「純粋消費財」の商売だけが残ると   いう話。米、味噌、醤油とか。あとは何かが壊 れたから買い直すとか。  僕が前によく考えた問題のひとつに「なぜい つまでだっても商売には終わりがないのか」と いうのがあります。イメージとして、今ある空 間にさまざまなニーズ、すなわち「解決される べき問題」が広かっているとする。企業は特定 のニーズに対応して問題解決、つまりは商品や サービスを提供する。そうすると問題が解決さ れる。こうして一つひとつの問題が解決されて いけば、ぬり絵が完成するように、すべての問 題が解決され、挙句の果てには問題解決として の商売もネタが尽きるように思える。ところが 現実にはいまだに「お客様のニーズに対応し て……」といろんなものが出てくる。商売に終 わりはないんですね。  これはどういうことか。論理的に言って理由 はひとつしかない。「問題の解決それ自体が新 たな問題を生み出す」というロジックです。だ から問題解決としての商売のネタは尽きない。 パソコンが出てきていろんな問題が解決されま した。インターネットでますます解決されまし た。ところがデータがやりとりされるようにな   ると、ウイルスの問題が出てきます。だからウ   イルスを駆除するようなソフトが必要ですI   そうやって問題解決が新たな問題を生み出して   いくということなんですけど。 山口 確かにそうですね。 楠木 ポイントは、新たな問題設定というのは、か   なりセンス、アートの領域に入るということで   す。従来のスキル的な人だちから見るとすでに   「解決過剰状態」になっているんだけれども、   ある見方からだとやっぱりセンスの問題なので、   そこに解決すべき問題が見えてくる。当たり前   の話ですが、問題が定義されなければ、いつま   でたっても解決は進まない。 山口 問題を解決すると新たな問題が生まれてくる。   このとき「古い問題」と「新しい問題」では   「問題のタイプ」が変わってくると思うんです。   問題を「望ましい状況と現在の状況とのギヤッ   プ」だと定義すれば、「望ましい状態」をどの   ようなモノサシで定義するかで「問題のタイ   プ」が変わってくる。端的に言えば、問題は解   決すればするほど「量的問題」から「質的問   題」にシフトしますよね。  マズローの欲求五段階説もそういう構造に なっていますけど、生理的欲求や安全欲求など の比較的低次の欲求ほど数値化しやすく、自己 実現や承認などの高次の欲求ほど数値化しにく い。死亡率とか寿命は数値化できますけど自己 実現の度合いなんて数値化できないですからね。 そうなると数値化できない質的なモノサシで問 題を把握することが必要になるわけですけど、 これはやっぱりサイエンスではない、人文科学 的なセンスが必要になってくると思います。  量はわかりやすいですからね。ペンチマーク として「先進国のなかでわが国の乳児死亡率が いちばん高い」という話をすれば「それはまず いよね」「じやあここまで引き上げましよう」 という話になるわけで、統計の基礎的な知識や スキルがあればよくてセンスは必要ありません。 一方で量で把握できない問題を問題として捉え るにはセンスが必要になりますね。「日本の町 並みは美しくないから広告看板を規制すべき だ」という話になっても、「美しくない」とい うことを数値化できないわけで、なかなか収束 しません。       「論理」は       常に「直観」を必要とする 楠木 よく論理と直観を対立させて考える人がいま   す。両者はそれぞれに異なった性質を持ってい   るのですが、実際に頭を使って仕事をする人か   らすれば、。論理は常に直観を必要とする”と   いうのが本当のところだと思います。つまり、   出発点においては問題を発見・設定するために   は必然的に直観が求められる。これは「論理と 直観、両方とも必要」というような単純な話で はないんです。順番の問題としてまず直観がな ければ論理というのもあり得ない。  例えば「デザインシンキング」みたいなこと を、かなり無理やりスキル化していくというか、 エンジニアリングの問題に落とし込んで手法化 していくということについて僕はやや懐疑的で す。結局、論理というのは、「Xであればある ほどYになる」というように、あるものとある ものの関係を考えるということです。ところが 世の中には無限の構成概念があるわけです。無 数の構成概念のなかからXとYという二つをな ぜ持ってきたのか。そもそも「このあたりがキ モだな」と考えるからこそですよね。この。ア タリ”をつける作業は直観です。スキルという よりもセンスの世界なんですよ。  で、それが特定されたら、その間の関係につ いての論理はサイエンスやスキルによって考え られる。そこには定型的な方法があるから、そ れはそれで習得しておくに超したことはない。 でも、やっぱり起点において直観がないと論理 はそもそも作動しない。  サイエンスの本丸にいる科学者で同じ指摘を している大は少なくありません。僕は小林秀雄 の『直観を磨くもの』(新潮社)という本が好き で読み込みました。稀代のセンス派論客、小林 秀雄が三木清、大岡昇平など12人の同時代人と 縦横に語り合った対談集です。その中で湯川秀 樹先生が言っています。「わからないことを探 求している。いろいろ理窟は言うているが、結 局直覚しかない。直覚力の発達した大はいちば んいい出発点をパッとつかむ」。起点はセンス にあるんですね。  先日、やはりノーベル医学生理学賞を受賞し た医学者の本庶佑先生とファーストリテイリン グ会長の柳井正さんとじっくりと鼎談する機会 に恵まれたのですが、本庶先生も同じことを おっしやっていました。「何を知りたいか」 −これがいちばん大切な問いだとおっしやる んです。まずは何を知りたいかを知らなければ ならない。ここに科学者の生命線があるのだけ れど、それは体系的に教科書で勉強しても出て こない。教科書を疑わなければならない。最新 のテクノロジーを応用すればサイエンスのフロ ンティアはどんどん広かっていくけれど、いく らテクノロジーが進歩しても「何を知りたい か」に対する答えは教えてくれない、と本庶先 生はおっしやっていました。それを受けて柳井 さんいわく、「ビジネスもまったく同じ。拠っ て立つコンセプト、商売の元をつくらなければ 何も始まらない」。要するに、起点にはスキル ではなくてセンスがあるということです。  分析と綜合という対比にしても同じようなこ とが言えると思います。ちょっと考えてみれば、 この二つは分かち難い関係にある。分析を匸一。肖   で言うと、「分ければわかる」つていう考え方   ですよね。だけど、見過ごされていることとし   て、全体をどういうふうに分けるのかっていう   問題が分析に先行してあるはずです。その分け   方というのは、あからさまにセンスが問われる   ところだと思います。 山口 まったくそうですね。ここはよく誤解されて   いる点だと思うのですが、分析にいちばん必要   なのはセンスなんですよね。なぜセンスが必要   かというと、悪さの原囚を直観的につかんでい   るからこそ、「意味のある分け方」ができるよ うになるからです。  ある繊維工場でなかなか製品の品質が安定し ないという問題があって、どこかのラインに問 題があるのか、どこかの工程に問題があるのか と分析してみたけれども、これといった原囚が はっきりしなかった。このとき、不良品の出て いる日とその日の天気の関係を調べたエンジニ アがいて、不良品は必ず大雨の日に出ているこ とを把握したんですね。この工場は繊維を洗う ための水を川から取水していたんですが、大雨 のときは川の水分中のミネラルが増えることで   問題を起こしていたんです。この分析は「繊維   の品質は天気に関係しているんじやないか」と   いう直観が先に立だなければ、やりようがあり   ませんよね。 楠木 レゴブロックみたいにあらかじめ決まった   パーツへと自動的に分けられるようにできてい   る問題は現実にはあまりない。どんな分け方を   しても必ず無理や無駄が生じることになる。そ   こで、もっとも意味のある分け方にするという   ところにその人の頭の真価が問われる。独自の   問題解決ができる大というのは、この局面でユ   ニークな分け方をする人です。    分析しかできない人は初めに「あらかじめ分   けておいてくれ」ということになる。「分けた   要素を全部机の上に載っけてくれたら、その間   の関係は論理的に考えられます」と言うのは、   実際には問題解決に必要な全作業のI割ぐらい   しかできていないと思うんですよね。 山口 やたらめったらと分析しているけれども、こ   れといった示唆や洞察が得られないという人は   たくさんいますよね。成果につながらない不毛   な作業で、僕はこれを「クソ仕事」と呼んでい ますが。問題解決における分析でいちばん大事 なのは「これが原囚じやないか」というインス ピレーションで、要するにセンスであり直観で すね。この「スジのいい直観」があれば、非常 にシンプルな分析イッパツで強烈な説得力を持 つことができる。     センスの劣後と     日本人の「因果応報」世界観 楠木 山口さんのご本を読んでいて印象的だったの   は、分析という言葉ひとつをとってみても、本   当に仕事ができる人は山の両側からトンネルを   掘っているという話がありましたよね。 山口 はい。先ほどの話にもつながるんですが、分   析というのはボトムアップですね。いろんな軸   で切ってみて、ああでもない、こうでもないと   試行錯誤しながら考える。一方で「これが原囚   じやないか?」という直観から考察をスタート   するのはトップダウンだということになります。   直観に基づいて、これをどう証明するかという   「穴掘り」と、とりあえず手元のデータをいろ   いろと分けて考えてみるという「穴掘り」、そ   の両者がつながることで原囚が鮮やかに特定さ   れる。この営みを指して「山の両側からトンネ   ルを掘る」と表現しました。 楠木 要するに、常に全体というのがあって、全体   を手に入れるための最終的な仕事の仕上がりイ   メージというのが見えていて、それに向けてこ   ういうふうに分けたらいいなということで全体   を部分に分けていく。ですから「私は綜合派」   「私は分析派」とか、「私は直観派」「私は論理   派」つていう分類自体が眉唾物です。世の中の   人々は、どちらもある人とどちらもない人、   あっさり言えば「できる人」と「できない人」   に二分されるのではないか。だから、結局のと   ころこの本のテーマ、「仕事ができるとはどう   いうことか」という問いに回帰するわけです。 山口 分析そのものはスキルでできると思うんです   けれど、それだけで分けてしまうと統合ができ   ないんですよね。山の片側から穴を掘るだけに   なるので、どこに開通するかわからない。 楠木 そうなんですよ。 山口 分析はボトムアップ、統合はトップダウン。   センスと直観で統合のイメージを描きながら、   どういう分け方をすると最後にトンネルがつな   がるかを考えるわけで、つまり分析という作業   に入る前に実は統合のイメージがあるというこ   となんです。この点においてはBCG(Boston   Consulting Group)とマッキンゼーでもかなり毛色   が違っていて、僕から見るとマッキンゼーは   「直観のイメージ」を比較的軽視する傾向があ   りますね。一方のBCGは最後の出口のイメー   ジを持ちながら分析をすることを重視します。   だからコンサルティング会社のくせに「センス   がいい」とか「悪い」という議論をすごくする   会社なんですよ。 楠木 初期の小さかった頃のBCGがよりそうだっ   たのかもしれないですね。 山口 そうですね。僕がいた頃よりもかなり規模が   大きくなりましたから、どうしても言語化でき   るスキルに頼って人材を育成するという考え方   になりますね。    楠木さんがおっしやられていたことで、スキ ルとセンスで言うとどうしてもセンスが劣後し てしまうというのは、努力が報われるというあ る種の世界観みたいなものもけっこうかかわっ ているのではないかという気がしているんです。 努力が報われるというのは公正世界仮説とも言 えるし、もっと極論すると仏教の囚果応報とい う考え方にもある。だから努力は報われるとい うふうになったときにはスキル開発という方向 に向かうという、ある種の価値連鎖というか、 価値観に基づく行動の誘発というのが何かある んじやないかなという気がちょっとしているん ですよね。  一方でキリスト教のプロテスタントが信奉す る予定説というのがあって、これは要するに神 の救済に与れる人かどうかというのは、生まれ つき決まっていて、本人が善行を積むとか悪行 を重ねるとかは全然関係ない。どんなことをし ても天国に行く人は天国に行くし、地獄に行く 人は地獄に行く。極論するとそういう考え方で、 それが教義として受け入れられちやっているわ けです。フランスの神学者で宗教改革の指導者 だったジヤンーカルヴアンの考え方なのですが、 これはもうある意味。ぶっちやけ話”ですよね。  センスが大事という言い方をすると、ある種 の道徳律を持っている人からすると、たぶんそ れは救いがないように聞こえるんだと思うんで すよね。一般的な考え方として、スキルは努力 によって高められるけれども、センスは難しい という感覚があると思うんですが、センスが劣 後してしまうのは、日本人の囚果応報という考 え方が根底にあるのかなと。       ”直観主義”小林秀雄は批判       され、       ”努力の人”矢吹丈は愛され       た 楠木 例えば、先ほども触れた文芸評論家の小林秀   雄は、同時代人から「天才主義」「直観主義」   とさんざん批判されました。どういう批判かと   いうと、フーテンの寅さんじやないですけど、 「それを言っちやあ、おしまいよ」。「努力が報 われないのならばどうしたらいいんだ」「それ を言っちやあ、おしまいじやないか」という。 それで小林秀雄は「反知性主義」と言われた。  要するに月光仮面みたいな話で、センスとい うものには「どこの誰かは知らないけれど、誰 もがみんな知っている」という面があるんです。 言われればわかるけれど、「見せてくれ」つて 言われても「これだよ」というふうになかなか 見せられない。で、仮面を剥ぐと寅さんが出て くる。「それを言っちやあ、おしまいよ」。 山口 あと僕は改めて、なぜ『あしたのショー』で   矢吹丈は負け続けるのか、ということを考える   んですね。力石徹とショー、あるいはホセーメ   ンドーサとショーを比較して、ショーが努力で   負けているわけでは決してない。最後は命を落   とすわけですからね。それほどストイックに努   力している。なのに負ける。有り体にそう描か   れているわけではないんですが、結局はセンス   がないんですね。だからあれは本当に悲劇なん   ですよ。そういう悲劇がなぜあれほど受け入れ   られたのかというと、みんな「俺たちはショー と同じだ」と思っているんじゃないでしょうか ね。結局のところ、どんなに地道にやってもセ ンス一発で頭をヒューと通り越していく奴には 勝てない。  これは『巨人の星』でもそうなんです。星飛 雄馬の大リーグボールー号って、打者が構えて いるバットに当てて、内野ゴロにして打ち取る という魔球なんですけど、なんであんな素っ頓 狂にアクロバチックなことをやり始めたのか。 ちゃんと梶原一騎の原作に書いてあるんですが、 星飛雄馬はものすごい努力の末に素晴らしいコ   ントロールを身につけるんですが、高校からプ   ロになるときにある予言を受けるんですよ。そ   れはどういう予言かというと、本質的に球が軽   い、だからプロでは通用しないという予言なん   です。 楠木 球の軽さはいかんともしがたい。 山口 果たせるかなデビューの試合で、星飛雄馬は   ホーンとホームランを打たれてしまう。確かに   球は速いしコントロールはいいけれども、プロ   のバッターからするとそれは打てない球じやな   いし、球が軽いので当たれば簡単にスタンドに   運ばれてしまうから、このままでは通用しない。   そこで驚異的なコントロールでもって、構えた   バットに当てるという戦略をとっだ。球は軽い   のでバットに当たるとホーンと内野ゴロになる。   そういうロジックなんですね。 楠木 それは知りませんでした。そんなことよく考   えたなあ。ロジック以前のセンスがイイ(笑)。 山口 『巨人の星』は『週刊少年マガジン』(講談社)   に連載されていました。当時の人気漫画って、   才能のない努力家が努力でどこまでいけるかと   いうのがテーマなんですね。そして、「天才型   対努力型」という構図なんです。 楠木 『巨人の星』で言えば花形満ですね。 山口 そうです。もう生まれつき認められていて、   家の中にバッティングの専門トレーニング施設   を置いちやうような。星一徹の家では掘っ建て   小屋の壁にボール大の穴が空いているだけです。 楠木 その穴に向かってボールを投げて、家の外に   ある木に当ててボールが戻ってくるという。 山口 要はそれもスキルなんですよ。球質は変えら   れない。でもコントロールは鍛えられる。その   囚果応報説をちょっと思い出したんですね。囚   果応報というベーシックな世界観ですよね。頑   張れば報われるという。       弱い人ほど「法則」を求める 楠木 スキルとかサイエンスというのは、常に価値   基準が外在的にはっきりしているので、すごく   いいところもあるんですけれども、それゆえの   限界もある。「個性の時代」とか「多様性の時   代」などと言いながら、一方で「スキルが大切   です」というのは、一歩引いて見ればけっこう   矛盾を含んだ話なんですよね。 山口 確かに、多様性や個性とスキルは折り合いが   悪いですよね。 楠木 なぜ折り合いが悪いかと言えば、山口さんも   おっしゃるようにスキルとかサイエンスという   ようなのは、本質的にコモディティ化していき   ますからね。誰がやっても一緒になってしまう。 山口 収斂しますよね。やっぱり。 楠木 サイエンスというのは、定義からして普遍的   再現性や一般性を目指しますね。M=∃旡とい   うのはいつどこで誰がどういう気分で自然を観 測してもM=∃旡になる。その時の気分次第 で三乗になったり、場所によっては四乗になっ たりということはありません。「人に拠らない」 というのがサイエンスの本質です。サイエンス というのは再現可能な法則の定立を目指してい る。  山口さんが強調しているようなリペラルアー ツというのは、要するに「自分の価値基準を、 自分の言葉で、自分以外の誰かに説明できる」 ことですよね。自分自身で形成された価値基準 があるということ、それに自覚的であるという こと、これがすなわち「教養がある」というこ とだと思います。どんなに多くのことを知って いても、世の中に流通している出来合いの価値 基準に乗っかるだけでは教養とは言えない。教 養形成の本質はアートでありセンスにあります。  ひとつの問題として、やたらに「コレクトネ ス」が求められる時代になったということがあ ります。昔だったら「そんなこと言ったって しようかねえたろう」というような考えを、今 は誰もがすぐに可視的な形で発信できる。情報 の流通コストが急速に下かって流通スピードが   上かっている。そういう世の中になると自分で   確立した価値基準がない人、あっさり言えば教   養がない人は、さまざまな局面で外在的な正し   さをやたらに気にする。    しかも、発言や反応するにしても、せいぜい   140字なのでまともな対話や議論が成立しな   い。「ダサつ」とかそういう返しになる。そこ   にはロジックも何もないんですね。 山口 どうしても目が粗くなりますよね。 楠木 コミュニケーションをするときに、今そこに   ある出来合いの価値基準に乗っていかないと自   分にとって不利益が大きくなると考えてしまう。   これは「教養の喪失」というか、「教養の放棄」   だと思います。自分なりの価値基準がないから、   どんどんどんどん外の価値基準に乗っていく。   そういう人にとってサイエンスが提供してくれ   る法則はものすごく快適だと思いますよ。 山口 自分の価値基準を内在的に持っている、それ   がブレないというのが教養の条件ですからね。 楠木 サイエンスは原囚と結果の関係がかなり確か   らしく証明されているので「これがよいもので   ある」と言いやすい。弱い人、不安な人ほど法 則を求めるという傾向があるように思うのです。 もちろん科学的法則それ自体には価値がありま す。ここで僕が問題視しているのは、自分の仕 事とか日常生活の価値判断をやたらと法則に求 めるという傾向です。自然現象は別にして、人 間の行為や社会現象については自然科学ほど すっきりした一般法則は成り立だない。法則を 適応するにあたって、自らが置かれた状況や文 脈に目配せしなければならない。ところが、そ うしたことを深く考えず、すぐに法則に正解を 求める。 山口 価値基準を外側のサイエンスに求めれば、い   ろんな場面に対応もしやすくなるしケンカも起   こりにくくなりますからね。       「好き嫌い」の問題を       「良し悪し」へ強制翻訳 楠木 サイエンス的なケンカというのもあって、そ   れはどちらが正しいのかという話。天動説が正   しければ地動説は否定されるし、逆もまた真な  一方で、センスとかアートと言うときには。 アート的な、センス的な平和というのがあって。 「それはなんか趣味じやねえな」「俺とは関係ね えな」「これは自分と違うな」と言って放置し ておけばいい。僕の見立てで言いますと、今の 日本社会のひとつの問題は、本来は千差万別、 好き嫌いであるはずのセンス的な部分を無理や り良し悪しで斬ろうとしがちだということ。好 き嫌いの問題を良し悪しの問題に強制翻訳して しまう。これが不毛なケンカをもたらす。  みんな口では「多様性が大切だ」と言うくせ に、自分と違う意見や価値観に直面すると、 「どっちか正しいのか」「あいつは間違っていて、 自分が正しい」となる。ジェンダーや国籍と いった人口統計的な多様性については大歓迎な のに、肝心の価値観の多様性については心が狭 い。社会に多様性が大切だとしたら、「組織に 多様性なんか必要ない」という意見があってし かるべきなんですね。そのほうが社会の多様性 は増大するから。多様性を叫ぶ人ほど価値観の 多様性を認めないという「多様性のパラドク   ス」がある。これもコレクトネス過剰社会のひ   とつの現れですね。 山口 そうですね。 楠木 一言「いや、人の好き好きだからね」「ああ、   そういうご趣味なんですか。僕は違います」だ   けで済む話なのに、そこに無理やり普遍的な価   値基準を持ち出して、いいだの悪いだの言う。   実に虚しいことです。 山口 そうですね。それだけみなさんストレスが高   まっているのかもしれません。 楠木 「気持ちよく放置」とか「尊重するけど無関 心」という構えが大切だと思います。「天丼と カツ丼、どっちか好き?」というときに「僕は 天丼」「いや、私はカツ丼」というだけ。話は そこで終わりのはずです。  それが今はなぜか良し悪しに強制翻訳されて 「天丼なんてこのグローバルなデジタルな時代 に何を言ってんだ!・」とカツ丼派が言っている みたいなことになっている。「いいじやねえか、 好き嫌いなんだから。お互い好きなもん食べて ろよ」と思うんです。で、なぜそういうふうに なるかっていうと、要するに暇だからではない   かと。「忙しいんだか暇なんだか、わからない   問題」つていうのがあって。 山ロ ケインズが予測した、一日3時間労働で済む   はずなのに、みたいな話で。 楠木 そうです。先ほど話に出た「役に立つ・役に   立だない」の話にも関連してくるのですが、さ   まざまな問題がおかげさまで解決されて、昔の   人から見たら、現在、人類は絶対、暇になって   いる。僕にとっての昔の人のモデルというのは   107歳の祖母で、まだ生きている。彼女は長   い時間幅の社会変化というのを生身で経験して   いるのでわりと参考になるんですよ。彼女に   「これまでの人生で最大のイノペーションつて   何?」つて聞いたら、即答で「電灯だ」。 山口 なるほど。いくらインターネットとかいって   も電灯のインパクトにはかなわない。 楠木 で、「それは、どういうことなの?」つて聞   いてみると、とにかく当時、普通の農業をやっ   ている田舎では家族総出で労働しなければなら   ない。お洗濯も洗濯板ですから。水道もないか   ら水は井戸から汲んでくる。ご飯を炊くのにも   薪を割ってかまどにくべてっていう、そういう 世界じやないですか。みんながそうやって家事 労働を分担して生きているなかで、いちばん幼 年でやる最初の家事労働はランプの煤取りだっ たそうです。電灯が出てきてこの朝の労働から 解放されて、もうちょっと眠れるという喜びと か、電灯の下で夜中でもお母さんが針仕事がで きることになったとか、こうしたことによって 生まれる家庭のゆとり。とにかくもう電灯は生 活が変わった、強烈なインパクトだったって言 うんですね。  現代のわれわれはそうした技術革新の恩恵に よって基本的に暇になっている。ところが、主 観的にはいつまでたっても忙しい。物理的に余 儀なくされている活動が少なくなってきたのは 間違いないんですね。洗濯板とか水汲みがなく なったときに、「衣食足りて礼節を知る」とい う方向にいくのか、それとも「小人閑居して不 善をなす」という方向にいくのか。ここに社会 やその人の分かれ目があると思うんですね。  ネット言説には「小人閑居して不善をなす」 の方向に転かっていく面がある。考えてみれば スマートフォン、あれは最強の暇潰しツールで すからね。テレビが出てきた時も同じような議 論がありましたが、テレビの比じゃない。いつ でもどこでも触れますからね。さまざまな物理 的問題が解決して、本当は暇で暇でしょうがな い人々にとって、天から降ってきた恵みの雨の ようなものです。とにかく常時いろんな情報に 触れている。本来であれば。尊重するけれども 放置”というモードで受け止めるべきことなの に、自分自身でつくった価値基準がない人が 「どっちか正しいんだ」「お前は間違っている」 とインスタントに反応するんですね。 山口 なるほど。 楠木 。尊重するけれども放置”ということで言え   ば、面白い話があります。先ほどスーパーカブ   の話がありましたが、それをつくったホンダの   創業者・本田宗一郎と彼の右腕だった藤澤武夫   という人は、なんとも言えない不思議な関係に   あったんですね。    ホンダが大会社に成長してからはもうほとん   ど二人で会話をしなかったというんです。「会   社を創った頃にもう一生分話し合ったんで」と   いうんですが、これって端的に言うと、「気が   合わない」んですよ。全然違ったセンスで気が   合わない。 山口 だからペアとして素晴らしかったというのも   あるでしょう。 楠木 そのとおりです。最強のコンビですね。その   後、いろいろとあってお二人は同時に退任する   んですけど、お互いに仕事を離れて第一線を退   くと、本田さんはああいう方なんでもういろん   な世界の人と社交して、いつも本田さんの家に   はいろんな人がワイワイと集まっている。でも   藤澤さんは、本田さんが開いている社交の会に   絶対に行かなかった。    不思議に思った人が「藤澤さん、あれだけ二   人でやってきてなぜ本田さんの集まりに行かな   いんですか?」と聞くと、藤澤さんは匸頁   「俺の趣味ではない」。僕はこの話が大好きなん   ですね。趣味じゃないんだ、それでいいんじゃ   ないかというのが、僕の考えるセンスの平和的   なところなんですよね。戦争にしても、だいた   い「良し悪しの人」が始める。 山口 そうですね。だから、「良し悪しの人」は   やっぱり排他的、エクスクルーシブというか、   何か両立できない考え方をしますよね。 楠木 そうなんですよね。いいものから悪いものま   ですべてをひとつの次元で並べるので、どの二   つを取っても優劣がはっきりしちやう。だから   やっぱり競争的になるし、他者が気になってし   まうし、排他的になる。       センスにも「序列」をつけた       がる日本人 山口 優劣をつけたがるというのは本当にそうです。   日本人はセンスにも序列をつけたがる傾向があ   りますよね。センスなんて好き嫌いでよくて、   それこそ「趣味か、趣味じゃないか」というこ   となんだけど。例えば服だったら、これがいち   ばんおしゃれとか、レストランだったらここに   行っているのがいちばんスノッブなんだみたい   な、全部に序列をつけたがりますよね。センス   に序列をつけると、これはもうセンスではなく   てスキルであり、サイエンスになってしまいま   すね。 楠木 そうなんですよ。それが「アート↓サイェン   ス」「センス↓スキル」「好き嫌い↓良し悪し」   という強制翻訳なんですよね。そうすることで   ものすごく重要なものが失われているという気   がします。ランキングとかみんな大好きじやな   いですか。 山口 好きなんですよね。センスにランクをつけ   るっていうことが。 楠木 それこそ個人の好き嫌いなんですけれども、   僕はスポーツが嫌いなんですよ。スポーツとい   う概念にあまり馴染めない。なぜ自分はこんな   にスポーツが嫌いなんだろうというのを子ども   の頃に思わざるを得なかった。 山口 じやあ、筋金入りのスポーツ嫌いなんですね。   子どもの時から体育が嫌いだったんですか? 楠木 例えば部活動みたいなのが昭和の中高生だと   学校生活のアイデンティティになっていた。   サッカー部の××君とか、野球部の△△君みた   いなのがかなり重要な意味を、今よりも重く   持っていたのかなっていう時期ですよね。これ   が嫌で仕方がなかった。 山口 わかります。 楠木 薄々スポーツが嫌いだということはわかって   いたけれど、僕も何かのクラブに入らなきゃい   けないと。ただ子どもの頃で知恵が足りなかっ   たので、団体競技が嫌なのかなとか思って、個   人競技だったらまだいいかもしれないと柔道部   に入ったんですね。これがひたすら勘違いで、   とにかく嫌で嫌ですぐに辞めちゃっだんです。   なんで自分はこんなにみんなが取り組んでいる   ものが嫌いなのかなっていうのを、やっぱり考   えざるを得なくて。だんだん本質が見えてきた   なと思っだのですが、ひとつはやっぱり事前に   ルールが設定されているということなんですね。 山口 それはスポーツだからそうですね。 楠木 しかも、先ほど話したひとつの次元での競争   になる。だから隣り合った二者を挙げると必ず   優劣がある程度はっきりする。これを総称して   「スポーツ」というならば、ゲームもスポーツ   なんですよ。ダーツとか、オセロゲームとか、   事前にルールが設定されていて。最近は。eス   ポーツ”とか言いますね。    僕はそういうのがことごとく嫌で。だから ゲームも弱いんですね。当時はテレビゲームが 家庭になかったので、将棋とかそういうゲーム ですけど、好きじやないんでいつまでだっても 強くならない。一方で、ずっと好きなのは音楽 です。スポーツが嫌いなのになんで音楽はこん なに好きなんだろうと考えると、それはゲーム の条件の逆になっているんですよ。事前にルー ルが設定されていないとか、良し悪しが人の認 知に依存しているとか、ひとつの次元では優劣 を序列化することができないとか。  スポーツつて、やっている最中はみんなけっ こう真剣な顔をしているんですけど、音楽を演 奏しているときには、だいたいみんな笑つてい るじやないですか。僕は笑いっていうのを重視 するほうで、文章を書くにしてもそうなんです。 笑いの中に真実があるんじやないかなと考えて いる。こういう自問自答を続けていくと、自分 の好き嫌いがまあまあ言語的に、しかもわりと 高い抽象度でいろんなものを見るときに使える 基準として自分の中に生まれてくる。ただし、 それはあくまでも好き嫌いですから。「いや、 俺、スポーツ大好きでさあ」つていう人がいて   も、それはまったく争うようなことはない。こ   れほど生きやすい世界はないと思っているんで   すけど、なぜか「ランキング」に持っていきた   がる人は多いんですよね。       「アスリート型ビジネス」と       「アート型ビジネス」 山口 僕はビジネスのなかにも、アスリート型ビジ   ネスとアート型ビジネスの二つがあると思って   いるんです。数値化してどっちか勝った、負け   たと比較できるビジネスというのは、まさに役   に立つ方向で戦うビジネスで、これは全部アス   リート型ビジネスだと思いますね。    例えば検索エンジンというのは、とにかくい   い検索結果を返してくれればいいわけです。   「何かちょっと変なんだけど、そこにまた味が   あって」みたいな検索結果というのは求められ   ないわけですね。 楠木 グーグルは近代五種の金メダリストみたいな。 山口 だからあの会社は、グローバルのシェアが90   パーセントとかになっているじやないですか。   ビジネスもある種のルールがあって、売上げと   か企業価値ということで勝ち負けが外在的に決   まってということだとすると、これはかなりア   スリート的だということになります。 楠木 最後はそうですね。ただし、そもそもビジネ   スはスポーツとは違うのかなと。スポーツの例   えでビジネスを考えようとする人の根本的な誤   解は、スポーツは勝ち負けが事前にルール上で   定義されていますから、誰かが勝てば誰かが負   ける。アスリート的なビジネスはこれに近いの ですが、本来のビジネスはそれぞれが戦略を 持って相互に差異をつくっていく。結果として、 ひとつの業界で同時に複数の勝者があり得るん ですね。  例えば、同じ洋服の業界ですけれども、現時 点で言えばZARAもユニクロも「勝者」です ね。もっと小さなブランドでうまくいっている ところも勝者かもしれない。それを例えば時価 総額とかそういったある種の物差しを当てたと きにどちらが大きい、小さいはあったとしても、 それだから負けていることではない。この点で、   商売はスポーツとは似て非なるものですね。 山口 そこですよね。やっぱりユニクロというのは   ファッションのビジネスをやっているのでアー   ト型ビジネスじやないですか。その一方でアス   リート型ビジネスをやっているIcチップの会   社とかがある。 楠木 そうですね。だからAMD(Advanced Micro   Devices)などはインテルに対して、シェアで   勝ってる感、負けてる感というのはあるでしよ   うし。 山口 ありますよね。 楠木 「グーグルにボコボコにやられて……」とか   いう表現がしっくりくる。 山口 だからビジネスのなかでもその二つのフィー   ルドがあって、戦場そのものが国ごとに閉じて   いた1990年代以前の状態であれば各国ごと   でドミナントプレーヤーが4社か5社生き残れ   るっていうアスリート型だったのが……。 楠木 アスリート型でも生き残れた。 山口 これがグローバル競争になったときに世界中   で3〜4社しか残れません、みたいなことにな   ると、やはりものすごい競争原理の厳しい世界   になっていくんだと思うんですね。 楠木 そうですね。 山口 そのなかで健全に生きるには、よほどの強度   を持った人じゃないと難しいと思う。だからア   スリート型ビジネスでずっとやってきた日本の   家電の会社というのは次々に潰れましたよね。   三洋はなくなり、シャープがダメになってとい   うふうに。あれは結局、市場がグローバル化す   ることによってローカルマーケットで生き残る   ことができるアスリート型ビジネスというのが、   どんどん少なくなってきているからだと思うん   ですけど。    そうなると本当にその船の中で一生ハムス   ターみたいに回し車をクルクルと回していくの   か、あるいはまさにストーリーが戦略になる領   域のアート型ビジネスのような、ポジショニン   グ次第で棲み分けができるという世界にいくの   かというのが、今の日本人の多くが向き合わな   ければいけない問いだと思うんですね。 楠木 ゲームが好き、アスリート的ビジネスが好き、   事前のルール設定があるなかで競うのが好きと   いう人は、これからもぜひそっちでやってくだ   さいと。 山口 どうぞ好きなようにしてください、ですね。 楠木 ただ問題は、本来はそうじゃないのに、何か   そっちのほうが本格派で、正統派で、王道でグ   ローバルでというように考えてしまって……。 山口 まあ、グローバルつて言いますもんね。 楠木 あくまでもカギ括弧つきの「グローバル」な   んですが、そうなると好き嫌いのほう、つまり   アートだとかセンスが過小評価されるという成   り行きになる。       日本でアスリート型ビジネス       が       優位だった理由 楠木 昭和の高度成長期に成長した日本の企業は、   確かにアスリート的な競争の分野で成長し成功   したんですけれども、それは日本の文化という   よりも、単なる経済のフェーズに起囚していた   思います。高度成長期は基本的にアスリートが   前面に出てくる条件が整っている。  中国のテンセントグループ、とにかくあれだ け資本があるので、めぼしい会社は全部買っ ちやう。BtOCの事業を中心にさまざまな 企業を買収している。日本もそうでした。明治 時代の経済勃興期に巨大な企業グループ、財閥 みたいなものが出てくるっていうのは自然な成 り行きですね。中国でそれが今起きている。ア リババとテンセントはかつての日本の三井と三 菱みたいな財閥的拡張をしていますね。岩崎弥 太郎とか渋沢栄一みたいな話ですよ。毎週会社 を買っている。  この前、テンセントグループの事業会社の経 営者たちがみんな日本に来るから、一度話して くれというオファーがあったんです。「いや、 そういう成長期の経営者はイケイケどんどんで、 僕が考えるような競争戦略はそれほど意味を持 だない。あまり適任じやないと思う」と言った ら、「いや、これからいよいよ中国においても 成熟というのが本当にリアリティを持って目前 に迫ってきたので、改めてその辺の議論をした い」というリクエストだったんです。で、実際 に会って話してみると、もうみんなバリバリの   アスリート。「オレの会社は時価総額が今いく   らだ」とか、「去年よりも業界の順位が3つ上   がった」とか、そんな話ばかり。 山口 「タイムをどれだけ縮めたぞ」みたいな。 楠木 本当にスポーティなんですね。やっぱり高度   成長期というのはどこの国や地域、文化におい   てもそういうものだと思うんですよ。でも、経   済とか市場というメカニズムには成長という変   数が内在的にはありませんから、中国も必ず成   熟期を迎える。    高度成長期とは人間で言えば青春期のような ものです。そちらが異常というか特殊な時期で、 成熟期の今が定常状態だと思うんですけど、日 本の大きな会社の意思決定の中枢にいる人は 「脳内高度成長期おじさん」が少なくない。「高 度成長期体質」というか。  日本は「長い過渡期」にあるんですね。それ にしても長すぎる。客観的には人口減で成熟し きっていることがわかっているのに、まだ体の 奥底に高度成長が残っている。アタマではわ かっているのにカラダがついていかない。だか ら、高度成長期が終わって何十年もたつのに、 いつまでだっても「右肩下がり」とか「閉塞 感」とかぶつぶつ言っている。せめて「左肩上 がり」と言っていただきたい。同じですけど ちょっとはポジティブに聞こえる(笑)。要する に本当は経営力の不全なのに、環境のせいにし ているんですね。  高度成長期の企業は大型帆船のようなもので す。とにかく環境の追い風が吹いているから、 大きな船で大きなマストを揚げれば勢いよく前 に進んでいく。ただ、みんな同じ方向に進んで いく。だから、どっちかデカいとか、どこがI 等なのかというアスリート的な思考になる。今 の成熟した日本で必要とされる企業は、帆船で はなくてクルーザーです。ガタイはそれほどデ カくなくても、船の中に原動機がなければいけ ない。しかも、キャプテンがどの方向に行くの かを自分で決める。だから、それぞれが違った 方向に進んでいく。  つまりは、本当の意味での経営力や戦略が問 われる「当たり前の時代」になったというだけ の話です。右肩下がりとか不平不満を言う前に、 社会と顧客にとってなくてはならない独自の価   値を生む商売をつくればいいだけなんです。   ヨーロッパだともっと成熟先進国というか、古   くから成熟しちやっているので、高度成長期体   質の会社や脳内高度成長期の経営者は少ない。   ドイツやスイスの優れた企業に学ぶ点は多いと   思います。 山口 東芝のようなアスリート型ビジネスというの   は1万人でやる綱引きみたいなところがあった   んだと思うんですよ。そうするとやっぱり同質   性が高くて、みんな同じ民族で、同じ価値規範   を持っていて、それが「いっせ1のせ」で動い て、それでものすごくクオリティーの高いもの をつくっちやうというようなところはあると思 うんです。  多様性に関する研究はいろいろあって、これ をプラスだと言う人とマイナスだと言う人がそ れぞれいるわけですが、要するに創造的に問題 解決をしていくというような営みにおいて多様 性はプラスになるけれども、みんなで足並み揃 えて実行していくっていうようなときはマイナ スに働きがちで、そういう意味で言うと高度成 長期の当時においては、すごく同質性の高い組   織なり社会なりというのが、アスリート型ビジ   ネスには合っていたという話ですよね。 楠木 そうでしょうね。それでも、もうちょっと成   熟していくとだんだんアスリート型というのは、   少なくともその占める割合は減ってくるのでは   ないでしょうか。 山口 そうですね。山の頂上はめちゃくちゃ狭いで   すから。       男のマウンティングは       「スキル」に収斂する 楠木 少し話が逸れますが、「NewsP・lcks」   という経済・経営ニュースのキュレーションメ   ディアがありますね。「NewsP・lcks」   が始まったころ、僕はちょくちょく相談を受け   ていた。   「NewsP・lcks」はスマホネイティブの   メディアです。僕が普段書いたりしやべったり   する仕事のターゲットと比べると、年齢もずっ と若い。そういう人が隙間時間にスマホの小さ な画面でささっと読んでいる。そういう読者の 志向や嗜好がいまひとつ肌感覚でわからない。 「その辺を知りたい」と言ったら、「じやあ自分 で書いてみるのがいちばんいい」ということに なった。読者のコメントがバンバンつくから、 それを見ればだいたい読者の傾向もわかるん じやないかということで。  そういう意図と目的で書いてみると、何を 言っても「日本はダメ」というコメントが一定 数あるんです。その論拠として何を参照してい るのかというと、「シリコンバレーでは」とか そういう話なんですよ。「ユニコーン企業がど うこう」とか、そういうのがもう大好きなんで すね。なぜなのかと考えると、動機としては やっぱり基本的には「うっぷん晴らし」だと思 うんですね。やっぱり若いと、なんだかんだ 言っても不安だし弱いし傷つきやすい。うっぷ んも溜まる。そうしたときに心を安らげるひと つの方法としては、「日本がダメである」「自分 はそれで犠牲を被っている」「被害者である」 というのが有効なんですね。「したがって、日   本は変わらなきやいけない」というような口   シックで、「ホリェモン、最高!・」となる。ス   トレートな進歩主義ですね。彼らは「昭和の   おつさん」を敵視するのですが、思考の構造と   しては「右肩下がりの閉塞感が……」とか言つ   ているおつさん連中とそっくりなんですね。物   事の成否の理由を外的環境に求めるのが早すぎ   る。 山口 まあ、うっぷん晴らしですよね。みんなマウ   ンティングが好きですから。僕はいろいろな酒   場でまわりの会話を聞いているのが好きなんで すけれども、基本は三つなんです、男のマウン テイングの仕方は。女性のマウンテイングの仕 方はちょっとよくわからないんですけど、男の マウンテイングの仕方は三つあって、これは マックスーウェーバーが言っていることに近い んですけど、ひとつは家柄なんですね。「うち、 家がこんな金持ちで」とか「なんかうちの家系 は徳川家につながるんだ」とか、そんな話をし ているんです。  それで、それにかなわない人間は別な攻撃を 仕掛けるんですね。ひとつは偏差値。「俺、駿   台模試で全国4位取ったもん」とか「あのとき   偏差値78つて出て、78なんて数字、本当に出る   んだな」とかって言って、そうすると相手は   黙ってしまう。 楠木 アスリート。すごくスポーティですね。 山ロ スポーティなんです。だから家柄マウンティ   ングで「こいつにはかなわねえな」つてなると   大学とか偏差値を出す。それでも勝てないとき   には三つ目、「仕事で活躍している」という話   で、これがもう要するにスキルなんですね。 楠木 なるほどね。 山口 「俺、こないだハーバードのMBA持ってい   る奴と仕事したんだけど、やっぱ大したことね   えんだ、あいつら」とか言っているわけです。   それぞれ会話自体はみんな和やかにしているん   だけど、マウンティングしまくっているんです。   そして、そうやって一巡すると「岩畸ってさ、   なんかあれ三菱だけど、三菱のあの紋じゃなく   て家の紋っていうのは三つ菱が重なるんだ」と   か、また家柄マウンティングに戻ってくるんで   すね。 楠木 なるほど。手を替え品を替え。 山口 そうやって今度はまたハーバードの話にいく   といった具合で、みんなで飲んでいるんです。   つまり「ヒエラルキー」がそもそも好きなんで   すね。みんないろいろと好き嫌いがあって、そ   れぞれやっていればいいじやないっていうのが   何か嫌で、とにかく序列をつくって「俺はどの   位置か」ということを決めたがるという構造の   中に、やっぱりうまくはまっちやうんだと思う   んです、スキルのマウンテイングというのは。 楠木 まあ、それはそれでひとつのモチベーション   ですからね。 山口 自己効力感というところで言うと、家柄は変   えられないじやないですか。どこかのなんとか   さんみたいに詐称するとかだったら別ですけれ   ど。それはちょっと問題があるわけで……。 楠木 「有栖川」を名乗る詐欺師が昔いましたね。   僕の父の話なんですけど、彼が勤めていた会社   で一緒だったお友達に松平さんと西園寺さんと   いう名前のお二人がいました。お二人とも松平   家、西園寺家の直系の方です。で、松平さんの   奥様の旧姓は徳川。そういうことなんですね。   父に連れられてお目にかかる機会がときどき   あっだのですが、子供心に「これは違う……」   と思わされました。もちろん立ち居振る舞いが   上品なのですが、それが異様に自然。一緒にご   飯を食べにいくと、松平さんがお店の人に「俺   のところ、おかずの量がずいぶん少ないよ。   もっと入れてくださいよ」なんて言ったりする。   衒いがない。こういうのは生まれで身についた   もので、変えられないし真似できない。 山口 あと学歴も、今からは変えられない。 楠木 嘘つくしかない。 山口 だから結局、マウンティング合戦をやってい   くというときに変数としていじれるのは、やっ   ぱりスキルだけになるんですね。 楠木 消去法でスキルが残る。 山ロ マウンティングのラダーの三つの競技種目が   あって、このなかでもチヤンピオンはだいたい   決まっていて、家柄というとまあだいたい「徳   川家」とか「明治の元勲家」にはかなわないで   すね。偏差値も決まっちやっていて、三つ目の   種目、つまりスキルだったら勝てるかもしれな   い。まさに今、自分の努力を投入しているとい   う側面もあるでしょうけどね。 楠木 ちょっと僕の偏見もあるかもしれませんけど、   たぶん洋の東西を問わず、また今も昔もマウン   ティングというのは男性が持っているかなり本   能的なもので、比較的若い人だと、それがスキ   ルーマウンティングになるのかもしれません。 山口 それをもうちょっと進めると「仕事ができる   マウンティング」。そうすると結局どっちか仕   事ができるのかっていうときには、「会社のブ   ランドマウンティング」というのも出てくる。 楠木 「外資系コンサル」とかね。あとはちょっと   昭和っぽい比較的年長者だと、「会社の規模×   その人の職位」という計算式で格を測ったりす   る。 山口 そうですね。日立の元常務とか。 楠木 日立に何か基礎点みたいなものがあって、日   立の常務は日立の子会社の社長相当みたいな。   さすがに今はそういうのはなくなったのでしよ   うけど。       人事における       「コンピテンシー」という概       念の誕生 山ロ センスとスキルという話で言えば、人事の世   界では非常に有名な話なんですけど「コンピテ   ンシー」という概念があるんです。    この考え方がなぜ出てきたかというと、日本   の外務省にあたるアメリカの国務省という組織   があるのですが、そこが外交官を選抜するにあ   たり、その「選抜基準」にすごく悩んでいたん   です。当初はイェール大学、(Iバード大学、 スタンフォード大学というような一流名門校を 出ていて、外国語も2カ国語以上できて、行政 とか文化とかそういうものに対する知識も十分 に備わっていて、さらに交渉術も高い水準にあ るといったように、本当にスキルの高い選りす ぐりを集めていた。  アメリカはだいたい最初に外交官を第三諸国 に送るんですよね。そうすると最初の2〜3年 ですごくアメリカとの関係をよくして本人も楽 しんで帰ってくる人間と、それとは逆に、極端 に言うと国外退去みたいな扱いで潰れて帰って   くる人間がいる。国務省が悩んでいたのは、大   学時代の成績や語学力や研修などの評点と、い   わゆる外交官としての現実のパフォーマンスの   間には、まったく統計的な相関関係がなかった   ことなんです。 楠木 なるほど。 山口 そこで国務省の担当者が、当時ハーバード大   学で行動心理学の研究所のボスたったデイビッ   ドーマクレランドという、動機の研究をやった   有名な人がいるんですけれども、その人に相談   したわけです。新しい選抜の仕組みをちょっと 考えてほしいというので、マクレランドはいろ いろ調ぺたんですね。そうすると結局のところ、 外交官としてのパフォーマンスとスキルや知識 との相関関係は統計的にはまったくなかった。 スキルや知識が必要条件である可能性はあるか もしれないけれど、十分条件ではない。そうし て調べていくうちに、成功している外交官に共 通して見られる行動のパターン、モノの考え方 のパターンはだいたい三つぐらいあることが、 そのときの研究でわかったんですね。  ひとつは、成功する外交官は皮膚の色が違う とか、文化や宗教が違う相手であっても、その 相手がいま非常に心配しているとか、怒ってい るというようなことに関する対人感受性が非常 に強い。  二つ目が、非常にフラットで建設的な人間関 係が築けるはずだというビリーフ(思考パターン) ですね。ですから「あいつらはどうせバカだか ら」とか「変な宗教を信じている劣等人種だか ら」みたいなものがまったくなくて、コンフリ クトした状態があったときにも必ず最終的には 信頼関係を築くことができる。根源的な人間に 対する信頼を持っているんです。  三つ目が、政治的な力学に対する嗅覚です。 これは企業でも行政組織でも同じですが、組織 図の上にいる人が実際上の権力者、意思決定上 のキーマンであることはまずないわけですね。 フィクサーみたいな人がいたり、ある案件につ いてのキーマンみたいな人が必ずいて、成功し ている外交官にはそれを見抜く嗅覚があるとい うことをマクレランドは指摘しています。その 研究のレポートに出ていた例で言うと、アメリ カとの文化交流がなかなか進まない、これまで は文化大臣のところに日参していたんだけれど も、どうもおかしい。そのうち文化政策の採択 には文化大臣の奥さんが大きな発言権を持って いて、しかもこの奥さんには若い愛人がいるこ とがわかった。この愛人がカギだということに 気づいて、大使館でのパーティにその男を呼ん で首尾よく取り込んだところうまくいった、と いうんですね。  外交官として成功するのは、だいたい基本、 この三つの条件があると言っているわけです。 これはやっぱりスキルじゃないんですよね。 楠木 スキルじやないですよね。 山口 一方でパーソナリティでもないんです。その   よくわからないものを、とりあえず「コンピテ   ンシー」と名づけようっていうのが発端なんで   すね。これを提唱したマクレランドは山っ気の   ある人だったので、会社をつくって、企業でも   同じようなことができるんじやないかというこ   とでやっていったことが、現在の人事における   コンピテンシーの一般化につながる発端なんで   すけれども。    それはともかく、アメリカ国務省が最初に選 抜の基準としていたのがスキルと知識だった。 語学がわかって、行政知識もある。交渉術を学 んでいるとかそういうことだったのですが、し かしそれは実際のパフォーマンスにはつながら なかった。  一方で性格特性みたいなものかというと、ど うもそうでもない。何かその間に横たわる微妙 な領域のところが実は重要だったというわけで す。それをセンスと名づけるかどうかは別とし て、スキルやサイエンスだけでは涸れないこと のひとつの表れだと思うのです。    「仕事が 章   できる」とは 2 第  どういう    ことか?       労働市場で平均点に       お金を払う人はいない 楠木 僕は「スキルはいらない」とは言っていませ   ん。スキルは必要です。スキルだけだとその人   に固有の価値とはなりにくいと言っているだけ   で、スキルを否定するものじゃない。   「アートかサイエンスか」という話とは別に、   「できるIできない」という軸がある。クリン トーイーストウッドがいいことを言っています。 「腕のいいバーテンダーの仕事はアートだけど、 下手なヤツのはそうじゃない」。ここでは仕事 ができるというのは、「その人じゃないと困る」 とか「余人をもって代えがたい」という意味合 いで話しています。「ああ、この人が来た。も う大丈夫だ」感。こういうレベルで「仕事がで きる」という話なんです。イメージとしては、 子どもの時にゲームとか球技で組分けをしたと き「あ、こいつがいるから大丈夫だ」「あいつ と同じ組に入りたい」と感じさせる人がいます よね。あれです。ああいうのを念頭に「仕事が できる」と言っているんです。  スキルを高めれば仕事ができるようになるの か? もちろんできるようにはなるんですけど、 それはその特定のスキルセットが対応した領域 にはまったときに「できる」という話であって、 必ずしも「仕事ができる」わけではない。  仕事ができるというのは、僕の考えはごくシ ンプルで、状況にかかわらず「人に頼りにされ る」ということなんじやないかなと思う。つま リバイネームで「あ、山口さんだったら大丈夫 だ」とか、「もう山口さんじゃなきやダメなん だ」とか。この人だったら大丈夫、どうしても 必要とされているという状態が人として仕事が できているということです。  これはスキルの単純延長上には必ずしもない 話だと思うんですね。スキルのある人は掃いて 捨てるほどいます。「あれができる、これがで きる」と言っているうちは、まだまだなんです よ。それができる人、代わりになる人はいっぱ いいる。このレベルだと、極論すればマイナス がないだけでゼロに等しい。そのゼロの状態か   らプラスをつくっていくというのが、その人の   センスに強くかかっている。これが本当に「仕   事ができる」ということだと思うんです。    スキル稼業一本槍でいくと、途中まではわり   と順調にいけるんですね。しかし途中で厚い壁   にぶち当たる。当人は「スキルで突破できる」   と思っていて、それがその大がスキルを身につ   ける努力をする理由にもなっているのですが、   いつかどこかで「あれ? おかしいなあ、こん   なに頑張っているのに……」ということになる。 山口 これは僕もよく言っているんですけど、平均 点にお金を払う人はいないっていうことだと思 うんですよね。労働市場でお金が支払われるの は突出した強みに対してであって、楠木さんの おっしやられたように、マイナスの凹みをゼロ に戻すことによって平均点になりましたという だけではダメなんです。  これを料理屋で考えてみると、中華料理のス キルを勉強してメニューを通り一遍つくれるよ うになりましたと。じやあ、それでお客が来る かというと来ないわけですね。少なくともファ ンはつかない。ファンがついて継続的に繁盛す   る店というのは突出した特徴、まさに「余人を   もって代えがたい」特徴を持っているわけです。   これは真似ようと思ってもなかなか真似できな   いわけで、やっぱり言語化できないからこその   強みですよね。 楠木 そうです。 山口 料理学校でスキルを習得して、パスタもつく   れるし餃子もつくれますよ、みたいな変なレス   トランがあったとして、どれもソコソコで一応   はおいしいと。しかし、そこに人が来るかとい   うと、まあ、たぶん来ないですよね。 楠木 餃子がつくれますよということでその大が選   ばれるとしたら、とにかく大が足りないときで   すよ。その分野の大が足りないという状態では   スキルがものをいう。    例えば仮に世の中が異様な餃子ブームになっ   て、餃子をつくる人の頭数が明らかに不足して   いるとなれば、餃子をつくるというスキルにあ   たかも大きな価値があるように見えるわけです。   昨今のプログラミングのように「旬のスキル」   というのはいつの時代にも必ずありますよね。   そういった旬のスキルというのは何かの理由で 餃子に対する需要が異様に高まっているような ものです。だから、多くの人が「ここは自分も 餃子をつくれるようになろう」というスキルに 目を向ける。  ところが、人間すぐには死にません。仕事は 長い問続いていく。いずれは餃子をつくること のできる人が十分に出てくる。そうすると平均 点にお金を払う人はいないということになる。     「やってみないとわからない」       センスの事後性 楠木 意識しているのか無意識なのかは別にして、   自分のセンスというものを後生大事に育て、磨   きをかけていく。これがキャリア構築の実態だ   と僕は思っています。ただ、これの問題点をI   言で言うと、やたらと「事後性が高い」んです   ね。 山口 予定調和というか、先見的に費用対効果を見   極められないということですね。 楠木 そのとおりです。事前に目的と手段の因果関   係がはっきりとわからない。一通りやって振り   返ってみると「ああ、そういえばああいうこと   をやって、いろいろなことがあったから、いま   自分のこういうセンスなりスタイルができてい   るんだなあ」ということが初めてわかる。そう   いう人が若い人に向かって「最後はセンスだ   よ」と言うと、「何を言ってるんだ、このおっ   さんは」というリアクションになるんですね。    人間にとって「事後性の克服」は永遠の課題   です。読書にしても、なんで昔から人は本を読 むのかというと、それが擬似的にではあるけれ ども、効率よく広範な経験をする方法だからで す。読書は事後性の克服手段としてはとても優 れています。いろんな人がいろんな経験をする。 そのうち、とくに意味があるものを取り出して 人は本にするわけです。「今日のお昼はナポリ タンを食べました」というようなどうでもいい 経験はわざわざ本に書き残さない。自分で経験 しなくても、過去の優れた人々の貴重な経験の 上に乗っかって、「なるほど、そういうことか」 −ここに読書のありがたみがある。    事後性というのは難物なのですが、漠然とで   も事後性の克服が大切だという意識を持つ。こ   れがとても必要なことだと思うんです。その意   識がないと「今すぐに解決してくれ」「そのコ   ツはなんですか?」「三つ挙げてください」と   かいうことになる。 山口 最近よく聞きますね、それは。 楠木 「1分でわかる」とか。 山口 手っ取り早く答えを欲しがるんですよね。 楠木 文章が長すぎる、スマホで読みやすいように   話をまとめてくれ、という声が出るのも、結局、 全部根っこには事後性の問題があると思うんで す。まとまった論理が入っている長い文章を読 んだあとに、どういう得があるのか、事前には わからないという。  よい本を読むのは事後性の克服に有効ですが、 読書それ自体が事後性の高い行為ですね。読書 が習慣になっている人にとっては、これほどコ ストーパフォーマンスが高い知的活動はほかに はないぐらいですけど、それもまた事後に初め てわかること。まとまった本を読むこと自体に 難しさを感じる人は読書の効用を体感できない。   だからますます本を読まなくなる。事後性のジ   レンマから悪循環が生まれる。まずは四の五の   言わずに読んでみるしかないんですね。そのう   ちわかってくる、としか言いようがない。速読   術だのフォトリーディングだの、そういうこと   を言う人がいますが、ショートカットをしよう   とする人はいつまでだっても本を読めるように   はならないですね。 山口 努力もそうです。つまり、それをやることに   よって、ファイナンス的に言うとリターンがあ   るというので、そのネットプレゼントバリュー   (正味現在価値)がどれぐらい高い努力なのかって   いうのと必ず表裏一体になる。 楠木 面白いのは「努力の投入量がすごく大きいか   ら大変だ」ということじゃないということなん   ですよ。ものすごい量の投入努力が必要だとし   ても、それが手段としてこういう成果なり結果   をもたらしてくれるという囚果関係が事前にわ   かっていれば、人は努力できるし、時間的にも   耐えられるというか、続けられると思うんです。    事後性というのは、そうした囚果関係が事前   にはわからないということですから、その努力   をしたところでどうなるのか、何か返ってくる   のかわからない。こういう局面では、実際はそ   れほど大きな努力を要することではなくても、   すごくつらかったり、不安になったりする。こ   れが事後性の難しさです。 山口 そうですね。リターンが非常にボラティリ   ティー、つまり不確実性が高いとなると努力の   総量そのものよりもその不確実性に人は苛まれ   るっていうことなんでしよう。 楠木 そうなんですよ。昔の司法試験の勉強みたい   な、難易度とか必要とされる努力量がものすご   く大きなものでも、司法試験に合格するという   はっきりした目的に対する手段になっている。   だから、事後性は低い。試験に受かるのかなと   いう「安心な不安」があるだけです。       勝間和代がブームになった理       由 山口 僕も以前に「仕事ができること」の構造とい   うのを考えようとしていたんですけど、なかな   か答えが出ない。 楠木 みんなが仕事ができるようになりたいと思っ   て、いろいろなものを読んだり見たり、何かイ   ンプットしたり努力を投入したりするのに、ど   うもパッとしないのはなぜか。なぜ、そもそも   本当に仕事ができる人が常に稀少なのか。これ   が出発点にある問いだと思うんです。 山口 そうですね。でもまあ、電通時代の僕も全然   できなかったですけどね、仕事。 楠木 僕も駆け出しの頃は、なんで自分はこんなに   できないのかと思っていましたね。 山口 先ほどマウンティングの話が出ましたけれど   も、「仕事のできる人」が「仕事のできない人」   をマウンティングして組み敷く状況がいろんな   ところで起きると、「仕事のできない人」は強   烈なルサンチマンを抱きますね。ルサンチマン   が生まれると、そこに大きなビジネスチャンス   が生まれるわけですが、ここ10年でこのルサン   チマンにいちばんレバレッジをかけだのが勝間   和代さんだと思うんですね。でも最近はあんま   り本を出さなくなっちやいましたね。ビジネス   のほうの話で言うと、ほぼ言い尽くしたという   ことなのかもしれませんが。 楠木 勝間さんの本をそれほど読んだわけではあり   ませんが、僕の印象で言えば、勝間さんは「ス   キルの人」ですね。スキルと法則の伝授。だか   らブームになるし、ブームになると人がどっと   集まる。 山口 BCGの中ではキーワードとして「やっぱり、   これウケないんじやない?」つて言うんですよ   ね。「これ、悪いけどウケないと思うよ」とい   う批判の仕方をするんです。正しいとか正しく   ないと言うのではないんです。「ウケない」と 言うのがどちらかというと顧客目線だとすると、 もうひとつは「ピンとこない」つて言うんです。 「なんかちょっとピンとこねえな、これ」つて。 あともうひとつは、やっぱりセンス。「あいつ はセンスが悪い」とか「センスがいい」という のがあって。  僕は結局BCGにはあんまり長くいずに辞め ちやいましだけど、シニアパートナーをやって いる方から「まあ、いろいろプロジェクトごと に凸凹はあるけれども、ずっといなさい」と。 「それ、なんでですか」と聞くと「お前はセン スがいい」つて言われたことがあるんですよね。 そういう会話をよくしていたんですよ。それで 自分も下の人間に対して「最後、パートナーに なるかならないかはセンスなんで」ということ はやっぱり言っていましたね。でもセンスの悪 い大に「センスをよくしろ」と言ってもそれは 厳しいから、センスのいい人のケースでないと 使わないんですけど。  でもそんなBCGもやっぱり最後は徹底的に スキル評価なんですね。プレゼンテーションと かスライドライティングとか分析力とかでスキ ルのレベル設定があって、そのスキルがある程 度のレベルにまで到達すると「はい、マネ ジヤー」とか、「はい、パートナー」とかいう ことになる。そうしてパートナーになると、今 度はセールスカとか顧客のネットワークをつく る力とか。そうやって要素分解して全部スキル で規定されているんですけど、じやあ、それで ここが弱いからと言われて頑張ってその部分の レベルを上げて、それで仕事ができるようにな るかというと、それはやっぱり。まやかし”な んですよ。スキルレペルというのはある種、デ   キの悪い人を落とすための方便のようなところ   もあって、まあこれも「それを言っちやあ、お   しまいよ」という話なんですが。       400メートル(Iドルー為       末大に見る       「身の置き場所」問題 楠木 スキル的な競争というのは「稀少資源の取り   合い」ですね。典型的なのが、これからも残る 仕事とか、AIが出てきてなくなる仕事とか、 ああいう話。ある種の椅子取りゲーム。何かし らのジョブという稀少資源があって、それを取 り合っている状態。スポーツで言うと世界にI 個しかない金メダルを4年に一度のオリンピッ クで誰が獲るのかというのは、典型的な稀少資 源の取り合いとしての競争ですよね。次期社長 は誰か、というのも同じ。  これとは別に「比較の競争」というのがある。 例えば子どもたちに野原で駆けっこをやるよっ て言うと、賞金とか金メダルとかはないのに ワーツと走りたくなるっていう。これは比較の 競争なんですね。動機が内発的。この二つの競 争というのはそれぞれちょっと意味が違う。  左側の端に稀少資源の配分としての競争が あって、真ん中に比較の競争があって、反対の 端に「趣味が合わねえな」とか、「あ、そうい う人ですか。私は違いますんで」という、そも そも競争にうまく乗らない世界がある。この軸 の左にいくほどスキル、右にいくほどセンスの 世界になる。センスは千差万別なので、比較の 競争も成り立だない。強いて言えば、過去の自   分との比較の競争になる。つまり、自分で錬り   上げていくしかないということですね。試行錯   誤しながら自分の身の置き所を定めて、そこで   自分に独自のセンスを深掘りするしかない。 山口 陸上400メートルハードルの為末大さんが、   彼の哲学として「努力すれば成功する、は間   違っている」と言ったことで炎上したりしてい   ましたけど、彼が言うには日本のプロ野球って   I軍登録選手が300人以上いて全員がプロと   して食えているんですね。つまり、野球の場合   は日本国内において上位300人の中に大れば   プロとして食っていけるわけです。一方で陸上   競技を考えてみると、例えば100メートルス   プリントとか400メートルハードルで「僕は   日本国内で250位です」つて自慢されても意   味がわからないですよね。予選にすら出られな   い。こういった種目で食おうと思ったらグロー   バルのトップ10に入らないといけない。これは   「身の置き場所」としては非常に厳しいですよ   ね。 楠木 職業としてのプロのハードル選手だとそうで   しようね。 山口 だからハードル競技はまさに稀少資源の配分   としての競争の世界なんです。かたやプロ野球   は日本だけでも2軍選手まで入れるとたぶん   800人ぐらいは一応食えている状態なんです   よね。だから、為末さんの話は「自分の身の置   き場所」というのを考えたときに面白いなと   思ったんです。 楠木 面白いですね。 山口 為末さんの場合、もともと100メートルの   スプリントをやっていて、だけど100メート   ルのスプリントでは食えないというのでハード   ルに行って、そこで世界陸上でメダルを獲って   オリンピックにも日本代表で出場したという構   図なんですけど、これがやっぱり競争のなかで   の「身の置き場所」という話だと思うんです。 楠木 為末さんと話をしていると、アスリートの世   界にいながらあんまりアスリート的じゃない面   がありますよね。価値基準を記録とか相手との   勝負ではなく、自分の中に持っていこうという   ところがある。 山口 与えられた競技やルールを所与のものとして、   その中でひたすら頑張るのではなく、自分に   とって有利な競技やルール、「勝てる場所」を   見つけにいくことを頑張るという発想ですね。 楠木 どの軸で勝負するかというのを自分で選んで   いるということですよね。 山口 そこなんです。話を聞いていると、彼はハー   ドルのことは全然好きじゃないんですよね。こ   こが面白いところで、とても戦略的なんです。 楠木 僕が彼と会って話したときの印象では、ハー   ドルという競技そのものよりも、自分に固有の   才能というか、才能を自己発見していくプロセ   スに思い入れがある。これって、才能というも ののひとつの本質を突いていると思うんですよ。 才能というのは自分であとから気づくもの。つ まり、さっきの話で言う事後性が高い。スキル の場合は事前に自らが意図して「こういうスキ ルをつけよう。だからこういう方法をとって」 となるのに対して、センスとか才能というのは 「自分にこんな才能があったんだ」つてある瞬 間に気づくという面があると思うんですよ。為 末さんが子どものころに、走っていたら犬より 速くって「俺、足が速いのかなと思った」とい うのを聞いて、いい話だなと思ったんですけど。 山口 才能やセンスは自分にとって「できて当たり   前」のことなんで、きっかけがないと「それが   他人にとってはできないことなんだ」というこ   とになかなか気づかないんです。その人のいち   ばんスゴイところほど、自分にとっては当たり   前のことで、言語化したことすらないようなこ   とですよね。       ユニクロ・柳井正が       己の才能に気づいた瞬間 楠木 あとね、柳井正さんのエピソードで好きなの   があるんです。お父様がやっていた紳上服屋を   任されたとき、柳井さんは要するに創業家の二   世ですから、自分の好き勝手にやろうとしたら、   それまでいた従業員たちがみんな嫌になっ   ちやって6、7人いたうちの1人を残して全員   辞めてしまった。それで仕方がないので自分で   接客も買いつけも経理も採用もすべての業務を   一人でやらなきやいけなくなった。もともと経   営というのは「担当がない」仕事ですね。そこ   に「経営者」と「担当者」の違いがある。商売   の丸ごとすべてを相手にする経営者の仕事を余   儀なくされて、やってみたらどんどん成果が出   る。そこで初めて「あ、オレは経営が向いてい   るのかもしれない」と気づいたというんですね。   それまでご自身は商売が嫌いで向いていないと   思っていたらしいんですけど。    そういう意味での、事前に計画どころか自己   認識や自己評価もできないという面がセンスに   はあると思うんですよね。 山口 そうですね。それは私も思うところがあって、   まず事前に思っている自分の強みはだいたい外   れているものです。 楠木 ですよね。 山口 若い子に言うのは「まず間違っているから」   と。「まず事前にはわからない」と言うんです   が、わかないということが若いうちにはなかな   かわからないんですね。でも実際には、事前に   わからないというのはもちろん、事後にもわか   らないということが多いと思うんです。客観的   に自分の状況を見て、明らかにこれよりこっち   のほうが得意だよねということがわかるように   なるためには、相当に自分を客体化して分析す   る醒めた視点がないと難しい。柳井さんはそこ   がすごい方だと思うんですね。現在でもそこは   すごいと思うんですよ、非常に自分を客体化で   きるというのは。 楠木 そうですよね。 山口 同じように「好き」と「得意」というのはま   た別にあって、何か得意かというのはやっぱり   やってみないとわからない。やってみたとして   も、相当に自分の思い込みがあって、自分の目   の前に起こっている現実というのを客観視して   みたとき、自分の認識が実は間違っていて、苦   手だと思っていたことのほうが得意だと判断す   るというのは、なかなかできることではありま   せん。 楠木 だから結局、何かしら自分の外にある準拠点   というものをどうしても必要とすると思うんで   す。為末さんの場合だと犬、柳井さんの場合だ   と売上げですよね。仕事ができている状態をど   うやって認識するのかというと、結局のところ   は市場の評価だったり顧客の評価だったり、要   するに他者評価にしかならない。仕事ができる かどうか、自己評価の必要はI切ない。こう考 えたほうがシンプルですっきりしますね。自分 に甘いのは人間の本性です。どうしても自己評 価は甘くなる。だいたい過大評価になっている と思っておいたほうがいい。  自己を客観視するということは、顧客の立場 で自分を見るということです。仕事ができる人 は、常にこの視点が自分の思考や行動に組み込 まれている。自分が何をやってもらったらうれ しいのかを考えて、それを他者にしようとする。 最悪なのは自己陶酔。自己客観視が完全に失わ   れている状態ですね。こうなるともう自分を見   失っているとしか言いようがない。       「AC/DC」に見るセンス       の不可逆性 楠木 センスとかアートの性格を考えると、。自己   革新”は言うほど容易ではないと思うんですね。   センスというのはその人の持っている「芸」と   か「芸風」みたいなものです。芸風と心中する   ということが、本当のプロの姿なんじやないか   なという気がしています。僕はAC/DC   (エーシーしディーシ士というロックバンドが好   きなんですけど、彼らについてよく言われるの   が「どの曲を聴いても全部同じ。しかも、何十   年もずっと同じ」つていう……。ジェームスー   ブラウンとかもそうですよね。 山口 ああ、いいですね。 楠木 AC/DCはずっとそういう批判をされてい   て。まあ、彼らの音楽に興味がない人には確か   にそう聴こえると思うんですね。アンガスーヤ ングというバンドの中心になっているアイコ ニックなギタリストがいて、「AC/DCはD一 枚も同じアルバムを出している、マンネリだと 言われていますが」と聞かれたとき、彼は「い や、それは間違っている」と。どこが間違って いるのか、と聞かれて「13枚だ!・」と言ったっ ていうんですね。僕はこの話が好きで。センス にはけっこうそういう不可逆的というかリジッ ドな中核があるんじやないか。  自分がいちばんの拠り所にしているセンスと かいうアーティスティックな何かというのは、 それが内発的なもの、時間をかけて錬り上げら れたものであるからして、なかなか変えられな い。例えば「状況が変わった。時代とズレてき た。さあ、変えましよう」と言っても、本当の プロであればあるほどなかなか変えられないの ではないか。その人の中ではひとつのセンスと 心中するといったようなもので、「もし別のセ ンスを手にしようと思ったら、それは来世だ」 みたいなところがあるんじやないかなと思うん です。世の中ではやたらと「自己革新だ」とい う話が出てきますね。それはそのとおりなんで しようけど、ただ僕は、その人の中核にある余 人をもって代えがたい能力をそう簡単に変えら れるのかなっていう気がしています。  ただし、センスには汎用性があります。スキ ルは狭い。「ポータブルなスキルを持て」と言 うけれど、その分野にはまらないとスキルは使 えない。一方のセンスは、組織はもちろん、職 位や職務領域を超えて、しかもどんな局面でも 四六時中使える。センスのほうがむしろ汎用性 が高いと思うんです。さまざまな領域に広範な インパクトをもたらす基盤的技術を「ジ子不ラ   ルーパーパスーテクノロジー」と言いますが、   センスは「ジ于不ラル≒ハーパスーコンピテン   シー」。その人のあらゆる仕事の拠り所ですね。   しかし、それだけに、土台から変えるというの   はほとんど不可能ではないでしょうか。 山口 なるほど。ただし一般的な仕事と言ったとき   に、職位が上かってくると仕事の質って変わっ   てくるじやないですか。現場にいるときは二コ   ニコしていてちやんとコピーを取れれば「なん   か、あいついいな」とかって言われるわけです   けれど、だんだん仕事の質が変わってきて論理 で解ける問題だけ解いていればよかったものが、 そういうものも減ってきて、社長になるともう 訳がわからないようになる。「Aとも言えるし、 Bとも言えるけれども、なんとなくBかな」み たいなことが当たるかどうかっていう、あたか もサイコロを投げるような仕事になっていきま すよね。  だから、そう考えたとき一口に仕事ができる というのも、ある意味で乱暴な言葉で、入社し て3年目までの仕事ができるというのと、課長 さんで仕事ができるのと、部長さんで仕事がで   きるのと、執行役員クラスで仕事ができるとい   うのでは、全然構造が違ってくる。 楠木 違いますね。 山口 そこって、やっぱり芸風が変わらないという   不変の部分の話と、ちょっとそろそろ変わって   くれよという側面も、ビジネスマンの場合はあ   るように思うんです。 楠木 それはあるでしようね。最初はスキルがつい   てくる。ところが、マイナスからゼロまでいく   と、その後にプラス域に持っていくセンスの問   題になる。ここでキャリアのフェーズが変わり ますね。このとき、スキルであれば100の人 からゼロの天まで縦一線に並ぶのだけれども、 センスになると「こういうセンスにいく天」 「ああいうセンスにいく天」という横方向の違 いが大きくなる。  だから、そのフェーズになると組織との フィットという問題が深刻になってくると思う んですよ。全方向的なセンスというのはあり得 ない。AC/DCじやないですけど、自分の芸 風のほうが固定されていて、それと合うような ポジションというのを探していくというのが   キャリアの途中からの基本的な構図になってく   るのではないでしょうか。       センスがない人が出世する組       織の不幸 山口 北野唯我さんが『天才を殺す凡人 職場の人   間関係に悩む、すべての人へ』(口本経済新郎出版   社)の中で言っている面白い話があるんですが、   個人の中にも凡才と天才と秀才がいて、秀才が   やっぱり天才を抑えつけると。秀才はスキルに   頼ろうとして、自分の中の天才はセンスにいこ   うとするんだけど、それでいこうとすると、怖   いとか、上司に潰されるかもしれないとか、ま   わりから「いいね!・」されないかもしれないと   いうんで、秀才君に頭の中で負けるというんで   すね。 楠木 それでも、秀才に従っているうちに「やっぱ   り違うんじやないか」ということで、その人の   中の「天才」に回帰していく。そういう試行錯   誤の成り行きはよくあることだと思います。 山口 そうですね。組織論の世界だとラムーチャラ   ンという大変有名な先生がいて、彼がずっと   言っていることは非常にシンプルで、僕が先ほ   ど言ったこととも重なるのですが「キャリアつ   て途中で全然種目が変わるよね」ということな   んですよ。現場のときには与えられた問題をと   にかく解いていれば優秀だと言われる。課長ぐ   らいになると問題の多少の整理ができれば優秀   と言われる。そうして問題を解く仕事から問題   をつくる仕事にレベルが上かっていく……日本   で言うと部長から本部長クラスのところ、そこ   に大きなキャリアの断絶がある。 楠木 それこそスキルとセンスの断絶ですね。 山口 そうです。低い職位では比較的スキルは有効   なんですね。上司から「これをやれ」と言われ   て期日どおりにきっちりと仕事がこなせれば評   価されますから。ただ、そんなことで評価され   るのはせいぜい課長さんのレベルまでなんです   ね。管理職として職位が上がってくると、仕事   の優先順位をつけて資源配分をする、というこ   とが求められるようになるんですけど、この優   先順位づけにセンスがモロに出ます。ここで問 題になるのがスクリーニングの順序で、日本の 場合、まずスキルがある人が管理職に昇格して、 そのなかからセンスのある人を選り抜いていく という形なんですが、本当にそれでよいのかと いうことです。  例えばGE(ゼネラルよレクトリック社)のCE Oを務めたジャック・ウェルチつて、三十代で 役員になっているんです。大学を卒業して10年 かそこらで経営者になっているわけです。つま り最初から「こいつはセンスがいい」とタグが 付いているんですよ。このセンスを見極める、   あるいは鍛えるためにかなり若い段階から実際   の経営職につけてみるわけですね。担当者の仕   事はスキルでなんとかなりますけど、経営の巧   拙にはセンスがモロに出ますから、それで確認   するのと同時に鍛えているわけです。 楠木 今はどうか知りませんけど、当時のGEはセ   ンスのタグ付け能力がきわめて秀でていた。僕   もずいぶん前にGEの経営幹部向けのトレーニ   ングプログラムで教えていたことがありますが、   センスのタグ付けで組織をつくっていくことに   血道を上げている会社、という印象を持ちまし   た。 山口 日本企業の人材育成を考えてみたときに欠落   しているのが「センス」のタグ付けの部分です   ね。スキルがあってハイパフォーマンスなんだ   けど、センスの面でのポテンシャルはよくわか   らない、という人をそのまま「ハイパフォーマ   ンスだから」ということで上にあげてしまうと、   本人にとっても組織にとっても不幸なことが起   きます。    今はハイパフォーマンスなんだけど経営者と   してはローポテンシャルな人と、ハイパフォー   マンスでかつ経営者としてもハイポテンシャル   という人をどう切り分けるかというのは、もの   すごいニーズがあります。生臭く言うとコンサ   ルティングビジネスのテーマとしてすごくおい   しいんですね。 楠木 そうでしようね。山口さんがおっしやった   キャリアの断絶というのは別に日本だけではな   くて世界のどの国にもあると思います。ただ日   本の問題はそもそも区分がきちんとできていな   い。ここからさまざまな悲喜劇が始まっている   と思うんです。特定のスキルに秀でたスペシャ リストは秀才一辺倒でまっとうしてくれと。給 料もちゃんと払うから、その人はその人でスペ シャリストとして幸せに生きていってくれとい うのと、本当に経営をして組織全体を自分が決 めた方向に引っ張っていくジ于不ラリストとは、 仕事が根本的に異なる。ここをごっちゃにして しまうことからいろんな不幸が始まっていると いうのが僕の見解です。  ジ子不ラリストというと、今は専門性がない 人みたいに矮小化されがちですが、本来「ジェ ネラル」とは総攬者。要するに「大将」。全体 を丸ごと動かし、結果に対して責任を持つ人で す。商売の場合だと「儲ける」ことに責任があ る。だから、前に出た話で言うと、いつもトン ネルを両側から掘らなければいけない。日々の 仕事の一挙手一投足が、最終的な成果とつな かってないと仕事にならない。  一方でスペシャリストとかスキルの人は、も ともとその人に要求されている仕事の中身がス キルセットとしてきちんと定義されている。ト ンネルを両方から掘る必要はないわけです。 「この人はここに行ってくれればいい」と初め   から出口が決められている。片方から掘るだけ   でも「きちんとやってくれた」という評価がな   される。そもそも組織全体の最終成果に対する   責任がないわけです。       すぐに「分析」する人は仕事       ができない 楠木 トルストイの『アンナーカレーニナ』の有名   な書き出しに、「幸福な家庭はどれも同じよう に幸せだが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸 である」というのがありますね。センスはその 逆だと思つていまして、「センスがある大は千 差万別だが、センスがない大はみな同じように センスがない」。だからセンスがない人のほう が特徴を説明しやすい。  仕事ができない大つてどういう大なのかと考 えると、ひとつには「すぐに分析したがる大」 というのがある。例えば「はい。じやあ、この 事業の戦略を考えましよう」と言うと、すぐに 調査・分析に走る。ひたすらSWOT分析   (Strengths=強みWeaknesses=弱み、〇名ortunities=機   会、Threats =脅威)するとか。この手の人のこと   を僕は専門用語で「swoTTER」つて呼ん   でいるんですけど。 山口 専門用語なんですか……。 楠木 私的専門用語です(笑)。大きな会社には経営   企画部門とかそういう部署があって、しばしば   swoTTERの巣窟になっている。そういう   大に「こんなことをやっていても、いっこうに   優れた戦略は出てこないし、とうてい組織は動   かせませんよね」と言うと、みなさん頭はいい のでそんなことは自分でもわかっているわけで す。不思議なのは、なぜ意味がないとわかって いることに明け暮れるのか。要するに、分析調 査というのは仕事ができない人にとってとてつ もない吸引力を持っているんですね。あっさり 言ってしまえばテンプレート上の「作業」。仕 事はできなくても、とりあえずの作業はできる。 で、なんとなく人に見せられる資料という成果 物はできる。人に示すことができる形でブツが 出てくる。こういう「作業の誘惑」つてすごい 強いんですね。しかし、それは経営でも戦略で もなんでもない。  初めに話したように、「モテる」、これはどう 考えてもセンスとしか言いようがないものです が、会社の中にはすぐに「モテ」を分析しよう とする人がいる。分析というのは要素分解です。 モテを要素分解すると、人事の「スキルフルな 人たち」が出てきて、モテる要素を大喜びで測 定し、挙句の果てにレーダーチャートみたいな ものをつくったりする。世の中よくできていて、 この段になると、決まって「こうやったらモテ ますよ」というスキルめいたものを持ってくる ヤツがいる。なるほど、ということで「モテの 要素」をすべてマスターする。で、何か起きる かというと、ますますモテなくなるんですね。  こういう成り行きを匸一。肖で言うと、「プロキ シ」(proxy=代理)という言葉が僕にとって しっくりくるんですよ。本来は最終成果につな かっているべき仕事がすぐに何かのプロキシに なっちやうんですね。本当だったら競争のなか で会社がもっと業績を出すために戦略をつくる はずなのに、SWOT分析という作業が戦略の プロキシになってしまう。  スキルはプロキシを誘発しやすいんですね。 英語ができる、プログラミングができるという のは、それ自体は価値のあることなので、なん のためにそのスキルがあるのか、それでどうい う成果が出るのかまでつながらずに、スキル向 上で思考停止してしまう。それでもスキルは確 かに向上するから、とりあえず達成感があるし、 それはそれでその日の不安が解消される。  やっぱりなるべく評価されたい、今すぐ評価 されたいという気持ちが人間には必ずあります から、そういうものがプロキシをどんどんつ くっていくんじやないかなと思うんです。その 結果として、小さなことにはすごく敏感なのに 大きなことに対してはやたら鈍感だったりする。 組織がダメになっていくときに「こんなこと やっていて大丈夫なのかな」とか「根本的に何 か間違っているんじやないかな」という大きな 問題を正面から見ずに小さなところに入り込ん でしまう。     カル囗スーゴーンの勘所 楠木 組織全体をトップからプロキシの考え方で下   へ下へとおろしていくのは、ある種、洗練され   たマネジメントです。きちんと分業してそれぞ   れにKPI(key performance i己icator =重要業績評価指   標)を与えていく。ま、合理的な組織設計です   よね。    これはもしかしたら日本よりもアメリカのほ   うでよリ顕著な問題かもしれないんですけど、   アメリカの伝統ある大きな上場企業とかを見て   いると、日本よりも過度にKPI一本槍のマネ ジメントで会社を動かしているケースがある。 それぞれの部門のKPIには一定の合理性があ るのですが、それぞれのKPIを持って全員が 走ったときに、それを合成したものが本当の成 果になるのかというのは、また別問題なんです ね。それぞれの部門のKPIは完全にはMEC E(ミーシー。ヨutually exclusive and collectively exhaustive ‥ダブりがなく漏れもない)になっていない。そん なことは不可能です。どこかに無理や欺瞞があ るんですけど、「それはちょっとおいといて」 というところがある。    そのときに「自分の任期いっぱい、この程度   まで達成すればボーナスも出るし」というダメ   な経営者と、「その矛盾がグワーツと集まった   ときにそれをどう解くのかは俺がやるから、お   前らはKPIでいけ」というアメリカンな意味   で優れた経営者がやっぱりいる。これができる   というのは、本当に仕事ができるということ。   こういう人がいてこそのKPIマネジメント。   KPIだけではすぐに行き詰まってしまう。 山ロ カルロスーゴーンさんがめちゃくちゃぶっ叩   かれていて、ひどいことになっていましたけど、 彼が日産に来たときにはわりとオーソドックス なリストラをやったといわれている。やっぱり あの人は組織マネジメントの勘どころをわかっ ているんです。  僕が聞いて面白いなと思っだのが、コーンさ んが来る前の日産は、デザイン担当とコスト管 理担当が役員レベルでは同じ人だったんですよ ね。コストとデザインはトレードオフの関係に あります。デザインをよくしようとするとコス トが上がる、コストを抑えようとするとデザイ ンが犠牲になる。だから、この二つを一人の責 任者が担当すると低レベルの妥協が生まれちや うわけです。そこにコーンさんがやって来て 「お前はデザインをよくしろ」「お前はコストを 下げろ」ということで二人の責任者に分けたん です。要するに「デザインの責任を取る人はあ なたで、とにかく毎年行っている市場調査のデ ザインのポイントをここまで上げてください。 あなたはコストの責任者で、今あるコストから 平均してこれくらい下げてください。それでケ ンカするときはどうぞケンカしてください。ど うしてもケンカがうまくいかないとなったら、   俺に持ってこい」と言ったんです。ある意味で、   わざと部分最適化させた。そうするとやっぱり   パワーが出るのでデザインの人はもう「デザイ   ンだ!・」つていくし、コストのほうは「どう   やったらコストが下がるか」つて突っ走って、   あえて部分化したということなんです。だから、   そこの勘どころはやっぱりすごくメリハリが利   いていた。 楠木 日産のV字回復のころ、初期のコーンさんは   非常に優れた経営者だったと思います。それは   最終的な責任は取ってくれるとか、そういう 「人間力」ではないんですね。ま、今となって はコーンさんに人間力があったかというと、相 当に疑問ですけど。  きちんと組織を分業していくと最終的にあり とあらゆる矛盾というのがトップのところに集 まってくる。どうしてもそこにしわ寄せが来る ので、そこできちんと判断して優先順位を決め られるというセンス、これがコーンさんには あった。ただし、もう一段上の話になりますが、 その手の「合理的な経営」というのは「マイナ スをゼロにする」にはすごくいいんですけど、   ゼロからプラスをつくっていくということにな   ると……。 山口 そうですね。ひどい状態をマトモな状態にす   るのと、マトモな状態をスゴイ状態にするのと   では、まったく異なりますね。 楠木 いま取りざだされている個人的な素行の問題   は別にしても、途中からのコーンさんは優れた   経営者とは言えないと思います。ごくシンプル   に言って、業績が不十分ですね。ときどき日産   をお手伝いすることがあるのですが、コーンさ   んが日産の経営を事実上離れて、ルノーとのア ライアンスの上に乗っかった仕事をするように なったころは、KPIマネジメントの悪い面が 出ていたと思う。依然としてコーンさんは最後 に自分のところに集めて、全権を持って裁量を しているんだけれども、肝心の商売としては成 果が出なかった。コーンさんの場合、仕事の種 目が日産の中のリストラから日産のグローバル な競争力をつくっていけるのかというところへ シフトしていったわけですが、それには対応で きなかった。       「担当者」と「経営者」の仕       事の違い 楠木 当たり前の話ですが、一人で全部できません。   分業は絶対必要なんです。そこで「分業してい   るんだけど分断されていない状態」をつくるの   が経営の本領ですね。そういう仕事って自分が   全部を動かせるという、少なくともそういう意   識を持っていないとできない。要するに「担当   者」と「経営者」という話なんですけど。「私 の仕事はここからここまでで、KPIはこれな のでいつまでに達成します」という担当者の仕 事は、どうしても全体感に欠ける。  では、全体を相手にするとはどういうことな のか。商売はつまるところ長期利益を求めるも のです。利益の定義は「WTP−C=P」とい う単純な式で表せる。WTP(willingness to pay = 支払意思額)というのは、お客さんが払いたくな る水準の金額。企業側からするとレペニュー (revenue =収入)ですね。Cはコスト(S忌。WT Pを達成するにはコストがかかる。利益という のは、要するにWTPからCを差し引いた残り です。プロフィット(F号を増大させるため には、WTPが上がるか、Cが下がるか、もし くはその両方かの三つしかないわけです。  自分で観察していてすごくしっくりきている んですけど、全体を相手にする人というのは、 もう一挙手一投足のすべてがその三つのどれか と明確につなかっている。裏を返せば、つなが らないことは仕事にしない。つまり一本のメー ル、一回の電話、一回の会議、その取り回し、 何か質問をする、人と会う、メモを取る、なん   でもいいんですけど、そのすべてが結局、WT   Pが上がるのか、コストが下がるのか、その両   方にか、どれかにつなかっている。これが全体   を相手にしているということじやないかなと思   うんです。 山ロ テッペンに利益を置いて、それがWTPとコ   ストという二つの枝に分かれる。そこからさら   に細かく枝葉が分かれて、それこそ末端に達す   ると新入社員がコピーを取るとか事務員がお茶   を入れる、というような作業がある。この全体   の樹形図の中で自分の行動が今どこに位置付け   られているのか、ということを常に意識してい   るということですね。確かに、センスのない人   の特徴として活動が局所化・部分化する傾向が   ありますね。だから優先順位が無茶苦茶になる   わけですが、あれは全体の系図が見えていない   からなんですね。 楠木 「お詫びのスキルがひたすら上達する客室乗   務員」という話があるんです。僕は自腹で出張   するときは、飛行機は必ずエコノミーに乗るん   ですが、エコノミー席だと機内食といっても選   択肢が2つぐらいしかない。例えば、「照り焼 きチキン丼」か「カレーライス」というのがよ くあるパターン。  客室乗務員がエコノミーの前のほうの席の人 から順番に注文を取っていく。後ろのほうの席 に座っている僕としては、カレーライスにした いと思いつつ、彼女が注文を取りに来るのを 待っていた。ところが、僕の何列か前のところ でカレーライスが品切れになってしまう。 「カレーはもうないのですか?」と聞くと、乗 務員は「本当に申し訳ございません……」と、 心の底から申し訳なさそうな表情と声のトーン でお詫びをしてくださる。お詫びスキルのある 優れた接客担当者であることは間違いないんで す。こちらとしても自然と「いや、照り焼きチ キンで結構です」ということになる。  数力月後、同じ路線の出張でエコノミーに 座っていた。例によって照り焼きチキンかカ レーライスかの選択。で、またしても僕の直前 にカレーライスは品切れになってしまうんです。 それで、客室乗務員が前と同じようにスキルを 総動員した「プロのお詫び」をしてくれる。 「チキンで結構です」と答えつつも、僕は不思 議な気がしたんです。このお詫びのスキルに優 れた乗務員はこれまでに何百同お詫びをしてき たのだろうと。繰り返すたびにお詫びのスキル が磨かれてきたに違いない。  それにしても、なぜ同じ欠品を繰り返すのか。 もう少し「全体」の視点があれば、お詫びスキ ルを磨くよりも、「チキンとカレーの発注ミッ クスが悪い。明らかにカレーを選ぶ客が多いの で、従来の5一5ではなく、3一7でカレー に傾斜した発注に変更するべきだ」という提案 を機内食の調達部門に出して、発注ミックスの 変更に動くはず。そうすれば、上手に謝るより も顧客の満足度が上がるI。  もっと踏み込むとこういう手も考えられます。 そもそも機内食を2種類用意するのが間違って いる。どうせエコノミー、顧客は食事にはそれ ほど期待していない。だとしたら、いっそのこ とカレーライスに一本化したほうがいいのでは ないか。オペレーションが簡素化する。食事の 仕入れコストも多少なりとも下がる。しかも、 そうすれば乗客の希望とのミスマッチがそもそ もなくなるし、手際もよくなるので、かえって 顧客の満足度は上がるかもしれないI。こう いうのがセンスなんです。ところが担当者であ るこの客室乗務員は、謝るスキルだけがひたす ら上達していく。担当者には「全体感」がない わけです。  よく「みんなが部分最適化になってしまいま して」という話が出てくるのですが、これこそ 経営能力の問題ですね。それは担当者レベルの 仕事というのは、本来的に部分最適化するもの です。彼らがスキルを発揮してガリガリやれば、 必然的に部分最適化する。だから全体に向けて   統合する経営者が必要になるのです。       小林一三とチャーチルのセン       ス 山ロ コーンさんの話もそうなんですが、仕事がで   きる、できないというのは、先はども申したよ   うにけっこう文脈依存的だと思うんですね。そ   れで僕が思い出しだのは小林一三さんなんです。   もともと慶應義塾大学を出て三井銀行(現・三井 住友銀行)へ入っだんですけど、吉原で飲んだく れてて朝になっても会社へ来ないとか、まあ、 いろいろ大騒ぎたった人なんです。結局30歳過 ぎまで三井にいたんだけど、左遷に次ぐ左遷で すよ。それでこのまま三井にいても先は知れて いるというので、箕面有馬電気軌道(阪急電鉄の 前身)という関西のベンチャー企業に行ってか ら大爆発した。  彼の場合、優秀さというか、もちろん仕事が できる天才的なビジネスマンですし不世出の人 だと思うんですけど、その才能はベンチャーで   鉄道をやって、具体的で物理的な場所をつくる   とか、人を動かすというフィジカルなビジネス   をやるときに発揮された。三井銀行で投融資と   かいうときには、もうまったく残念な結果に終   始するんですね。 楠木 鹿島茂さんのお書きになった小林一三の評伝   『小林一三 日本が生んだ偉大なる経営イノ   ペーター』(中央公論新社)つて、お読みになりま   した? 山口 はい。 楠木 あれは本当に素晴らしい本で、小林一三評伝   の決定版ですね。小林さんの銀行員時代と鉄道   のベンチャーに入ってからでは、生き生き度が   まったく違う。 山ロ ウインストンーチャーチルという人も非常に   極端な人で、僕は一時期チャーチルのことをず   いぷんと調べたんですけれども、あの人は何か   下手かというと資源配分ができないんです。調   整が全然できない。行政とか政治って基本は   「art of allocation=配分のセンス」なので、福祉   はこれぐらいやって、あいつもうるせえし、   じやあちょっと産業振興にこれぐらい、とか調   整するのが政治なんですけれども、チャーチル   はそうではなく挙国一致体制でナチスと戦う。   もう資源配分なんてないんですよ。ナチスと戦   うためにわれわれは工場で戦う、キッチンで戦 楠木 資源制約を取っ払うわけですよね。 山口 全部ここに注ぎ込む。 楠木 なるほど。 山口 もう政治家としては全然向いていないわけで   す。政治のセンスがない、つまりアロケーショ   ン(配分、割り当て)のセンスは全然なくて、調   整のセンスもないんですけれども、全権を自分   が手に入れてある相手と戦うという局面ではき   わめて強力なセンスを発揮する。ですから、パ   フォーマンスがジェットコースター的に上下す   るわけですね。ちなみに戦車って、チャーチル   の発案なんですよ。 楠木 そうなんですか。 山口 あれもイノベーションのすごく面白いところ   で、第一次世界大戦で西部戦線が膠着状態に   なっている時に、当時実用化されたトラクター   に装甲をつけて塹壕に突入させたらどうだとい   う案を陸軍の中佐が言い始めたのですが、陸軍   では採用されなかったんですね。採用されない   理由が非常にわかりやすくて、「騎上道精神に   反する」という話で。 楠木 なるほど。 山口 いかにもイノベーションの阻害要因ぽいんで   すが、そこで「これ、面自えじやねえか」と言   い出しだのが当時海軍大臣たったチャーチル   だったんです。陸戦の素人ですけれど「オレが   研究費用を出してやるから一回プロトタイプを   つくって使ってみよう」とやってみたら、メ   チヤメチヤ有効だというので、第一次世界大戦   で「マークー」という戦車が造られるようにな   る。       どこで勝負するかという「土       俵感」 楠木 全方位的にセンスがある人というのはいない。   本当にセンスがある人というのは単にセンスが   あるだけではなくて、自分のセンスの「土俵」 がよくわかっている。これが自分の仕事なのか、 そうじゃないのかという直感的な見極めが実に うまい。これが本当にセンスがあるということ でしょう。  初めのうちは迷ったらとにかくやってみる。 ところが、いつまでだってもそのやり方を続け ている大というのは、たぶんセンスがない。 「これは自分の領分ではない」と思うことには 手を出さないという「土俵感」。「これが自分の 土俵だ」という感覚がだんだんはっきりとして くる。これもまた仕事ができる人の特徴だと思 います。断るのも能力のうち、ということです。  コーンさんはたぶん途中で自分の土俵でなく なってしまっだのだけれども、立場上、あるい は本人の意欲のうえでもずっとあのポストにい たいと思っていた。その結果、かなりズレが出 てきたのかなという気がします。小林さんも阪 急では天才的な事業センスが爆発したけれども、 三井銀行ではそうとう苦しかったと思うんです。 でもそれってまったく同じものを両方から見て いるだけなんですね。彼がもし三井銀行の仕事 にもっとコミットして「優れた銀行員にならな   きや」つていうふうにやったら、自分の強みを   「だわめる」ことになったんだと思うんです。 山口 そうですね。だからセンスつて、一軸じやな   いということなんだと思うんです。 楠木 ですよね。 山口 ある状況のなかで非常にパフォーマンスが出   るというセンスがある。文脈依存的で、その文   脈に適したセンスを自分が持っているのか、   持っていないのかを判断できるメタセンス認識   のセンスみたいなものがあるとすごくいい。    ただ、それはいろいろ試してみないとわから ないですよね。だから打席に立っていろいろな 球を打ってみて「なんかオレ、ほかの人みんな が空振りする外角低めのスライダーを自分だけ うまくちやんと引っ張れるんだよね」というの がわかってくると、そのあとからはもうそこの 球だけ狙ってスイープしていく感じになる。そ この拡散とアコーディオンみたいな幅の広さは、 すごく大事な気がします。何か中途半端に広め なくて中途半端に狭めないみたいなことではな く、もう思いきり広げて思いきり狭めるという のをキヤリアのなかでやれているのは、すごく   自分の急所をわかっているということだと思う   んです。 楠木 今のお話に二つかぶせると、一つは打席に   立っているうちに自分で気づくというのはある   んですけれども、明らさまな気づきとして、注   文が来る来ないというのがあって「なんでこれ   は自分が思っているよりも客が喜んでくれてい   るんだろう」とか、「あ、ここは自分の土俵な   のかな」というふうにお客が教えてくれるとい   う面がやっぱりあると思うんですよね。それも   結局、試合に出ていないとわからない。    もうひとつ、スキルであれば、それが自分の   土俵なのかどうかというのは先験的にわかるわ   けです。「この仕事をお願いします」と言うと、   「ああ、僕は管理会計なんで。これは財務会計   ですから、僕の土俵じやないです」と外在的な   基準で土俵が決まっている。ところが、センス   を基準にしたときに、その仕事が自分の土俵か   どうかは、そうとう難しい見極めなんですね。   それは誰も直接的には教えてくれない。自分で   見極めるしかない。 山口 やっぱりそこは見る力というか、五感がやっ   ぱりすごく大事だと思うんです。落語をやって   いる入って、プレゼン上手な人が多いと思うん   ですね。電通で僕の師匠みたいだった人に白土   謙二さんつていう方がいて、この人、天才的に   プレゼンテーションがうまかったんです。 楠木 ユニクロとかやっていらっしやった。 山口 そうです。 楠木 僕も何回かお目にかかったことあります。初   対面からセンスをビンビン感じさせる方ですよ   ね。 山口 それであの人は、落研出身なんですね。 楠木 そうなんですか。 山口 それで、一回落語について聞いてみたんです   けど、やっぱり自分で面白い・面白くないと判   断しているうちは全然面白くないそうなんです。   面白い・面白くないの判断は、観客がやってい   るんですね。あと、大きな会場になると声はほ   とんど同時に会場の人全員に届いているんです   けれども、笑いの波っていうのはザーツと後ろ   に向かって進んでいくというんですね。いちば   ん後ろまで20メートルの会場といちばん後ろま   で40メートルの会場だと、話の間を変えていか   ないと、もうガチャガチヤになると。    そういうことも頭に入れながら、そのうえで   大事なのは、ある人が笑ったという笑いのレー   ダーみたいなものが自分の中に育っていって、   ウケてるウケてないということがすごく客観的   に見られるようになることたというんです。 楠木 なるほど。 山口 もう一人、落研出身で本当にプレゼンがうま   い人がいて。サンプル数は2つなので実証的で   はないんですけど、どうも自分の目の前で何か   起きているのかということを見る力、そこがな   いと外しているのに気づかないんじやないかと   思うんです。       センスと意欲のマトリックス 山口 あとセンスの話で言うと、センスと意欲のマ   トリックスというのもあって、軍隊の中で誰に   リーダーをやらせるかというときに、「センス   はあるけど意欲はない」という人はなるべく楽   して勝とうとするので、いちばん大将に向いて   いる、と。で「センスがあって意欲もある」と   いう人は大将を支える参謀が向いている、と。   いちばん困るのが「センスはないけど意欲はあ   る」という人で、こういう人が組織を引つかき   同したり、スジの悪い突撃をやらせたりして部   隊を全滅させたりするわけです。 楠木 いちばんいけないですね。 山口 これは射殺しろと。最後に「センスも意欲も   ない」という人は、KPIでしばいて現場をや   らせろという。これは、確かナチのゲシュタポ   で言われていたことで、なかなかタッチーな話   なんですけど。 楠木 おっかないなあ。 山口 ここにスキルをかけるとまたちょっと複雑に   なるんですけど。スキルはあるけれどセンスは   ない人。センスはあるけどスキルはない人。誰   にどれをやらせるかという問題もある。でも、   もともとあるのは意欲とセンスのマトリックス   で、このマトリックスに対してスキルによって   ある種の復讐をするというのが今の構図なのか   なっていう気がするんですね。 楠木 なるほどね。 山口 意欲は己の気の持ち方次第で根性を入れれば 出せます。ただ意欲はあるけどセンスはないと いう人は射殺されちやうので、どうやってもセ ンスがある人に勝てないっていうふうになる。 まあ、大将と参謀ですからね。だからこうなる とやっぱりスキルでリベンジするしかないとい う構図になっているんじやないかな。     プ囗のすごみは、     やることの「順序」に表れる 山ロ ルイス・ガースナーがIBMに着任したのは   IBMがひどいことになっていた1993年   だったと思うんですけど、3ヵ月後ぐらいにI   BMの再生計画を発表するときに、巷間言われ   ていたのは、会社をバラバラに分割をして迅速   に市場に対応できるスモールカンパニーの集合   体にするだろうということでした。    しかし、記者会見の発表の内容は「工場を閉   鎖する。従業員を切る。価格は上げます」とい   うもので、マスコミが期待していたその当時の 流行のワード、「ビジョン経営」とか「アジヤ イル」(在す‥機敏な)とか「スモールファース ト」(Think small first. =小企業を第一に考えよう)とか 「分割」などが全然、記者会見では出てこな かった。  それである記者が「新しいIBMのビジョン はないのか」と聞いたら、ガースナーはけっこ うつむじ曲がりのところがあるので、「IBM はいま、集中治療室に入っている患者で、あり とあらゆるものが必要だが、唯一必要じゃない ものはなんだと言われたら、まあビジョンだろ   うな」と言うわけです。 楠木 いいですね。 山口 言っていることは出血を止めるということ。   価格を上げる、従業員を切るといった、めちゃ   めちゃオーソドックスなリストラなんですね。   だけどその順序がすごいんです。彼ってもとも   とマッキンゼーのコンサルタントですから、手   技はすごく持っているんですね。    それでIBMに来てまず何をやったかという   と、自分でエクセルを同して「もうこれは債務   超過になる」「いつ、どれだけキャッシュをつ くればいいか」ということを計算した。それを 自分でやったあとは率先なんですね。リーダー シップのスタイルで「次にはあれをやれ、これ をやれ」しか言わない。「工場を閉鎖しろ」「1 万5000人を切れ」「この商品ラインはもう 全部売却」「この商品ラインは絶対に顧客が買 うから値段をI・5倍にしろ」と、ものすごく 現場に踏み込んで指示命令して、それが一段落 するころに並行して、お客さんのところを同っ て「IBMのどこがダメですか」と聞いていく。  そうして最後は「eビジネス」というコンセ   プトをぶち上げて、あとはもう任せちやうんで   すね。やっていること一つひとつは当たり前の   ことなんですが、この取り組みの時間軸のシー   クェンスにアートがある。要素、要素は実は全   部誰にもできることだし、アクセスできること   だと思うんですけど「組み合わせ」と「並べ   方」がすごい。 楠木 いろいろなものを読むと、あの人はお客さん   と会うのにものすごく時間を使っていましたね。 山口 1万人に会っているんですよ。やっぱりいろ   いろなことに悩んでいるし、最先端のテクノロ ジーというよりは、「あそこに頼んだらとにか くなんとかしてくれる」という会社でいてほし いと言われる。「それはそうだよな」となって、 「ウチはITを使って課題を解決します」と言 う。最後は「ガースナー・スクール」をつくっ て人材育成にいくんですけど、自分から発信し て、どんどん遠い方向に行く感じなんですね。 効果がすぐ出るものから、ものすごく長くかか るものへと、順々に手を打っていく。  リーダーの組織への介入の仕方っていろんな パターンがあって、これは経営学の世界でも整   理されていますけれども、重要なのはインター   ペンション、介入の仕方と文脈である、と。   「あと3ヵ月でキャッシュがなくなるよ」とい   うときにビジョンを語ってもしようがない。 楠木 しようがないですね。 山口 人材育成をやってもしようがない。とにかく   半年間でこの会社はもう血が足りなくなって死   ぬとなったときに、やっていることそのものに   はなんの新規性もなくて、ある種当たり前のこ   となんですけど、全部組み合わせてみると、そ   の状況においてはこの並び方がひとつの解に   なっている。 楠木 あれこそプロの仕事。プロのすごみは何をや   るかではなく、やることの順序、シークエンス   に表れる。AとBとCが箇条書きにならない。   AがあってこそBがあり、BができてCが出て   くる、というように時間的な奥行きがある。要   するにAとBの間にロジックがあり、BとCの   間にもロジックがあるということなんですよね。 山ロ ビジョンを全部つくるとかなんだとかで、箇   条書きして「これを全部やれ」じゃなくて、   「まずはこれだけやろうよ」と言った。「とにか   く今はまずこれだけやってくれ」という戦い方   をしたんですよね。しかもあとから振り返って   みると、順序が本当に見事なんです。 楠木 そこがアートなんです。これを「優先順位を   つけなさい」という話とごっちゃにしてる人が   いる。 山口 そうじゃないんですよね。 楠木 TODOリストでも優先順位はつけられる   でしょう。だけど3つ重要なものをやれという   話じゃなくて、どういう順番でやるかという順   列の問題。これはたぶん全然思考の系統が違う   と思うんですよね。 山口 違いますね。これをやるから次が開いてくる   という感じであって、単に優先順位をつけると   いうだけでは次が開かないんですよ。       原田泳幸の”アートな”       マクドナルド立て直し 楠木 今のガースナーの例と逆の失敗例として、   ヒューレットーパッカード社のかってのCEO   カーリー・フィオリーナはひどかった。 山口 大失敗しましたね。 楠木 「ダイナミック」「ネットワーク」とか、どん   どんビジョンを出して会社をグチャグチヤにし   た。そのあとに今オラクルのCEOをやってい   るマークーハードが来た。この人はIT業界の   獣道を歩いてきた「プロのおっさん」で、フィ   オリーナのあとCEOとして立て直しに来た。   そのときに「前任のフィオリーナにみんなが   ブーブー言ってますけど、これからのヒュー   レットーパッカードに大切なものはなんです か」と聞かれたら、マークーハードが「そりゃ、 営業力に決まってるだろ!・」と即答して、みん ながずっこけた。フィオリーナみたいなキラキ ラしたことは一切言わない。アメリカンスタイ ルごりごりの強いボス。「そのためにどういう 戦略が必要ですか」と聞かれると「ここは正念 場だから、とりあえずガーンと当たる。ガーン と当たれるヤツをどれだけ前線に揃えられるか が勝負だな」みたいな話で、そういうのは頼り になりますよね。大将の趣がある。  もうちょっと身近な例だと、藤田田さんの最 後のほうでマクドナルドがボロボロになって、 原田泳幸さんが立て直したのですが、その原田 さんの立て直しというのもアートとして傑作 だったと思います。  2004年に原田さんがマクドナルドに来た とき、初めはとにかくQsc(Quality =品質、 渟Rg=サービス、Cleanliness=清潔さ)以外はやら なかった。メニューをいじらない。価格もいじ らない。店を開いたり閉めたりもしない。とに かくそのときの手持ちの材料でQscだけを徹 底的にやった。その頃お金もなくなっていたん ですけど、けっこう思い切って投資したのは 「メイドーフォー・ユー」という調理プロセス の切り替えでした。その頃までマクドナルドは 需要予測をして商品をつくり置きしていたんで すよね。あれだけ限定されたメニューで繰り返 しの販売だからある程度の精度で需要が読める し、注文が入ってからアセンブルしてるとス ピードが落ちるのでつくり置いていた。それを 全面的にやめて、オーダーが入ってから商品を つくることにした。モジュールだけ用意してお いて、オーダーを受けてから組み立てる「メイ ドーフオー・ユー」システムは、かなり負担が 大きな投資だったんですけど、これをやった。  現場の人からは「バジェットがこれだけしか ないので、まず旗艦店の何店舗からやろう」と いう案も出たのですが、原田さんは「そうじゃ ない。全店一斉に切り替える」と。それをやる と明らかにおいしくなるんですよ。どんな素人 が食べても一口目からよくなったなとわかる。  そしてそのタイミングで「100円マック」 を始めるんですね。100円マックと言っても 値段を下げることでお客さんを取り戻そうとい   うだけではなくて、100円だから多くの人が   必ず一回は食べに来て、その食べた瞬間に「メ   イドーフオー・ユー」システムの効果によって   「あ、おいしくなってる」と思わせる。これが   囗コミで拡散するのは必然ですね。戦略ストー   リーのなかで必然を設計している。 山口 まさにシークエンス、順番のアートですね。 楠木 そうして、そこからメニューを変えていった。   その頃のマクドナルドは軽食というかスナック   的な扱われ方が多くなっていたのですが、そこ   にクオーターパウンダーというような、わりと ヘビーなガッツリしたランチメニューを強化し て単価を上げていく。マーケテイングーリサー チをするとマクドナルドの商品は「体に悪い」 とか「野菜が足りない」とか「オイリーだ」と か「カロリーが高い」とか、だいたいそういう 答えが返ってくるんです。でも実際にいちばん 売れているのはクオーターパウンダーなんです ね。それでいよいよ全部がうまく回り出したと ころで不採算店舗を一斉に閉じるという、そう いうシークエンスでストーリーを組み立てた。 不採算店舗を閉じたところで業績は一気に回復 しました。  以上のプロセスを振り返って原田さんは「い やあ、うまく当だったよね。あれってリーチー 発、カンチャンツモなんだよ」と言うんですが、 僕に言わせるとそうではない。三面チャンがで きるまでリーチをかけなかったんですよ。仕込 んで仕込んで、完全な。待ち”ができてから リーチをかける。だから一発でツモれる。あれ はいま振り返っても本当に素晴らしいアート だったと思います。先頭バッターがQSC、そ れで次に100円マック、十分に塁に走者がた   まつているところで、クォーターパウンダーで   走者一掃というような、そういうストーリーを   原田さんはつくったわけです。 山口 これも一つひとつの取り組みを見てみれば、   打ち手としては陳腐ですよね。僕も外食の仕事   はかなりやりましたけど、QSCはもとより常   に言われていることですし、半額キャンペーン   などの安売りやボリュームを一時的に上げる   キャンペーンというのも常套手段ですよね。だ   から一つひとつの打ち手よりも、その並べ方、   時間軸でのシークエンスに巧拙が出るというこ   とですね。 楠木 あと、これも原田さんのセンスだと思うのは、   マクドナルドのフライトポテト。世界中の店舗   のなかで動物性の油で揚げている国はたぶん日   本しかないと思います。 山口 そうなんですね。 楠木 ほとんどの国で途中から植物性の油に切り替   えている。そうすることで明らかにカロリーが   減ってそっちのほうが健康にいいからなんです。   だけど日本のマクドナルドはたぶん今でもそう   だと思うんですけど、動物性の油なんですよ   (牛脂とパーム油のブレンド)。なぜかと言えば、原   田さんいわく「そっちのほうがおいしいから」。 山口 それはそうですよね。 楠木 そりゃそうだ、という元も子もない話なんで   す。マクドナルドに食べに来る客が、そもそも   健康を重視しているのか。やっぱり昔ながらの   おいしいフライトポテトのほうが満足できるん   じゃないのか。    これに似た話ですが、今の自動車業界では燃   費が重要な競争次元だから、どこもリッター当   たりO・Iキロの差を争っている。ところがマ ツダに言わせれば「本当に環境のことを考える のなら、そもそもクルマじゃなくて電車に乗る ほうがいい」。マツダにしても燃費がよくて環 境負荷が小さいエンジンを開発することは重要 なのですが、100メートルの差を競うのに 汲々としない。それよりも乗り味を優先する。 こういう業界の前提というか思い込みをあっさ りひっくり返す判断がすっと出てくるというの も、またセンスですね。最近出た「Mazda 3」はスタイリングから乗り味まできわめて統 合された傑作だと思います。僕はいま乗ってい るクルマが壊れるまで乗り続けようと思ってい ますが、仮に買い替えるとしたらMazda3 にしたいぐらい。  スポーツとビジネスでは違うんですが、元中 日のピッチャー山本昌さんの本に、戦略が時間 的な奥行きを持ったストーリーだということを 如実に示すエピソードがありました。イチロー さんと山本昌さんつて仲がいいそうですね。山 本さんは50歳まで現役を続けましたが、その頃 の直球の最高速度は135キロが精一杯。  現役のとき、二人でよく冬のキャンプをやっ てらしたそうなんですよ。  イチローさんつてものすごい身体能力なので、 ピッチャーとして投げると山本さんよりも速い 球を投げるんです。スピードガンで測るとイチ ローさんのほうが球が速い。でもバッターは山 本さんの球のほうが速いと言う。イチローさん が「どういうこと?」と山本さんに聞いたら、 山本さんは「いや、それはオレがプロだからだ よ」。プロとはどういうことなのか。「速い球」 を投げるのがプロじゃない。「速く見える球」 を投げるのがプロなんだと山本さんは言ってい るんですね。  これは戦略の本質を捉えていると思います。 ボールが速く見えるとはどういうことか。ピッ チャーの戦略というのは配球という形をとる。 つまりは順列問題ですね。I球目に外に大きく 曲がるスローカーブを投げる。すると次に投げ る内角高めギリギリの直球が速く「見える」。 これは時間的な奥行きの問題ですよね。前の打 席で打ち取ったんで、次の打席はこうしようみ たいな。要するにピッチャーの場合、戦略がこ とごとく時間を背負ったストーリーになるわけ です。この戦略の優劣が、プロの本領であると いう話だと思うんですけどね、僕の解釈では。  なんでそうなるのかというと、結局誰も 200キロの球は投げられないからなんですよ。 「消える魔球」はやっぱりないんですね。飛び 道具はない。「戦略をつくろう」と言うと、仕 事ができない人はすぐ必殺技を探しにいくんで す。飛び道具を欲しがる。いつでも「旬の飛び 道具」が喧伝されているもので、今だとAIと かなんとかテックとか、必殺技めいたもの、飛 び道具っぽいのが出てくるんですけど、それに 先行して筋が通った独自の戦略ストーリーがな くてはならない。AIにしてもlOTにしても、 その中に位置づけて初めて意味を持つわけで。 仕事ができる人の思考様式は、箇条書きやTO DOリストではない。順列的なストーリー思考 がユニークな戦略を生み出すわけです。    何が 7.)  センスを    殺すのか       ビジネスパーソンの       「エネルギー保存の法則」 楠木 「三角形のリーダー(状態)」と「矢印のりI   ダー(行動)」という対比でいろいろなことを説   明できると思っているんです。    物理学でエネルギー保存の法則というのがあ   るじやないですか。位置エネルギーと運動エネ   ルギーというのは両方合わせると常にその和は 変わらない。物をある高さから落とすと落ちる につれ、位置エネルギーが運動エネルギーに変 わっていく。この物理法則に例えたときに、仕 事における人間のエネルギーとしての運動エネ ルギーと位置エネルギーとは何かということな んですが、この比喩で言うと「俺は専務だ」と か「いや、社長だ」というのは位置エネルギー ですよね。状態が持っているエネルギー。これ に対して「こういうことをやりたい」というの は運動エネルギー。  若いうちは運動エネルギーでガンガン走って   いても、それが徐々に位置エネルギーに転換し   ていき、社長になると位置エネルギーが100   パーセントで運動エネルギーがゼロになってい   るみたいな。これがビジネスパーソンの「エネ   ルギー保存の法則」。 山口 なるほど……。実力主義の社会では人は能力   を発揮できなくなるまでは出世するので、組織   の上層部はやがて必ず無能な人によって占めら   れ、下層部にいるまだ能力発揮の余地のある人   によって駆動されるという「ピーターの法則」   を思い出しました。 楠木 東芝の西田厚聰元社長がいちばんわかりやす   い例だと僕は思うんです。『テヘランからきた   男 西田厚聰と東芝壊滅』(児玉博著/小学館)と   いう素晴らしい評伝があって、これは西田さん   の評判が地に堕ちてしまったあと、お亡くなり   になる直前に書かれた本です。西田さんは東大   で社会思想をやっていたんですね。 山口 確か、エトムントーフツサールの研究をやっ   ていたんですよね。 楠木 それで大学院の時に知り合った奥さまがイラ   ンの方で、学問をとるのか、それとも結婚生活 をとるのかということで、学問を断念して奥さ まと一緒にイランに行った人なんです。当時の 日本社会ではかなり珍しいタイプですよね。  奥さまが日本語ができるインテリだというこ とで現地の東芝に採用されて、西田さんはやる ことがないから「旦那さんも日本人だから」と いうことでアルバイトみたいな感じで入社した んですけど、とにかく仕事ができる。すぐに正 社員になって、パンパン重要な仕事を任される ようになっていった。たぶんキャリアの頂点は 世界初のラップトップ型PCの事業リーダーだ   と思うんですけれど、ラップトップ型PCの原   型をつくって世界ナンバーワンのシェアになっ   た……。 山ロ ダイナブックですね。 楠木 そうそう。それほど運動エネルギーに満ち満   ちて仕事のできたすごい人が最後にはあんなひ   どいことになってしまった。僕が生前の西田さ   んにお目にかかっだのは、西田さんが経団連の   副会長をやっていらっしやる晩年のことだった   ので、僕がこんなこと言うのも失礼なんですけ   ど、事業家として名望轟いていた西田さんが直   接会ってみると「ただの経団連のおじいちや   ま」という印象だったんですね。「こういうこ   とをやろう」という若い頃の運動エネルギーに   満ちあふれていた西田さんが、出世していくに   つれ「東芝の中の偉い人」という位置エネル   ギーに吸収されてしまった、ということなので   はないかと思うんです。 山口 僕が言うところのいわゆる「オールドタイ   プ」ですね。でも、そういう「エネルギー保存   の法則」にハマつている偉い入って、けっこう   多いんじやないですかね。 楠木 これも東芝なんですが、西室泰三元社長も極   端に位置エネルギーを追い求める人で、究極の   肩書きコレクターだったそうですね。亡くなる   直前まで「私を日銀総裁にしてくれないか」と   自分から言うような大変な人だったらしいんで   すよ。 山口 困った爺さんですねえ。 楠木 やっぱり間断なくそういう人が世の中に出て   くるというのは、位置エネルギーを求めるのは   。人間の本性”なのだと思うんです。つまりは   「状態」を求めるのか「行動(運動)」を求める のかという話なんですけどね。仕事ができない 大ってエネルギー保存の法則にハマつている大 なんじやないかと思うわけです。これが本来 持っているはずのセンスを殺す。  例えば状態ばかりを指向する人の例として、 僕は「生き残りおじさん」と呼んでいるんです けど、すぐに「生き残りのため」とか言う大が いますね。本来、リーダーたるものは「生き 残って何をしたいんだ」という「行動」を表明 しなければいけないんですよ。だけどその大に とっては生存し続けるという「状態」がゴール   にすり替わってしまっている。「こっち行こう」   とか「これを実現しよう」という意思の表明が   本来の経営です。       「横串おじさん」と       位置エネルギーの”魔力” 楠木 ところがやっぱり三角形の中でプロキシに次   ぐプロキシで登り詰めちやう人というのがいて、   これはもう社長になっても役割的には「担当 者」なんですね。もう「代表取締役担当者」。 CEOならぬCET(Chief Executive Tantosha)です ね。社長という役職の担当業務を粛々とこなし ている。スタッフの書いた原稿を棒読みの社長 とかはまさにそれです。投資家とか従業員とか、 世の中やステークホルダーに対するメッセージ を発する場なのに人の書いた原稿を棒読み。株 主総会の「想定問答集」というのも不思議です ね。自分が経営しているのに、大に想定しても らっている。  あと僕がどうかと思うのは、「横串おじさん」。   何かあると「組織に横串を剌して」と言う人が   いますね。下のほうで話し合うと、何かしらい   い戦略が出てくると勘違いしている。横串の前   に、「まずお前が縦串を剌せ」と申し上げたい。 山口 もともと組織は経営管理者が縦軸で情報を流   すことで業務執行するのが大前提ですからね。   「横串を通して」つていうのは、「関係部門と話   し合ってうまくやっといて」というのとほとん   ど変わりませんね。 楠木 そういう人になってしまうというのが、ビジ   ネスパーソンの墓場なのかなと。それが全部、   先ほどのエネルギー保存の法則の説明でしっく   りくるんですよ。こういうお偉いさんたちも、   きっと若い頃にはもうちょっとガンガンやって   たんじやないかなあと。 山口 なるほど。年齢的なこともあって仕事ができ   なくなり、それで有り余った運動エネルギーを、   位置獲得のために使っているというのはあるか   もしれません。 楠木 僕の忘れられない経験で、まだバブル崩壊直   後でハタハタしていた頃なのですいぶん昔のこ   となんですけど、ある都市銀行で昼間に勉強会   をやるから、そこに話をしに来なさいと言われ   たんですね。僕は30代前半だったんですけど、   行ってみたらもう現役を引退したおじいちやま   ばかりで、みなさん、昔はすごく偉かった人だ   ちなんですよ。それで名刺を見ると「相談役」。   この辺の肩書はまだわかるんですけど、「最高   名誉顧問」とか「社友」とか書かれていて。 山口 その人たちは毎日会社に来ているんですか? 楠木 来てるんですよ。当時はまだ銀行がのんびり   していたから、というのもあります。それで僕   は初めて「社友」という肩書を見たんですね。   で、その方に「社友ってどういう役割なんです   か」と尋ねたら「あ1、それはね、友達だ   よ」つておっしやるんです(笑)。自然人じやな   くて法人の友達。 山口 法人の友達……遊んでくれる人間の友達がい   ないんだ。悲しい人たちですねえ。 楠木 要するにみなさん家にいてもやることがない   から、会社に来る。「なだ万」とかの高級なお   弁当食べながら僕みたいなチンピラを呼んで話   を聞いて、ちょっと意見を言うということを   やっている。それが一通り終わったところで 「まあ君もこういう機会はめったにないだろう し、われわれもそれなりに長いことやってきた んで、君のほうからも聞きたいことがあったら ぜひ聞きなさい」とおっしやっていただいた。  そのときは「この人だちとは現世ではたぶん 二度と会わない。会うとしても来世だな」と 思っだので(笑)、「でしたら、せっかくなので お聞きしますけど、みなさんご自身の存在をど うやって正当化していらっしやるんですか?」 と聞いたんですよ。僕も若かったんですね。そ うしたら、向こうはもう大物ですから、懐が深   い。怒らずに、いろいろとイイ話をしてくだ   さっだんですよ。まだご存命たった、昭和の戦   後復興を率いた大バンカーの人もいらっしやっ   て。 山口 まさに妖怪ですね。 楠木 戦後日本経済史の教科書に出てくるような大   バンカーなんですね。この方が「君は若いから、   さぞかし今日は嫌な気持ちがしただろう。それ   はね、君が偉くなったことがないからなんだ   よ」とおっしやる。そこで初めて「あ、そうい   えば俺、偉くなったことなかったな」と気づい   た(笑)。「君に偉くなるっていうのはどういう   ことだか教えてあげよう」とおっしゃるんです。   「それは、自分の体から光が出るんだよ。ただ   ね、聖人君子じゃないから本当に光が出ている   わけじゃなくて、いろんな人が自分に投げかけ   る注意や注目、これを反射しているだけなん   だ」と。 山口 面白いですねえ。 楠木 非常に深い言葉ですね。朝は黒塗りの車で本   店正門に来て、車から降りると「あっ、頭取   だ」と注目が集まる。「それを光として自分が   反射しているだけなんだけれども、やっぱり体   から光が出ている気になるんだ。その光を失っ   た人間の寂しさを、偉くなったことがない君は   わからないだろう……」。僕のようなチンピラ   の若造相手に、なんて率直で素晴らしい表現か   と感動しました。さすが昭和の大バンカー、シ   ビれましたねえ。 山口 寂しいから集まりたいんだよと。       センスのある人の       「仕事は仕事」という割り切       り 楠木 感動した僕はさらに調子に乗って「偉くなっ   たあとに寂しいというのはわかりました。そこ   でみなさんにおうかがいしますけれども、ここ   はひとつ受益者負担主義でいくというのはどう   ですか」と提案したんですね。会社が寂しいみ   なさんのために有料のパッケージをオファーす   るとしたら、と聞いたんです。 山ロ パッケージとは? 楠木 例えばAコースは会社に来てもいい。社友の   名刺も渡します。ただし部屋なんかはありませ   ん。でも寂しさを紛らわせるあなたたちが受益   者なので月に1万円いただきます。ほかにB   コース、Cコースとあって、スペシャルのS   コースは、これまでと同じように車が出て秘書   がつく、個室がある。その代わりにこれは会社   としても大いにコストがかかるので、受益者の   みなさんから年間に3000万円いただきます   というオファーが銀行から来たら、みなさんは お買いになりますか、と聞いたんです。  そしたら「ま、買うだろうな」つておっしや いましたね。「キミ、もうちょっと安くならな いの?」つて(笑)。位置エネルギーの魅力とい うのは人間にとってそれだけ大きなものなんだ と、このときつくづく学んだんです。それは やっぱり僕のような大組織で仕事をしたことが ない者にはわからないということなんでしよう。  これが人間の本性だとしたら、洋の東西を問 わずそういう「偉い大」はいるわけで、そうい う人の心を鎮めるソリューションが必要になる。 アメリカのソリューションはもう徹頭徹尾お金 ですね。GEのシヤッターウェルチがいい例で すよね。もうあれだけエネルギーがあふれ ちやっている人です。退任後も間接的に影響力 があるとあとの人はやりにくい。「二度とGE にかかわらないでください、その代わりにこれ だけのお金で好きなことをやってください」と いう話ですね。で、持て余すエネルギーを投資 活動や自分の事業に振り向けてもらう、という。  じやあ日本のソリューションはなんだったか というと、かつては経団連ですね。あれがエネ   ルギーの放出先たった。ところが、もう経団連   は役割を終えてしまっだので。 山口 完全に存在意義を失った団体ですよね。同じ   ような団体に経済同友会というのがありますが、   僕も呼ばれて話をしたことがあって、もう完全   に終わっているなと思いました。京都での会議   だったのですが、巨大な国際会議場の外に黒塗   りのハイヤーが100台以上並んでいて、大会   議室に入るとみんな同じ色の背広を着て同じ髪   型をしていて見分けがつかないんです。それで   何を議論しているかというと「これからの関西   の多様性」なんですね。ドリフのオチじゃない   ですけど「ダメだこりゃ」という感じで早々に   退散してきました。 楠木 今は昔みたいな経団連会長の座を争うなんて   ことはない。経団連に代わるエネルギーの放出   先を日本のスタイルでつくっていかないと、偉   くて寂しい人はなかなか難しいんじゃないです   かね。分野としては教育とかの方面で活躍して   もらうとか、そういうことになるといいと思う   んですけど。いずれにせよ、別にその人たちが   悪い人だとか愚かな人だからエネルギー保存の   法則にハマるんじやなくて、それだけ人間の本   性だということ。それだけに強い自戒、自制、   規律が必要なんですね。 山口 経営者になる大はある性向とか資質があって   経営者になるわけですが、その性向とか資質が、   経営者というポジションを退いたあとでいろん   な悪さをする、ということなんでしようね。ポ   ジションを求めるエネルギーレベルが高くない   と経営者にはなれないですからね。 楠木 何を言いたいのかというと、「仕事は仕事」   という割り切りというのもセンスがある人のひ とつの特徴ではないかと思うんです。仕事がで きる人の共通項として、もちろん仕事は情熱を 持ってやるんですけれども、一方で仕事をして いる自分を客観視しているというか、「ま、 しょせん仕事だよな」という、ちょっと醒めた ところがある気がする。 「ワークライフバランス」と言いますが、ワー クとライフを対立したものとして並置するとい う語感がある。これはちょっと変で、本来は yOrk as a part of life^ですよね。仕事の上位に 自分のライフがある。仕事ができる大には、仕 事人である以前に一人の人間、生活者であると いう意識が伝わってくる大が多いように思いま す。  ワークライフバランスがいいとか悪いという のは、要するに時間やエネルギーの割り振りの ことを言っているのだと思いますが、ここで注 目しているのは、意識の割り振りですね。仕事 は人生の重要な一部ですが、全部じゃない。人 生の中に占める仕事のパートがあまりにも大き すぎると、興味・関心やモノの見方が凝り固 まって、仕事のセンスも殺されてしまうのでは   ないでしょうか。*」ife as a part of work^という   本末転倒。昭和の「企業戦上」というのはそう   いうイメージですね。時代からしてそうなるの   は仕方がない面があったと思いますが。 山口 だから大きな会社の中で上にあかっていくっ   ていう運動エネルギーから位置エネルギーへの   変換のさせ方……。ソニーの盛田昭夫さんとか   ホンダの本田宗一郎さんみたいに運動エネル   ギーを持つたままで組織がそのまま大きくなっ   ていって、それにつれて位置エネルギーも上   かっていくというような人も今はいなくなって   しまいましたからね。経団連の理事をやってい   る方々でも、創業経営者はもう今ではI人もい   なくなってしまいましたね。       エリートはなぜ       「階層上昇ゲーム」が好きな       のか 楠木 山口さんのご本を読んでいて、個人的にいち   ばん好きなツボが、システムに適応していく   と……というくだりです。システムに順応する   人は階層性が好きだという話、これはなるほど   な、と感心しました。努力した分だけ階層を上   がっていく。これがモチベーションになる。 山ロ マッキンゼーなどの外資系戦略コンサルティ   ングフアームとオウム真理教の組織が「階層性   の明確さ」という点で非常に似ている、という   話ですね。両方とも「偏差値は高いけど美意識   がヒドイ」という点で共通しています。 楠木 オウムシスターズがあんなに歌がヘタクソな   のに、それを恥ずかしげもなくみんなでやって いる。一言で言って「美意識がなさすぎる」。 この一点でもうオウムは危ないと思ったってい う、あの話。慧眼ですね。教団のトップが設定 したルールや方向性に沿って努力すれば上に行 ける。そういう世界ではセンスが殺される。  その意味での階層性、事前に設定された階層 を上へ上へ登っていくゲームが好きというのは、 昭和っぽい大企業のおじさんを連想させますが、 そうした旧来のワークスタイルの逆をいくよう に見えるITベンチャーとか外資系コンサル ティングとかも、意外とそういう人が多いとい   う山口さんの指摘、これが僕はとても面白いと   思いました。かつての東大法学部↓大蔵省↓主   計局のような階層上昇ゲームが、実は東大↓   マッキンゼーとか、スタンフォード大↓ダーク   ルと相似形にある。 山口 わかりやすい「求められている努力」があっ   て、「これをすれば確実にマウントを取れるポ   ジションを得られる」ということがはっきりし   ている組織を好む人がエリートには多いんです   ね。少し前だったら外資系投資銀行、今たった   ら戦略系コンサルティングファームかイケてる スタートアップですね。それは彼らがまさに 「受験勉強をやって偏差値を上げると威張れる」 というわかりやすいシステムに適応してきたか らですね。ところが世の中というのは「こうす れば威張れる」というのがはっきりしない場所 がほとんどなんですね。  とくに平成に入ってからは「どこが威張れる 場所なのか?」ということが、よくわからなく なってしまった。「平成」というのは「平らに 成る」と書くわけですが、昭和にはまだ存在し た社会のヒエラルキーがほとんどなくなってし まっだ時代ですね。平成になってからすぐにオ ウムの事件は起こったんですけれども、世の中 の差がどんどんなくなってきたというのが昭和 の後半から平成にかけての時代でした。階層性 が非常に曖昧な社会の中で、偏差値を上げるこ とでひたすら勝ってきた僕たちはどうすればい いのか? これが彼らを捉えた不安たったわけ ですね。そこでやっぱり何かしらの階層をつ くって、その中でポジションを上げていくとい うゲームを求めてしまう。これはもう、ある種 の性と言うしかありませんね。 楠木 本能、本性ですね。 山口 それがマウンティングという行動にもつなが   る。ちなみに同じマウンティングと言っても丸   の内のマウンティングの仕方と六本木のマウン   ティングの仕方はちょっと違うんですね。丸の   内は先にも言ったように学歴や会社のブランド、   あるいはスキルでマウンティングしようとする   会話が多いんですが、これが六本木や青山、西   麻布あたりになるとセンスでマウンティングを   取ろうとする人が多いんです。会話を聞いてい   ると「あれはダセえ」とか「あれはイイ」とか、   お互いにセンスの目利きをディスつたり褒めた   りしている。しかし、そもそもセンスに序列を   つけたがるっていうこと自体が、すでにセンス   ないよな、という気がするんですけれども。 楠木 それって本当はマウンティングにならないで   しよう。普通なら「あ、お前そっちのほうが好   きなのか。俺はこっちか好きなんだけど」で終   わっちやう。 山口 僕も本来はそれでイイじやんか、と思うんで   すけれどもね。あの世界にはあの世界なりの序   列があるみたいで、例えば「この服、藤原ヒロ   シさんに褒められちやってさ」とか言おうもん   なら「それ、ダサくね?」とはもう絶対に言え   ないっていう雰囲気なんですよ。ああいう世界   でも、やっぱり日本人は「権威主義」になっ   ちやうんですね。センスの裏づけを権威に求め   てるんです。 楠木 なるほど。 山口 一種の茶番なんです。昔っから茶道の世界で   も「利休が評価した」つていうだけで値段が跳   ね上がるということがあったわけですね。大し   たことのない茶器に法外な値段を付けて売る、 いわゆる「売僧」です。これが秀吉の逆鱗に触 れて利休は切腹させられたという説があります ね。本来は「茶器の好み」だって人それぞれの センスでいいところに、「利休好み」という 「センスの権威づけ」がなされると、それが普 遍的な価値に転化して価格が跳ね上がるわけで す。これは現代でもいますけど、その結果とし て、「これは利休好みです」みたいなことをヘ ラヘラ自慢する人も出てきて、それを「ふ1 ん……でもダサくね?」とでも言おうもんなら 「アイツはセンスが悪い」と断じられて、下手   をすれば出入り禁止なんですね。 楠木 だけどセンスのいい悪いはそもそも比べられ   ないでしょう。 山口 まったくそのとおりだと思います。本来は   「好き・嫌い」の問題でいいんじやないかと思   うんですけど、彼らは自分から好き好んでヒエ   ラルキーの中に飛び込んでいくわけです。そう   いう序列の中に入って自分の位置づけを高めて   いくというのが大好きなんです。さきほど議論   になった「位置エネルギー」みたいなことが、   センスの序列においても発生しているように思 いますね。この「権威大好き」「階層性大好き」 というのは楠木さんの言う「好きなようにして ください」というのとは、非常にソリが合わな いんですね。     「ピンクしてから抱きしめる」     と     「抱きしめてからピンクする」     の大きな違い 楠木 仕事ができる人とできない人を対比するとき   にわかりやすいのが、これまでも話題に出たこ   とですが、できない入って箇条書きが好きなん   ですね。TODOリストが大好き。ここで箇   条書きというのは物事の「並列」という意味で   使っているのですが、並列的な思考の問題点と   いうのは時間的な奥行きがなくなることなんで   す。並列的思考はセンスを殺すと思います。   「So wha斤が捨象されてしまう。あらゆる仕   事は最終的には成果につながらなければ意味が ない。ところが、並列的な思考だと成果へのつ ながりという論理展開がなくなってしまう。 「時間的な奥行きが大切だ」と言うときの時間 というのは、物理的な時間ではないんですね。 論理的な時間です。「長期的に考えろ」と言う と「それは5年以上でしようか」とか聞いてく る人がいる。「いや、オレは10年で考えてるか らオレのほうが長期だ」とか言う人もいる。そ ういう話ではなくて、仮に物理的な時間で計っ たときにはたっだの1ヵ月だとしても「こうい うことが先行して起きて、こういうことができ   るようになる」「次にこういう道が開けるので、   ああなってこうなって」という論理的な時間の   ことを言っているわけです。論理というのはあ   ることと別のことの間の因果関係ですから、そ   こには必ず時間がある。論理は常に時間を背   負っている。僕がずっとこだわって考えている   「ストーリーとしての競争戦略」にしても、そ   ういうことなんですね。 山口 「風が吹けば桶屋が儲かる」ですか。 楠木 「風が吹けば……」だと蓋然性が低い話に   なってしまうんですが、現状のXからあるべき 姿のYに到達する間に何重ものロジックのス テップがあって、そこでみんなが「そうだよね え。よし、まずそのことからやっていって、最 終的にはこれを目指そう」と共感してくれるよ うな蓋然性の高いロジックでつなかったストー リー。これが優れた戦略の条件ですね。やはり 論理がないと伝わらない。論理がないとみんな が乗ってくれないので、実行にも至らない。  ごくあっさり言うと「順番の問題」というこ とです。わかりやすく例えれば、「ピンクして から抱きしめる」と「抱きしめてからビンタす   る」の違い。競争戦略は他社との違いをつくろ   うとするものですが、違いの正体にしても順番   の問題だというのが僕の年来の主張です。 山口 一つひとつの「営為そのもの」の違いよりも、   その順番が大きな違いを生む、ということです   ね。 楠木 数学で順列・組み合わせというのを習います   よね。組み合わせで記述すると、「ピンク・抱   きしめ」と「抱きしめ・ピンク」は等号でつな   かってしまう。組み合わせには時間が人つてい   ないから。だけど順列で記述すれば、「ピンク   ↓抱きしめ」と「抱きしめ↓ピンク」はまるで   違う。戦略構想の8割方、他社との差別化など   と言っているうちの大半はこの意味での順列問   題として説明できるのではないかと思ってるん   です。やたらと「シナジー」という言葉を連発   する人、私的専門用語で「シナジーおじさん」   と言っているのですが、「相乗効果を追求   し……」とかすぐに言う。僕は聞いた瞬間にセ   ンスを疑います。 山口 どうやってシナジーが出るのかというメカニ   ズムがわからないままに「シナジー」と言う人   は多いですよね。 楠木 そういう人は頭の中がことごとく組み合わせ   問題になっちやってるんですよ。「TODOリ   スター」になっちやう。箇条書きレベルでみん   なが思いつく打ち手は、だいたい似たり寄った   りで、持続的な違いにならないんですよ。商売   について言えば、まったく違うものを思いつく   ことはほとんどないというのが実際のところで、   本当の違いは打ち手の時間的なシークエンスに   あるんです。 山口 前の章に出た、IBMのルイスーガースナー   やマクドナルドの原田泳幸さんの例ですね。 楠木 ガースナーと原田さんはシークエンスで勝負   する経営者の典型ですね。ずいぶん前ですけど、   ある大手小売り会社の経営者と、「こういうよ   うなことを考えてこれでいこうと思ってるんだ   けど、お前はどう思うんだ。意見を述べよ」と   いうやりとりの機会が定期的にあったんです。   それである大きなプロジェクトの話が出てきて、   要するに「これからはグループの総力を結集し   て」という話なんですね。だいたいに「総力を   結集して」というあたりからもうヤバイんです   が、その内容はというと「ネットとリアルの融   合」。それを聞いた瞬間に僕は「これは筋が悪   いな」と思って、「これでなぜ儲かるんですか。   何か競争相手に対して独自の価値になるんです   か」と尋ねました。だけどその経営者はひたす   ら「いや、これからはネットとリアルが融合す   るんだよ!・」みたいなことを言うだけなんです。   本当は自分でもなぜ儲かるのかがわかってない   のではないかと思いました。 山口 まさにシナジーおじさんだ。 楠木 一流の経営者は、「初めからシナジーなんか   ない。それは自分でつくるんだ」という考えだ   と思うんですよ。結果的にシナジーを手に入れ   られたとしても、それは自分がいろんな物事を   ある時間配列の中で組み立てていった結果とし   てできるんだと。 山口 成果に至るシークエンスを経営者が描いてい   て、そのシークエンスを構成するヒースに欠け   ている要素がある。その欠けている要素が自社   だけでは用意できないから提携やら合併やらに   よって埋め合わせる。それを総称して「シナ   ジー」ということになるわけですが、やたらと   「シナジー」と叫んでいるだけの人は、その   シークエンスが描けていないんでしようね。       センスある経営者は       「『それでだ』おじさん」 楠木 僕は新浪剛史さんの経営人材育成の仕事のお   手伝いをずっとやっています。2014年に新   浪さんがローソンからサントリーに移った時、   「ジムービーム」のブランドで有名なアメリカ のビーム社を買収することはすでに決まってい たんですね。買収金額は総額で約1兆6500 億円ですから、サントリーとしても乾坤一擲の 大勝負です。それが先に決まっていて、これを どうやって捌くのかとなったときに、それはも う新浪さんしかいないということだったと思う んですね。  それで新浪さんがサントリーに移ってまだ間 もないころ、わりとゆっくりと新浪さんとディ スカッションする機会があって、そこで非常に 印象深い話が出たんです。その頃、記者会見で   「ビーム社の買収の件ですけれども、シナジー   効果は?」という類の質問が決まって出ていた   んですが、新浪さんに言わせれば「そんなこと   いま聞かれても困るよね」。なぜかというと、   「シナジーなんかない。はいどうぞ、というよ   うなそこにあるものじゃない。だからオレがつ   くりに来たんだ」と言ったんです。これこそ経   営者だと思うんですね。 山口 自然とシナジーが生まれることなんかないと   いうのを、新浪さんはわかってるわけですね。 楠木 さすが!・ と感服しました。ビーム社は上場 企業でしたからね。伝統ある会社として、ある 意味出来上かっている。最終的にはサントリー グループとしてシナジーを達成するにしても、 それに至る道のりは容易ではない。そんなとき に新浪さんはとにかくまず現場へ行く。現場の 人と会って「サントリーはこうやって造ってる んだけど、ぜひビームのやり方からも学びた い」みたいな話をするわけなんです。もともと ビーム社の社長は現場に顔を出したこともない。 開発や製造の現場は軽視されていた。だけどそ の現場には昔からのビーム社の伝統を背負って バーボンを造っている人々がいるわけです。  そこで新浪さんが現場にそうやって足を運ぶ と現場の人は感動しますよね。「なんか、ずい ぶんいいところが買収してくれたよ」となる。 そうやって現場の気持ちをつかんでおいてから 京都の天王山の麓にある山崎の蒸溜所にビーム 社の幹部を集める。もう軟禁状態。そこでモノ づくりに始まるサントリーのスピリットを徹底 的に共有する。山崎の蒸溜所の辺へ行ってしま うとほかに行く場所なんてないですから、そこ で雪隠詰めにしてサントリーの歴史から何から 全部わからせていく。  最近になっていよいよ成果が出てきたと思い ます。例えば商品で言うとサントリーのハイェ ンドのウイスキーのグローバルな成功とか、八 イボールなんていう新しいカルチャーによって 日本だけじゃなく世界中でウイスキーの消費が 上かっているとか、ジンで言うとロックとか。 そういったものは確かに、結果的にはサント リーとビーム社のシナジーという話ですが、長 い時間をかけた経営が強烈な意図を持って生み 出したもので、初めからあったわけではないん   ですね。 山口 組み合わせさえすれば自然に生まれるという   ことではないですね。戦略の結果として、とい   う部分が大きいです。 楠木 それなのになぜみんなが並列、箇条書き、T   ODOリスターのほうに流れていくのか。僕   は最大の理由は「時間」というのもが目に見え   ないからだと思うんですよ。 山ロ ストーリーには必ず「時間」がありますから   ね。 楠木 これも僕が好きな話なんですが、淺井カヨさ んという人がいて、この人は大正時代の。モダ ンガールーモダンボーイ”の文化の研究をして いる方です。彼女がすごいのは、単に関心があ るだけじゃなくて実践家なんです。当時の都市 部のモガの生活をそのまま実践している人で、 服装はもちろん、家の電話は黒電話で、当然テ レビなんかはなくて、冷蔵庫は水を入れて冷や すという時代のものを使っている。そういう ちょっと変わった方なんですが、これまたすご いなあと思うのは、彼女はご結婚なさっていて、 旦那さんが。モダンボーイ”の実践者。モガと モボ、気が合うに決まっていますよね。東京に 当時の日本人の生活を完全に再現した家を建て て、2人でそういう生活実践研究をなさってい る。素晴らしいですよね。  その淺井カヨさんがインタビューで「これだ け実践していらっしゃるわけですから、さぞか し大正時代に生まれたかったでしようね」と聞 かれて「いや、絶対に今がいいです」。なぜか というと、「もし私か大正時代に生まれていた ら、江戸時代を研究しているに決まっている」。 つまり、時間というものは常に流れている。ダ イナミックなものなので、しばしば遠近感を 失ってしまう。それが僕は時間というものに固 有の特徴だと思います。 「シナジーおじさん」と対比して、時間的な奥 行きがある直列思考の人のことを僕は「『それ でだ』おじさん」と呼んでいるんです。僕の分 野は競争戦略ですから、出発点はいつも「競争 があるなかで、なぜある会社は儲かり、別の会 社は儲からないのか。その論理は何か」という 問いにあります。経営者と話したいことも、つ まるところは「社長、なんでこの商売は儲かる   んですか」−。収益の背後にあるストーリー   を知りたいわけですよね。そのときに「うちは   こういうことをやってるだろ」↓「そうすると、   だんだんこういうことができるようになるんだ   よ」↓「やっているうちに客もこうなってく   る」↓「それでだ……」と、ここで儲かるポイ   ントが出てくる。これが「『それでだ』おじさ   ん」。僕の思うセンスに優れた経営者の思考同   路ですね。 山口 流れがあるということですね。 楠木 そうなんです。思考や構想に時間的な奥行き があり、論理でつなかっている。  ある日本の会社が買収したフランスの事業が ガタガタになった。いろんな人をテコ人れのた めに日本から送っても、みんな刀折れ矢尽き果 てて帰ってくる。とにかく大変な問題が山積し ているので、問題を全部リストアップして、こ れは誰が担当してこうやって解決するというふ うに一つひとつ解決していこうとするんですね。 これがうまくいかない。  ついに切り札のエースが乗り込んでいく。こ の人が仕事ができるんですね。「ここまで来た ら、とにかく今ジタバタしてもしようがない。 まずはここだけ徹底的にやる。あとは放ってお いていい。ここがなんとかなれば、あとはなん とかなるから」というやり方をとっだ。業務の 基幹システムみたいな話なんですけど、まずこ こに集中する。ここの問題が解決すると次は こっちか自然と楽になってくるという、要する に「『それでだ』おじさん」なんですよ。現場 の人に話を聞くと、このリーダーが来て一気に 明るい気持ちになったと言うんですね。順列で 考える優れたりIダーには人がついてくる。そ   こにストーリーがあるからなんですね。数字や   目標では人はついてこない。ストーリーに乗っ   てくるんですね。       「独自のストーリー」がある       から       同じものが違って見える 楠木 成功者について、「ほかの人間とは景色が   違って見えている」ということをよく言います ね。これは、その人の独自のフィルターを通し たときに、同じものが「違って見える」という ことだと思うんですよ。つまり[differently] という副詞であって、本当に「differentなもの を見てる」んじゃない。古い話ですが、「ボー ルが止まって見える」と川上哲治は言っだので すが、本当にボールが止まっているわけじゃな い。ここでフィルターに相当するのが、その大 が持っているストーリーなんだと思うんです。  結局、なんで商売で儲かるかというと、ほか の大が知らないことを知っているとか、できな   いことができるとか、そういうことですよね。   それが戦略の原点ですから。オリックスの宮内   義彦さんと話をしてるときに「僕から見ると、   オリックスつてなんで儲るのかわかりにくい会   社ですよね」と言ったら、「お前みたいなヤツ   にすぐわからないから儲かるんじやないか」と   言われました。ポンドにそのとおり。 山口 見えないものが見えている。 楠木 これはその人にしか手に入れられないような   「特別の秘密情報」というものではないんです   ね。そういうのを持ってくるのは、だいたい詐   欺師。 山口 情報とかツールはコモディティですからね。   どんどんコモディティ化されていって、しかも   いろんなベンダーが「どうぞ見てください」と   見えやすいように持ってきて見せてくれるわけ   ですから、そこで差をつけることは難しい。 楠木 なんで知らないことを知っているのか、見え   ないものが見えているのかというと、結局その   人が持っているストーリーからして同じものが   違って見えるのではないか。自分なりのストー   リー上に位置づけることで、個別の要素が独自   の意味を持ち始めるということだと思うんです   ね。AIのような飛び道具感の強いものほどそ   うですね。先にこっちにストーリーがなければ   ならない。そのストーリーの中のこの部分にA   Iを入れると、ほかの要素とこうつなかってI   気にコストが下かって利益が出るというように、   全体の文脈の中で初めてAIの効果が出る。A   Iという要素自体に意味があるわけではなくて、   価値をつくっているのは独自のストーリーのほ   うなんですね。 山口 戦略は全部「特殊解」であって、すべてが文   脈に依存していて一般的な解はないですからね。   逆に言えば、論理を積み重ねていきついた解か   他者と同じであれば、それは論理的に正しくて   も最適解ではない、ということですよね。 楠木 だから戦略に限って言うと、一般理論はいつ   までだってもできないと言ってもいい。ところ   が「ペストプラクティス」が好きな人はワンフ   レースやキーワードにすぐに飛びつく。飛び道   具を欲しがるんですね。需要があれば必ず供給   がある。いつの時代でも、人々をそそる「旬の   飛び道具」が出てくるという成り行きです。 ちょっと前だと「ビッグデータ」、今だと「A I」とか「lOT」。あと、よくあるのが「な んとか3・O」。  しばらく前にあるメディアから「商社3・ O」という特集記事への寄稿を求められたとき、 僕は「商社3・Oなんてない」というタイトル で書かせてもらったんですよ。そもそも「商社 3・O」つてなんなのか。かつての輸入とか輸 出とかトランザクション中心たった頃の商社が I・Oで、事業投資とそこへの経営参加が中心 になった現在の総合商社を2・Oと言うならま   だわかる。両者の間には質的な違いがあります   からね。ところがそれと質的に違う3・Oとい   うものには、商社はまだなってないわけで。ま、   確かに新しい変化はあるかもしれませんが、そ   んなに細かいところで区別すれば、商社のよう   に歴史が長いところは今ごろ3・Oどころか   「商社30・O」になってしまう。 山口 2・O、3・Oつて言いたがる人、確かにい   ますね。 楠木 僕はそういう人に必ずツツコミを入れたくな   る。「3・Oとおっしやいますが、だとしたら   2・Oつてなんだったんですか。3・Oとの本   質的な違いはどこにあるんですか。いずれは   4・Oもあるんですよね」と問い詰めると、   「いや、『気持ち3・O』なんだ」と。 山口 気持ち(笑)。 楠木 「何か新しいこと」というニュアンスでしか   ない。結局こういうものは全部、飛び道具を欲   しがる需要と、それを当て込んで飛び道具を見   せたいという供給側の色気がかみ合ってそう   なっている。 山口 そうなんですよね。 楠木 ビジネス書でも。必殺技伝授の書”が実に多   いですね。ストーリーやシークエンス抜きに、   ひたすらワンフレーズ理解とかキーワード理解   になっていく。ビジネス言説の世界にいると、   もうこれまで「賽の河原の石積み」状態です。   積んでは崩され、積んでは崩されみたいな。   ちょっと前だと「これからはインターネットで   デジタルで水平分業モデルだ。垂直統合は古   い」と言ったかと思えば、そのうちに「やっぱ   垂直統合の強みが」と言い始める。うまくいか   ないと「いや、農耕民族だから」とか、もう全   部ロジックをすっ飛ばしてワンフレーズで理解   しようする。「なぜ」というロジックがきれい   さっぱり抜け落ちているんですね。 山口 旬のキーワードに飛びつくというのも、一種   のマウンテイングなんでしようね。最新のキー   ワードを使っている、ということを自分の主張   を押し通すための箔付けに使っている、一種の   「ドス利かせ」なんです。評論家が最新の哲   学・思想のキーワードなんかを織り交ぜながら   意味不明な駄文を羅列していて、要するに「ど   うだ、俺はアタマいいだろ?」というメタメッ セージを送ろうとしているだけということがよ くありますが、あれと同じ気がします。「どう やったら儲かるのか」という、ある意味で「地 味な問題」にトコトン向き合って答えを出すこ とができないので、短兵急に最新のキーワード を連呼して「俺ってイケてるだろ?」というメ タメツセージを送っているんでしょう。     「これからはサブスクだI・」     カ       見落としているもの 楠木 最近のワンフレーズ系飛び道具で典型的なの   は「サブスクリプション」という言葉。「これ   からはサブスクだ」と言うんですね。定額課金   方式は確かにメリットがあるし、さまざまな成   功例もある。よく例として使われるのがアドビ   のサブスク化ですね。「昔はパッケージの売り   切りでやっていたけど、サブスクリプションに   大胆に転換して、トップラインも利益も増大し て時価総額も伸びたじやないか」と言う。確か にそのとおりで、それなりに社内での利益の相 反もありながら、アドビはそれを乗り越えて しっかりと収益につなげていった。素晴らしい 戦略であり経営だと思います。  しかし、これは本当に「サブスク」の成功な のか、もう少し考えてみる必要がある。アドビ の成功は、どう考えてもサブスク以前に Fhotoshopみたいな超強力なタマがあったから できたことだと思うんですよ。アドビのソフト ウェアは、単にユーザー数が多いだけでなく、 ユーザーであるクリエイターからして、 「JO{O訃召でないと仕事にならない}わけで、 ものすごく粘着性が高いツールですよね。  そういう意味で特別よくできたタマがあって、 それを10年、20年と売りまくってきて、プロダ クトに依存するクリエイターやデザイナーが いっぱいいる。アドビがサブスクリプションに して成功したのは、サブスク以前にこうした条 件が揃っていたということが要因として大きい に決まっている。むしろ因果関係が逆で、そう した条件が揃っていたからこそ、アドビは思い 切ってサブスクに舵を切ったわけです。アドビ のそれまでの戦略ストーリーのありようを抜き にして、「サブスクの時代です」みたいなこと を言う人は、いかにも仕事ができないと思いま す。  飛び道具めいたものが手に入るとなると、人 間は高揚したり安心したりする。そうするとま すます「なんで儲かるのか」という本丸のとこ ろ、一連の論理の連鎖に目が向かなくなるんで すね。  ビッグデータをAIにかければ、ありとあら ゆる相関関係が見えてくるでしょう。でもそこ には因果がない。ロジックフリーなんです。因 果関係と相関関係は似て非なるものです。現象 として相関してるものも、そこにロジックがな いと意味はない。結局のところは人間がいちい ちロジックを見出していかないと差別化につな がるようなアクションはとれないと思うんです。 ところが、皮肉なことに情報が増えるほど一個 一個に注がれる注意は減っていく。因果が失わ れていく。「やるべき重要なことは、これとこ れとこれですよ」という並列思考になっていく   と思うんですよね。そこに飛び道具の罠がある。   AIに「もっとも重要な相関だけを選んで持つ   てこい」と言ったらたちどころに持ってくるん   ですけど、それでも数が多すぎる。もっと手前   でAIに「意味のある相関」を見つけさせるた   めには、人間があらかじめ論理と因果をAIに   プログラミングしておかなければいけない。 山口 人間は意味がわからないとモチベーションを   感じませんからね。AIが弾き出してきた相関   になんらかの因果が宿っている可能性はありま   すが、その関係性がブラックボックスになって   しまうと人間は「意味」を理解できず、モチ   ペーションを感じられません。当事者がモチ   ペーションを感じていない事業は、絶対にうま   くいきませんからね。      元祖”センス派”力−ルーワ      イクの      究極セッション 楠木 AIの時代と言いますが、ますます「センス   メイキング」が大切になっていると思います。   カールーワイクという先生がいるんですね。   1936年生まれの大家で『組織化の社会心理   学』という素晴らしい本がある。僕が何十年か   前、学生の頃に読んで本当に感銘を受けた本の   ひとつです。この人は元祖「センス派」。 山口 私も以前に読みました。かなり分厚い本です   よね。 楠木 僕が30歳になるかならないかぐらいのときの   ことですけど、カナダのマギル大学にいたヘン   リー・ミンツバーグ先生をリーダーとしたエグ   ゼクティブ教育プログラムのフアカルティ(教   員組織)に入っだことがあったんです。どうい   うプログラムにしようかと設計から手伝っだの   ですが、ミンツバーグさんがワイク先生をゲス   トで呼んできてひとつセッションをやりたいと   言うんですね。経営学者としてはミンツバーグ   さんもセンス派の本家本元みたいな人ですから。 山ロ カールーワイクはもともと心理学者ですよね。 楠木 組織心理学者ですね。ワイク先生に会えると   いうので僕としてもうれしかった。で、ミンツ   パークさんはvKarl Weick to Listen^という セッションにしよう、と言うんです。参加者は いろんな会社のマネジヤー、エグゼクティブク ラスです。自分の仕事で考えていることとか、 自分が長い間に渡って直面している解決がつか ない問題とか、いろいろとあるものを車座形式 でワイクに聞いてもらう。これがワイク先生の 本領発揮でいちばんいいんじやないかというん で、まずはワイク先生がみんなの話を聞くとい うセッションなんですよ。  で、ワイク先生のセッションの日のことなん ですが、受講生がもうみんないろんな話をする   んですよ。「先生、実はね」つて。そうすると   ワイクは「う1ん、なるほどなあ。まあそうい   うもんだろうなあ」と聞いてるんですよ。まさ   しく「{ow{a}。それで時間になったら、   「じゃ」と言って帰るんです。本当に聞くだけ   (笑)。 山ロ リスンのみ(笑)。 楠木 「これ、。Karl Weick to 」isten「 」iterally^じゃ   ないですか」と言ったら、ミンツバーグさんが   「これがビジネス教育の究極なんだ」と。実際   にみんな、満足してるんですよ。 山口 満足してるんですか。 楠木 「すっきりした」「わかった」とかね。ここま   でいけば、センスも究極だなっていう。ポンド   に腰が抜けるほど感動しました。 山口 究極ですね。 楠木 話を聞いてもらうという行為を通して、みん   なが意味を形成をしているんですよ。これがワ   イク先生の本を読んでいない生徒ぽかりたった   ら、ただのおじいさんが来ているようなもんで   す。ところが、もう勝手にみんなが意味形成し   てる。ワイク先生が持っている強烈な文脈とか、   彼の論理が受講者の頭の中にすでにある。その   うえでみんなが自分の仕事について考え、その   文脈、ストーリーの中で「ワイク先生、これが   問題のカギだと思っているんですが……」と   言ったときに、もうほとんど終わってるという   か、そこで答えは出ちやってるんですよ。とど   めにワイク先生に「まあ、そういうもんなんだ   ろうなあ」と言われると「そうかあ」と納得す   る。これが究極。 山口 そこは「パワーポイントが使えない」という   のがポイントだと思うんですよね(笑)。 楠木 そりゃそうだ。 山ロ パワーポイントは二次元平面に情報を整理し   て見せるツールなので、どうしても情報を並列   で見せることになりますよね。「現状の課題」   とか「今後の打ち手」といったタイトルの下に   二次元平面に情報が並列する。本来の思考は時   間軸に沿ってシーケンシヤルに進んでいくもの   なので、パワーポイントを使う場合は、それら   の情報を自分で時間軸に組み立て直して説明し   ないといけないんです。 楠木 そうそう、おっしゃるとおり。 山口 一方で、自分の話を聞いてもらうというのは、   そうすることによって自分にも整理できていな   かった時間軸や論理のシークエンスが見えてく   るということなんでしようね。 楠木 パワーポイントも使い方次第で、時間的な展   開をうまく考えていればいいんですけど、パ   ワーポイントが高機能化していくと、ありとあ   らゆるテンプレートとデザインに乗っかってし   まう。 山口 そうですよ。そうなんです。 楠木 そういうのはすべて並列箇条書き思考を促進   する。並列でなく、直列が大事なのに。その意   味でテンプレートは確実にセンスを殺しますね。       最旬ビジネスワードという       ”飛び道具”の誘惑 山ロ アルファベットを羅列したキーワードつて5   年に1つずつぐらいのペースで出てくるじやな   いですか。最近だとoKR(o晋ctives and Key   Results =口標と成果指標)とか、ooDA(ウーダ。 observe=観察、〇rient=方向付ける、{}ecide=決定、ヽr =行動。口標達成のための4段階。もともとは米空軍パイ ロットのための意思決定プロセス)なんかが典型です ね。ちょっと前だとBPR(Business Process Re- engineering =ビジネスプロセスの再設計)とかERP (Enterprise Resource Planning =経営資源配分の最適化)が あって、さらにさかのぼればcRM(n巨呂er Relationship Management=顧客維持管理)やsFA (Sales Force Automation =営業プロセス管理)なんかも 騒がれましたね。もう次々に出てくるので、こ こらで究極のを提案したいなと僕は思っていて、   それは「MNA」なんですね。なんの略かって   言うと「もうなんでもあり」という(笑)。    言つたもん勝ちですからね。どれも言つてい   るのは当たり前の話で、それをさも新しいコン   セプトのように仕立て直してリボンをかけて売   り込もうという人が後を絶たず、それに「待つ   てました」と懲りずに飛びつく人がさらに輪を   かけて後を絶だない。 楠木 それこそ「賽の河原の石積み」ですね。それ   は結局、供給側のプロモーションというか、供   給側の商材のラッピングみたいな話なんで。   やっぱり彼らは全力でマーケティングしますか   らね。それに、3文字言葉を囗にすること自体   が何かうれしいという人も少なからず存在する。   それさえ言っておけば何かいいことをやってる   ような気になる人たちですね。もうだいぶ旬を   過ぎましたけど、一時の「プラットフォー   マー」なんていう言葉も、「これからはプラッ   トフォーマーが覇権を握る」とか、そういうこ   とを言うだけでみんなすごくうれしくなる。 山口 「流行りの言葉を使いこなせる仕事のできる   オレ」のイメージに酔っちやうんでしようね。 楠木 GAFA(Google Apple Facebook Amazon)はメガ   プラットフォーマーだからスゴイんだ、という   話。とにかく「GAFA」と言いたくてしよう   がない。GAFAとひとつにまとめるけれど、   そもそもグーグルとアップル、フェイスブック、   アマゾンでは全然商売の中身が違いますからね。   これを一括りにプラットフォーマーと言うのは、   JR東日本とヤマト運輸とANAと俳優のジェ   イソンーステイサム(映画『トランスポーター』に主   演)を一緒にして「トランスポーター」と総称   するようなものです。僕はぜひお勧めしたいの ですが、GAFA4社のアニュアルレポート、 sEc(UNITED STATES SECURITIES AND EXCHANGE COMMISSION=米国証券取引委員会)で公 表している資料を、単年度分だけでいいから じっくり読んで、比較してみるといい。すぐに ネットでダウンロードできます。GAFAは戦 略も収益構造も、まるで違う会社だということ がすぐにわかる。  でも、そういう商売の中身には立ち入らず、 とりあえずの結論が「これからはプラット フォーマーの時代だ」。実に空疎です。イオン   もウォルマートもセブンーイレブンもプラット   フォーマーと言えばプラットフォーマーですか   らね。JR東日本もそう。あれだけプラット   フォームを持っている会社はほかにない。 山口 まさにプラットフォーマーです(笑)。 楠木 東京駅の一日の乗車人数だけで約[>万人です   よ。 山口 現物のプラットフォームを持っている。 楠木 やっぱり人間は面倒くさがり屋ですね。とに   かく頭を使う労を厭う。だからワンフレーズ、   ワンキーワードで理解しようとする。 山口 必殺技に頼る、飛び道具に頼る思想ですね。 楠木 そうそう。16文キックみたいな必殺技がどこ   かにあるはずだと。こっちかいくら「そんなも   のはない」と言っても「いや、それでもダメな   ら32文ロケット砲だ」みたいな。 山ロ クロスカウンターみたいにどんどんバージョ   ンアップしていく。ダブルクロスだ、トリプル   クロスだって。でもその必殺技の出てくるプロ   セスつて、あれはけっこう意味深で、結局最後   は必殺技で勝つ。そこにシーケンシヤルな考え   方はない。本来はシーケンシヤルな連続した流   れがあって、その最後にようやく必殺技で勝負   が決まるんです。 楠木 それなんですよ。まさに。必殺技はあったと   しても、むき出し単体では使えない。 山口 「とにかく飛びついてみたい」という感覚が   すごくあるんだと思うんです。さっきのOKR   とかBPRとか、プラットフォームとかシナ   ジーとか、「こういうことを言うとカッコよく   見える」とか、「流行り言葉らしい」といった   理由で無批判に飛びついてしまう。そして、水   戸黄門の印籠みたいに「プラットフォーマー   だ」とか「GAFAではこうやってる」みたい   なことを言われると、それを聞かされるほうも   「うわつ、この人にはちよつと反論しないほう   がよさそうだ」みたいな習性が身についてしま   う。「だからなんなんだ。ウチはそもそもやり   方が全然違うんだ」とは、どこか言いづらい。 楠木 飛び道具は決め台詞にもなる。「このプラッ   トフォーマーの紋所が目に入らないのか、控え   おろう!・」(笑)。 山口 そこは知識でマウントしたい。最新の知識で   上下関係をはっきりさせてマウントしたい。威   張りの構図だと思います。 楠木 前にも話したプロキシですが、キーワードが   プロキシになってしまう。本当は業務で成果を   出すことが目的のはずなのに、それが個人的な   優越感を示すとかいうことにすり替わってしま   うんでしようね。 山口 IBMの再生計画を発表した時のガースナー   と記者のやりとりですね。記者たちはガース   ナーの再生計画を聞いて、それが地味で地に足   のついた話ばかりで、当時流行りの経営キー   ワード、つまり「ビジョン経営」とか「分割」 とか「アジャイル」とか「ダウンサイジング」 という言葉がまったく出てこないのにビックリ したわけですが、とにかくキャッシュフローを 改善して集中治療室から出る、という単純かつ 深刻な問題に向き合っているガースナーにとっ ては、そういう流行リワードを弄ぶ記者こそ無 責任に見えたんでしようね。     「インサイドーアウト」か     「アウトサイドーイン」か 楠木 なぜ飛び道具や必殺技のようなものを求める   ようになるのか。「インサイドーアウト」か   「アウトサイドーイン」か、という思考様式の   違いに分かれ目があると思います。仕事ができ   ない人というのは、だいたいアウトサイドーイ   ン。これがセンスを殺す要囚として大きいので   はないか。最適な解かどこかに落ちているはず   だからとブワーツと幅広く外部にあるものを   サーチして、そこからいいものをピックアップ   して問題を解決しようとする。これがアウトサ イドーインのアプローチです。  インターネットをはじめとするITは、アウ トサイドーインの人にとっては最高のツールで す。技術の進歩には人間の思考をアウトサイ ドーインの方向に振っていく面があると思いま す。アウトサイドーインの人は「これからどう なるのか」をすごく知りたがる。どうなるのか を知ったうえで、数多くのオプションのなかか ら正しい解を選択しようとする。だから未来予 測とか「これからなくなる仕事」とかいう話が 大好きなんですよ。「2030年はこうなる」   とか。 山口 でもそういう予測はほとんど当たらないんで   すよね。 楠木 僕はそういう本をコレクションしてるんです。   『1995年の世界』とかいう本が、当然   1970年には出ているわけですよね。   1999年に出た『2015年の日本』とか。   今読むとしみじみと面白いですね。頓珍漢なこ   とが書いてある。1999年時点の予想では、   今はもう日本から総合商社がなくなっているは   ずですからね。    なぜそういう未来予測の本を読みたがるのか   というと、アウトサイドーインですから、外界   を広く知ればどこかに最適解があるはずたとい   う前提なんですね。 山口 要するに「答えを教えてください」というこ   とですよね。自分で考えるのが面倒だから。コ   ンサルティング会社って「未来予測のプロジェ   クトを立ててほしい」という依頼がすごくたく   さん来るんですよ。 楠木 でしようね。やっぱりそういう需要が強い。 山口 僕もこれはいったい何だと思っていたんです   よ。すごく大きなパラドクスがある気がしてい   て。というのは、予測できる未来に意味はない   わけですよね。予測できない未来に価値がある   んですよ。だけど予測できない未来というのは、   どうやったところで予測できない。 楠木 ま、定義からしてそうですね。 山ロ リーマンーショツクは2008年の夏ぐらい   から非常にはっきりしてきたんですけど、僕は   その前の1年ぐらいのうちに世界中のシンクタ   ンクや金融機関が出した経済予測を集めて調べ   たことがあるんです。だいたい「景気拡大は続 く」とみんな言っているんですよ。ごくごく少 数「危ない」と警告を発する人もいるんですけ ど、あまりにマイナーな意見だとして、それは 無視されている。これはパラドクスです。  予測できる未来に意味がないのにコンサル ティング会社に1億円かけて未来予測を依頼す る。果たして、その予測どおりになったとすれ ば、そのあとに特別なことは何も起こらない。 逆に予測どおりではないことが起こったときに はものすごく大変な事態になるんですけど、そ れは誰にも予測できない。予測している人はI   部にはいるんですけど、「すげえ変わり者」と   言われて無視されているんです。 楠木 未来予測という作業は本人にとってはけっこ   う気持ちがいい。 山口 日本でいちばん最初に検索エンジンのサービ   スを始めたのは1995年の「NTTDIR   ECTORY」なんですね。ヤフージヤパンの   サービス開始が96年4月ですからヤフーは後発   なんですよ。当時のNTTでは東大の数学科を   出て博上号を持っているような人が研究所に集   まって検索エンジンをつくったんです。結果は   惨敗ですよね。    電子商店街や電子商取引にしても、アマゾン   が始めたのと同じ時期にIBMが「ワールドア   ペニュー」というのを始めているんです。 楠木 そうなんですね。 山口 これは会社の人材登用法の話にもなるんです   けど、人もある、金もある、技術もある、ネッ   トワークもある、ブランドもある、何もかも   持っているNTTやIBMのような会社と比べ   て、最初の頃のヤフーやアマソンにはなんにも   ない。ベンチャーキャピタルからの投資もやつ とのことだし人材もない、ブランドもない、 ネットワークもない、技術もない。これはもう 巨人兵上ゴリアテとダビデみたいな戦いです。 だけど結果的にはダビデ側のヤフーやアマゾン が勝って、巨人NTTやIBMは完膚なきまで に叩きのめされたわけです。ブロックバスター とネットブリッグスの関係も同じですね。  このとき負けた側には何か足りなかったのか というと、これはやっぱりひとつしかない。モ チペーションなんですね。NTTやIBMには ミッションはあってもモチベーションがないん   ですよ。 楠木 本心ではそれはどやりたくない。 山口 上司から「仕事だからやれ」と言われた。   「アメリカでは検索エンジンというのが始まっ   たらしい。ウチもつくるぞ。やれ」と言われて、   実直だからみんな真面目に調べる。まさに外側   からのアウトサイドーインなんですね。視察に   行ったりしていろいろ調べて、「技術的には簡   単だよ。こんなの簡単にできる」と甘く見る。   でもインサイドーアウトの人は「世の中をひっ   くり返してやろう」とか舌をペロペロしながら   考えているわけですよ。       「ネットブリッグス」強さの       淵源 楠木 IT企業の例で言うと、僕はネットフリッグ   スの事例は非常に面白いと思うんです。とくに   初期の経営が面白い。今年6月に『NETFL   IX コンテンツ帝国の野望 GAFAを超え   る最強IT企業』(ジーナーキーティング著/牧野洋   訳/新潮社)という本が翻訳されて出版されたん   です。これにはインターネットのストリーミン   グになる以前のネットブリッグスの歴史が書い   てある。 山口 DVDレンタルをやっていた時期の話です   か? 楠木 そうそう。ネットフリックスつてずいぶん古   い会社で、初めの10年弱は単なる郵送DVDレ   ンタルの会社たった。内容がかつてのネットフ   リックスについてなのは、単に翻訳が出るのが   遅れたから。原書はやや古い本なんです。でも、   翻訳が遅れてかえってよかった。いま読むと実   に勉強になります。 山口 その前はブロックバスター(アメリカのVHSビ   デオやDVDのレンタルチェーン店)と同じ普通の店   舗型のレンタル店ですね。だけど全然うまくい   かなかった。 楠木 事業として立ち上がっだのは郵送でのDVD   レンタル。お客さんがネットで注文したDVD   を封筒に入れて郵送する。見終わったら封筒で   返してもらう。そういう商売を10年弱やってい   るんですよ。でもいちばん最初から社名は 「ネットブリッグス」たった。これの意味する ところは大きいと思います。  どういうことかというと、創業の最初から現 在に至るまで、コンセプトは変わっていないん ですね。お客さんがいろんな制約から解放され て、見たい番組を見たいときに見たい場所で見 られるようにする。実にシンプルなコンセプト です。そのためのサービスを提供する会社であ るということで、これは最初から変わってない んです。  そのときは技術やインフラの制約でコンテン   ツのストリーミングは無理でした。だけどやろ   うとしていることは同じで、手段がたまたまD   VDの郵送だった。これもDVDの時代になっ   て初めてできるようになったわけで、その前の   VHSだと箱が大きくて封筒に突っこんで郵送   していると壊れてしまう。 山口 それはそうでしようね。 楠木 敵は実店舗をいっぱい持っているブロックバ   スターです。当時のネットブリッグスとは比較   にならない強大な相手。そこから10年にわたる   ブロックバスターとの血みどろの戦いがこの本 の主題なんですが、これが超面白いんです。ブ ロックバスターもバカじゃない。優秀な経営 チームが必死に考えてネットブリッグスに対抗 していくんですが、最後はアイカーンのファン ドが入って、奇妙な経営者を外から連れてきて 混乱するというお決まりのコース。自殺点みた いな形でブロックバスターはダメになってしま います(つ乙Olつ丶J年に倒産)が、途中は挑戦者の ネットブリッグスをロープ際まで追い詰める局 面もあったんですね。  今では。GAFA”に次ぐすごい会社たとい われているネットブリッグスの現在の強みが、 封筒でDVDを送っていた時代に全部ある。そ の競争力構築のプロセスがたまらなく面白い。 お客さんからするとブロックバスターの慣れ親 しんでいる店舗に行けば、新作や話題作が ガーツと並んでいる。ネットブリッグスは店舗 を持だないので、もちろんいっぱい在庫を持っ ているんですけど、みんながネットで注文する と新作なんて全部すぐになくなってしまう。そ うすると図書館の貸し出しの順番待ちみたいに なってお客さんはブーブー言う。  これを解消しようというときに、当然もっと 新作の在庫を増やせばいいのですが、新作の仕 入れ値は高い。ブロックバスターのほうはコン テンツメーカーとのパイプも太いし、仕入れる 財力もある。ところが新作はブワーツと回転し ても、その後人気がなくなって不良在庫になる。 限られた資金と在庫でお客さんを満足させるた めには、とにかく旧作へ旧作へと誘導し、貸し 出されるタイトルを平準化することが弱者が強 者に対抗するカギだとネットブリッグスは気づ いたんですね。それが新作主義のブロックバス ターとの差別化だと。  じやあ、どうすればいいか。お客さんがどう いう映画をどういう順番で見て、どれぐらいの 早さで返してきて、次に何を借りたかというと ころを見ていけば趣味趣向がわかるI。原始 的なやり方ですが、そうしてメールで誘導して いけば旧作のほうへと引っ張れる。そうすると 高いカネを出して新作の在庫を買わなくても 同っていく。こういう切実な理由があって、 ネットブリッグスは顧客の行動や選好のデータ を集め、分析をし始めたのです。この延長上に 今のストリーミングのネットブリッグスの強み が開花した。  歴史をたどっていくと、ネットブリッグスが なぜいま強いのかが初めてよくわかる。ところ が今あれだけ大きくなって、自社であれだけ予 算があって、バジェットをぶちこんでコンテン ツをつくって話題作で賞を取るというところだ けを見ていると、なんでこういう会社ができた のかがわからないんですよね。やってることの 本質はDVDレンタル時代と変わらない。なぜ 今になってネットブリッグスが強いかと言えば、   データマーケティングの年季が圧倒的に違うん   です。 山口 七転八倒した会社ですよね。 楠木 絶対弱者だから、もう七転八倒ですよ。 山口 その都度キーワードに流されない。その局面   でどうやって生き残れるかということを、もの   すごく考えたんでしようね。 楠木 もうブロックバスターへの対抗策が顧客選好   の解読と誘導のアルゴリズムしかないんですね。   切迫しているから、それは真剣になりますよ。   アマゾンに食われるんじやないか、ブロックバ スターにとどめを剌されるんじやないかという なかで薄氷を踏むようにI歩一歩進んできた。 そのぶん研ぎ澄まされている。  そういう苦闘もなしに、今になって「これか らはコンテンツデジタル配信でサブスクリプ ションだ」とチヤラチヤラ言っているのとは、 まったく次元が違うんです。実質がある。商売 の生命線だけに、ネットブリッグスは今でも データマネジメントの全部をAIに任せてはい ない。作品ごとの特徴のタグ付けがひとつのカ ギなんですが、2019年時点でもネットフ リックスではその作品を表すのに最適な「夕 グ」を人力で付けているそうですね。ネットブ リッグスには、タグ付けを専門にしているチー ムがあります。彼らは「ぴ脂q(タグ付けする 人)」と呼ばれる正社員で、アメリカのロサン ゼルスとロスガトスを拠点に働いている。作品 のエピソード一つひとつまで細かく見て、人間 がタグを付けているんですね。もう徹底してい る。       環境や状況に原因を求める       「気象予報士」ビジネスパー       ソン 楠木 アウトサイド・インの人には、先にもちょっ   と言ったんですけど「とにかく日本はダメ」と   いう話がすごく好きな人がいます。「オワコン」   「老害」とか「規制が厳しすぎて」「政府がこう   だから」とか。僕はそういう人を「気象予報   士」と呼んでいるんです。「木を見て森を見ず」 の逆で、自分のやっているビジネスが木だとし たら、背後の森ばかり見ている。で、すべてを 環境や状況で説明する。  なんでうまくいかないのかというと、「雨が 降っている」「閉塞感だ」「右肩下がりだ」「六 重苦」とか、もうそういう話ばかりがパンパン 出てくる。いやいや、雨は降っているかもしれ ませんけど、あなたの商売の上だけで降ってる んじやないですよ、みんなに降っているんです よと。それなのになんで状況や環境のせいにし ようとするのか。「森を見て木を見ず」どころ か、もはや「空を見て木を見ず」みたいなこと になっているんですね。ちょっとうまくいけば 「アペノミクスが功を奏した」とか言って、う まくいかなくなると「アペノミクスの第三の矢 がダメだ」とか言っている。結局どうしたいの かがさっぱりわからない。アウトサイドーイン のなれの果てですね。 「脳内高度成長期おじさん」は「人口が増えな い」とかブーブー言っている。実際には高度成 長期のほうが異常だったのに、そのときの環境 条件で思考がセットされたままになっている。 山口 環境条件に関する知識だけはやたらとあって   言い訳の説明はすごくできる。心理学の用語で   言う「外罰的」というやつですね。とにかく悪   いことがあると「外側」に原因を求めるだけで   「ここにいる私」が起点にならない人のことで   す。 楠木 仕事ができる人の思考の軸足はインサイドー   アウトです。完全な未来予想はできない。情報   は不完全でも、まず自分なりのロジックやス   トーリー、自分なりのハッピーエンドみたいな   ものが見えている。もちろん知らないことは いっぱいあるんだけど、「わからなかったらあ とで取りに行けばいいよ」というのがインサイ ドーアウトの考え方です。  アウトサイドーインの人というのは使わない 部品みたいな在庫がめちゃめちゃ溜まっている。 インサイドーアウトの人はトヨタ生産システム で、必要な部品を必要なときに取りに行く。た だし完成車のイメージはもうできあかっている。 この違いがけっこう大きいと思うんです。       「誰か俺を止めてくれ」       究極のインサイドーアウト 楠木 ところで『セッション』(Q乙01イt年製作/ディ   ミアンーチャゼル監督)という映画、ご覧になりま   した? 山口 いや、見てないと思います。 楠木 ビッグバンドジャズのドラマーが主人公の作   晶なんですけど、そのバンドマスターが音楽の   学校の先生で、ものすごくサディスティックな コーチングをする。テンションの高い鬼気迫る 演技が評判になってアカデミー賞の助演男優賞 を獲ったんですけどね。もうメトロノームで 「ジャストじゃない」「1000分の3秒前乗り だ」とか。主人公はもう手に血豆ができて、血 を流して気絶するまでドラムを叩き続けるみた いな。音楽映画なのに、すごくスポーティでア スレティツクなんですよ。  そのときに何回も何回も鬼コーチが「チャー リー・パーカーはこれだけ練習したんだ」みた いなことを言うんです。でもね、僕に言わせれ   ばこの先生は音楽を冒涜している。チャー   リー・パーカーは自分が気持ちよくなるために   練習していたのであって、鬼コーチのメトロ   ノームの1000分の何秒なんていう話じゃな   いと思うんですね。まあ話としてはよくできて   いて演技もすごいんですけど、もう根本のとこ   ろでイヤな話。「いや音楽ってそういうもん   じゃないだろ」という。 山口 音楽で言うとサックスプレーヤーのジョンー   コルトレーンのいちばん好きなエピソードがあ   るんです。  コルトレーンがマイルスーデイビスのバンド に入っだ若い頃のエピソードなんですが、マイ ルスは当然自分のバンドなので、ここぞという ときにはやっぱり自分で吹きたい。ところがコ ルトレーンのソロが長いんですよ。なかなかや めない。それでツアーの途中にマイルスがつい に怒って「ちょっと来い」ということになった。 マイルスが「最近のお前、ちょっとソロが長す ぎだろ!・」と叱ると、コルトレーンは真顔で 「どうやってソロを止めたらいいのか、わから ないんです」つて相談するんですね。 楠木 イイなあ。 山口 この相談への回答がまた傑作で、マイルスは   「いいか? ソロを止めたければ、サックスを   囗から離すんだ」つてアドバイスするんですね。   「サックスを囗から離せば、ソロは止まる」つ   て、そりゃそうだよな、ということで改めてス   テージに臨むんですけど、やっぱりコルトレー   ンはソロが止められないんです。で、そのうち、   どんどんソロが長くなっていって、ついに観客   も「お前のソロ長えよ、マイルス聞かせろよ」   と怒ってブーイングし始めるわけです。そのう ちマイルスも怒ってステージを降りちやって、 マイルスが降りちやったから観客も帰り始める んです。これは確かニューヨークのアポロシア ターのエピソードなんですけど、観客も帰って マイルスもいない。もうほかのメンバーも帰っ てしまってステージの明かりも落ちてる。それ でもコルトレーンは一人でずっとサックスを吹 いている。  このエピソードが僕は本当に好きで、これだ けでコルトレーン、最高だよなって思っちやう んですね。 楠木 内発性ですよね。 山口 そうです。それで明かりを落としたあとも吹   き続けてた。 楠木 究極のインサイドーアウトというか、もう湧   き出てきちやっている。 山口 誰かこれを止めてくれ、みたいな。       アムンゼンとスコットの違い 山ロ インサイドーアウトとアウトサイドーインの   対照例としてわかりやすいのは、ロアールーア   ムンセンとロバートースコツトの南極探検で   しようね。このレースは結局はアムンゼンが圧   勝するんですが、彼ってほとんどペテン師なん   ですよ。あの人はもともと「北極に行く」と   言って資金を集めてますから。 楠木 そうだったんですか。 山口 そうなんです。アムンゼンは「北極に行く」   と言ってスポンサーを集めてます。彼の母国で   あるノルウェーは北極に近いので、確かに北極   は重要です。船もスポンサーも人も集めて、乗   組員も募集して、いよいよ行くぞという1ヵ月 前になってアメリカのロバートーピアリーが北 極点に到達したことを知ったんです。人生を懸 けて準備してきたのに、北極点一番乗りで負け てしまった。  だからまわりの人たちが「もう計画は中止で すよね。二番手って意味ないですもんね」と 言っていたら、「まあでも、まだ調べることは いろいろあるんじやないか」とかムニヤムニヤ 言ったまま、ピアリーの北極点到達から約1年 後に出港して、陸から追っ手が来ないとなった 時に「南極に行き先を変えます」と言って南極 へ行っちやうんです。  北極へ行くのであれば2ヵ月ぐらいで帰って こられると乗組員たちは思っていたのに、南極 に行くとなると1年間は帰ってこられない。政 府もスポンサーも乗組員も乗組員の家族もみん な騙してアムンゼン一人だけが出港前から「先 に北極に行かれちまった以上、オレは南極を目 指す」と思っているわけです。完全にペテン師 ですよ。でもこれがまた人間の機微の面白いと ころなのですが、「南極に行き先を変える」と アムンゼンが船内で宣言を出した瞬間、船内か   ら船を揺らすような雄叫びが上がったというん   ですね。 楠木 これもいい話だなあ。 山口 乗組員たちも「二番手は嫌だ」と思っていた   んですよ。「南極だったら一番手が獲れる。み   んな行かないか? オレは行きたい」とアムン   センが声をかけると「ワーツー・」と雄叫びが上   がった。 楠木 面白いですね。 山口 一方のスコットはイギリスのエリート軍人で、   イギリス海軍から支援された動カソリに雪上車、 馬、軍艦と準備万端で南極点到達を目指した。 結果的にどうなったかというと全滅するわけで す。本人も含めて全員死んでしまう。何もかも 揃っているエリート軍人とペテン師でアマチュ ア探検家のアムンゼン。でも結果的にはアムン ゼンはあっという間に南極点に行って帰ってき ちやうんです。  ありとあらゆる資源に恵まれたトップエース のチームと、ベテン師スレスレのアマチュアの 探検家が戦って後者が勝ったわけです。普通に 戦略資源の量を比較したらアムンゼンがスコッ   卜に勝てるわけがないんですが、そういう戦略   資源の多寡は実は二の次の話だったんですね。 楠木 もっと根本的なもの。 山口 競争優位を左右する要因としては大、モノ、   カネのなかでも、やっぱり大なんです。それも   人の能力やスキルよりもモチベーションが大事   になる。アウトサイドーインではなくてインサ   イドーアウトのベクトルの熱量の強さ、それが   アムンゼンとスコットとの大きな違いだったと   思うんです。 楠木 このエピソードに関して僕が注目するのは、 スコットのほうがずっと使える資源が豊かだっ たということですね。とにかく用意周到。輸送 手段でもイヌぞりがダメだったらプランB、プ ランCまで準備する。状況に合わせて「ここは イヌぞりが最適で、ここから先はむしろ馬に引 かせたほうがいい」とかね。だけど結局それが 失敗のもとだった。  アムンゼンのほうは、最初からイヌぞり一本 たった。ほかにもいい輸送手段があるかもしれ ないけど、そんなの考える暇があるんだったら 最高のイヌを探したり、いちばん腕の立つイヌ   ぞりの使い手を連れてきたほうがいい。そいつ   を口説くのに時間を使ったほうがいい。最初か   らイヌぞりしか考えていなくて、オベレーショ   ンをシンプルに絞っだのがよかった。 山ロ イヌぞりに食糧を大量に積んでいくんですけ   ど、食糧って食べていくうちに、どんどん荷物   が減っていくじやないですか。さらにデポ(前   進基地)に荷物を置いていくんで、どんどん軽   くなっていくんです。イヌもそんなに必要なく   なってきて、どうするかというとイヌも食糧と   して食べてる。計画的にイヌも食糧にして食べ   て減らしていって、最後はギリギリの頭数のイ   ヌぞりで帰ってくる。    これはトップダウンなんですよね。なぜトッ   プダウンでこうするのか。さかのぼって考える   と、全部自分の中で考えた答えがある。逆にス   ゴッドのほうはある意味、作戦の考え方が非常   に箇条書き的ですよね。 楠木 そうですね。 山口 動カソリはすぐに壊れちやうんですよ。壊れ   ちやうんだけど、それを直せる技師を連れて   いっていないというように、作戦が箇条書き的   に全部ブツ切りになっている。 楠木 この対比は本当にいろいろなことを教えてく   れる例ですね。 山口 馬は寒さですぐに動けなくなるんですね。馬   のための馬草を大量に積んでいてそれが膨大な   荷物になってしまって、だけど馬は死ぬ。動力   ソリで行こうとしても、動カソリはすぐ壊れて   それを修理できるヤツがいない。結局最後は人   がソリを引いてるんですよ。    そこに至ってスコットは「いよいよ冒険らし   くなってきた」とか言って大興奮し始めるんで   す。ものすごい迷惑なリーダー。 楠木 危ないですね。 山口 危ない。「これが探検だ」「これこそ本物の探   検」とか言って、メンバーはすごく嫌がってる。 楠木 まさに潰れる寸前のダメな会社みたいな話で   す。 章   センスを 4 第  磨く       センスの怖さは       フィードバックがかからない       点 楠木 僕の娘が学校を卒業して仕事を始めるとき、   どうせ人間は三つぐらいしか同時に意識してで   きることってないので、毎年三つずつアドバイ   スをしようと思って、1年目に次の三つを挙げ   たんです。一つ目は「常に機嫌よくしていて挨   拶を欠かさない」ということで、これはものす   ごく大切なことだと思っています。 山口 それはまさしくコンピテンシーですよ。『幸   福論』を書いたアランも「上機嫌」を最高の美   徳として挙げてますからね。 楠木 1年目は知らない人でも誰でも「おはようご   ざいます」「ありがとうございました」、何か言   われたら「はい」。もうこれが最初に必要な能   力の8割ですね。    そして二つ目が「視る」ということ。「これ   は!・」と思う仕事ができる人を決めてずっと 「視る」。「視る」というのは、漫然と眺めてい るというよりは自覚的に視る、。視破る”とい うニュアンスです。それで「なんでこの人はこ ういうことをこの局面でして、なんでこういう ことはしないのか」ということを、答えがわか らなくても常に考えていろと。もう全部が文脈 に組み込まれていることですから。  そして三つ目が、僕はこれ、仕事の基本だと 思っているんですけど、「顧客の視点で考えろ」 ということ。取引先というだけではなく会社の 中にもお客さんはいて、「相手が自分に何をし てもらいたいのか」「あの人は何を欲している のか」ということをまず考えてから、それに向 けて仕事をするのがいい。この三つを最初の年 に言ったんですね。  この三つは全部センスに深くかかわっている と思うんですよ。1年目から「エクセルでこれ ができなきやダメだ」とか「英語はこのぐらい できるようになれ」なんてことを言ってもあん まり意味がない。それは自然とフィードバック がかかるんです。スキルの重要な特徴として、 TOEICが300点だと、やっぱりさすがに   もうちょっと英語を勉強しようかなという気に   なるものでしょう。だから放っておいてもいい。   ところが、センスはフィードバックがかからな   いので、ない人はないままいくことになる。こ   れがセンスの怖いところ。なぜかと言えば、セ   ンスのない人はそもそも自分にセンスがないと   いうことがわかっていないんですよね。だから   洋服のセンスがない人はいつまでだってもない。   フィードバックが自然にはかからないから。 山ロ フィードバックに気づくということ自体がも   うセンスですからね。 楠木 そうですよ。だからセンスを身につけるため   には、本人が気づいていないようなところで第   三者の助言が有効になると思うんです。 山口 おそらくセンスにおける事後性の問題という   のは、昔もあったと思うんです。それでもやっ   ぱり師匠に対する信用であったり、ずっとこう   いうふうにやってきて師匠の師匠もそうだった   んだというようなことが、ある種のクレジット   になっていたのかもしれない。 楠木 そうでしようね。少なくとも主観的にはクレ   ジットがないと成立しない。ただそういった   「修行」によってひどい目にあった人もいっぱ   いいて。 山口 それはきっといますよね。       島田紳助の「芸人は努力する       な」の意味 山口 2011年に芸能界を引退された島田紳助さ   んが、吉本の若手に対して明確に言っているの   は「努力するな」ということなんですね。その 発言がDVD(『紳竜の研究』2007年製作/アー ルーアンドでソ士にも残っているんですけれど。 ここで言う努力とは漫才やコントの稽古という ことですね。若手は不安でしょうがないので じっとしていられない。すると何をやるかとい うと、やたらと漫才の練習をしちやうわけです。 だけどそんなことは紳助さんに言わせたら順番 が違うと。「どうやったら売れるか」という戦 略のないままにひたすらに漫才の稽古をする、 そんな不毛な努力をするならまずは「笑いの戦 略を立てろ」と紳助さんは言っている。お笑い   というのはマーケットであり、実は競合がいる   んだと。紳助さんの当時だとB&Bだとかツー   ビートだとかオール阪神・巨人といった面々が   いるなかで、彼らがお笑いのマーケットでどう   いうポジショニングを取っていて、自分の笑い   のセンスや見た目だったら、誰のポジションの   近くだったら取れるか、芸能界でどこのポジ   ションが狙えるのかと、それだけを考え続けろ   と言っているんですね。 楠木 なるほど。 山口 紳助さんが実際に何をやったかというと、ま ずは売れている芸人の漫才をすべて録音して書 き起こして、どこでどうボケて、どうツツコミ、 どういう種類の笑いを取っているのか、という ことを分析していく。すると「落ちのパターン は8割一緒」「つまらないネタを直前に入れる と面白いオチが光る」といった具合に言語化か 可能になるんですね。紳助さん自身は「お笑い には教科書がなかったので自分で教科書をつく ろうと思った」と言っていますけど、もう完全 に笑いの経営学なんです。だけど、それをほか のみんなはやらない。なぜかというと、努力し   ていると安心するからです。 楠木 鋭い。 山口 漫才の練習をしているとなんとなく前に進ん   でいるような気がして安心する。確かに、それ   で多少は漫才がうまくなるということもあるで   しよう。ですが、自分がお笑いタレントとして   本当の意味での生きていく場所を見つけないこ   とには、職業として続けていくことはできない   わけです。紳助さんの場合、その努力のレイ   ヤーというか、努力の質がほかの芸人さんたち   とは違っていたと思うんですね。 楠木 だからスキルを身につけていく努力と、セン   スに至るまでの……それを努力と言うかどうか   は別にして、そこはやっぱり違いがあると思う   んですよね。 山口 「センスに磨きをかけていく」という、やっ   ぱり紳助さんが言っているのもそこにつながる   ことだと思うんです。だから、自分の持ってい   る間合いとか、話し方とか、見た目とか、お笑   い芸人として自分をどうプロデュースするか、   という視点ですよね。自分自身はどこだったら   勝てるのか、それをもう意図的に自分らしさを 磨いていくということが、ほかの人から見たら 努力に見えないかもしれないけれども、そっち のほうが本当の努力なんだと。  だから、お笑いタレントとして一流になりた ければ、「ひたすらに漫才の練習をする」とい うわかりやすい努力ではなく、その上位のレイ ヤーにある「お笑い芸人としての戦略を考え る」という努力をやりなさいということを言っ ているんですが、これはお笑い以外の世界で生 きている、私たちのようなビジネスパーソンに とっても示唆に富んだ話だなと思うんですよね。       「修行」というセンス錬成法 楠木 そうですね。「努力」という言葉を使っちや   うと第ニレイヤーの努力と混同されてしまいそ   うなので、仮にそれを「錬成」、錬り上げてい   くという言葉を使って区別しておきますが、錬   成の非常に古典的な方法というのは、さきほど   も少し触れましたが、修行ですね。つべこべ言   わずに10年、まずこれをやれと。修行というの   はたぶん事後性を克服するために人間社会が編 み出した方法論だと思います。  そこにはロールモデルとしての親方がいて、 日本料理の世界でも「なんとかの上にも3年」 というのがあるじやないですか。あれも最近は 評判が悪いですよね。確かに、それはそれで無 駄な面もいっぱいあるんだけれども、やっぱり やむにやまれず定着した方法でしょう。センス の錬成において、事後性の克服方法としてやっ ぱりわりと強力なんですね。ただ本来的な意味 での修行ということになると強制力が働かない となかなかできない。究極になると禅寺みたい   なことになっていく。 山口 禅で言うところの「只管打坐」ですね。つべ   こべ言わず、ただひたすら壁に向かって座って   いろ、みたいな。 楠木 そういう修行となるとちょっと一般性がない   んですが、全員で生活を共にするというのは大   いに理由があることだと思うんですね。    センスというものの本来の性質に戻ると、き   わめて総体であり、全体であり、綜合的なもの   なんですよね。ということは、裏を返すとセン   スというのはその人の一挙手一投足すべてに表 れていると思うんですよ。プレゼンテーション のスキルを学ぶとなれば、観察する対象がプレ ゼンテーションをしてくれていないと学べない んですね。その大がプレゼンをしているところ を見ないと意味がない。ところがセンスについ ては、ひとつ有利な面があって、それはセンス がある人の一挙手一投足、メモの取り方、商談 相手への質問の仕方、会議の取り回し方、そし てデスクの配置、ご飯の食べ方、鞄の中に何か 大っているのかというところまでも含めた、そ のすべてにセンスが表れている。だから一緒に いれば、なんでも学びになるわけです。  確たるセンスを錬成する方法はないし、人に よってそのセンスのあり方も千差万別なので標 準的な習得方法はないのですが、センスがある 人が身近にいればその人をよく視る。これがい ちばん手っ取り早いセンスの錬成法ですね。大 切なのは「全部視る」ということ。これをある 種、方法化したのが「カバン持ち」とか「書 生」みたいなシステムだと思うんです。修行よ りもちょっとソフトですが、同種のロジックに 依拠している。 山口 なるほど「立ち居振る舞い」とか「佇まい」   といった言葉で表現されるものですね。全体を   視るともなく視る、全体を全体のまま把握する   ということがセンスの錬成になると。しかし。   これはなかなか難しいですよね。宮本武蔵の   『五輪書』にも書かれていますが、人は視よう   とすると必ず、全体ではなく部分を視てしまい   ますね。意図的に視るという行為は必然的に   「注視」を起動しますが、「注視」というのは部   分化するということですから、なかなか「全体   を視る」というのは難しいし、それこそスキル   として言語化できないんですね。 楠木 だから、まあこれが僕の安直だと言われると   ころなんですけど、「視る力」も含めて、結局   いちばん多くの人が使えるやり方というのは   「それが好きであること」だと思っているんで   す。    その人が好きだとか、一緒にいたいとか、面   自いと思うことができれば、視ることはそんな   に苦にならないですよね。対象のことが好きで   あれば、視るというプロセス自体で報われる。   どこまでいけたかという結果じゃなくて、その 道すがらの風景で報われるような状態であれば、 思いっきり続けられるし、やっているうちにど んどんうまくなる。  山口さんがご本で言っている「価値基準や判 断基準が中にあるのか、外にあるのか」という 話と同じなんですけど、僕は良し悪しではない ものを「好き嫌い」と言っているんですね。良 し悪しというのは普遍的な価値基準で、極端な 例で言えば法律で規定されている「人を殺して はいけない」みたいなことです。これは良し悪 しですよね。普遍的なコンセンサスが自分の外 に成立している。  同じ価値基準でも、その人の中にある局所的 な価値基準がある。それを「好き嫌い」と言っ ているんです。ですから普遍性の軸で良し悪し と好き嫌いは連続している。良し悪しでないも のが好き嫌い、となる。この意味での「好き」 が自分の中にないと、センスの錬成は始まらな いと思うんです。好きでないとあまりにつらい。 事後性を克服できない。       センスとは後天的に習得する       もの 楠木 「天賦の才」という言葉があるように、セン   スというと生得的、先天的なものに思われがち   なんですけれども、実際にはセンスというのは   大いに事後的、後天的なものだと思います。み   んなそれぞれに試行錯誤のなかで時間をかけて   錬り上げていったものですね。センスを磨くた   めの教科書や標準的な方法がないので、いかに   も生まれたときに決まっちゃつてるみたいに見   えるんですけど、本当はそんなことない。 山口 そのとおりだと思います。センスの習得は事   後性が高い。事後性が高いというのはプロセス   と結果の因果関係がよくわからない、というこ   とですよね。だから結果として習得している人   を見るとプロセスをすつ飛ばして習得している   ように見える。でも本当はそうじゃない。だか   らこれも一種のディープラーニングなんしよう   ね。ディープラーニングも結局は「何か出てく   るかわからないけど大量にデータを飲ませたら   何か出る」ということで、これも非常に事後性   が高いですよね。 楠木 言語で言うと、アルファベットで綴られてい   て比較的文法がシンプルな英語などと比べると、   日本語、中国語はすぐには使えないわけですよ。   読み書きになると、とりあえず漢字を最初に   300個ぐらい覚えなきやいけないということ   になる。もし言語が文化とか人間の意識を強く   つくっているのだとしたら、日本語というのは   「四の五の言わないで、まずはやれ」という修   行みたいなところがある。つまり日本語文化で 育った日本人には、けっこう事後性を克服する のに向いている面がもともと備わっているのだ と言う人もいます。  英語だと、もしわからないことがあったとし たら「それはインストラクションが悪いんだ」 ということになる。インストラクション、つま り教える側か悪いのであって、受ける側の修行 とかいうような問題ではないんですね。言語と して対比したときには、日本語という言語のも とで生きている日本人のほうが、事後性を克服 するのが本来得意なはずなんじやないか、みた   いな説があります。       ジャハニーズーロストアート 山口 『弓と禅』(オイゲンλリゲル著/稲富栄次郎・上   田武訳/福村出版)という本は読まれたことはあ   りますか? 楠木 いや、ないです。 山ロ オイゲンーヘリゲルというドイツの哲学者が   大正時代に日本にやって来て、現在の東北大学   で哲学を教えた。その彼がドイツに戻って書い た本が『弓と禅』です。彼は新カント派の哲学 者なんですが、前々から禅に対して一方ならぬ 興味があって、ぜひ禅の勉強をしたいというこ とで手を挙げて日本にやって来た。それで東北 大学の教授になって、禅の勉強をしたいと言っ たときに「禅を勉強するんだったら弓をやった らいい」と言われたので、当時日本の弓の世界 の第一人者で「弓聖」といわれていた阿波研造 という人がちょうど東北の人だったので、その 人に弟子入りするんですね。  ヘリゲルはもともとオリンピックの射撃の選 手でもあっだので、弓も射撃と同じようなもの で物理法則がすべての世界だと思っています。 確かに的に当たるか当たらないかは物理の問題 であって、どれだけの初速でどういう角度で撃 ち出せば的に当たるかは厳密に解析的に答えが 出せます。だから弓も同じようなものだろうと 思っていたわけですが、これがまったく異なる ことに非常に戸惑うわけです。  まず弓の修行においては矢を持たせてもらえ ない。弓の弦を引く練習だけをずっとやらされ るんです。力を入れようとするとパシツと叩か   れて「力を入れないで引きなさい」と。要する   に呼吸の仕方をマスターさせるということなん   ですが、ヘリゲルからすると、もう意味がわか   らない。物理と呼吸ってなんの関係があるんだ   と。確か1年ぐらい、まず弦を引く練習だけを   ひたすらやらされるんです。 楠木 矢を持たずにですか。 山口 矢を持たずにです。ある日、弓を引けるよう   になったと言うので、じやあ矢をつがえていい   よ、打ちなさいと言われるんですけど、「目の   前の藁朿を打て」と阿波研造は言うんです。本 人は的を撃つほうが練習になると思っているの に、「ダメだ、藁朿を撃て」と言われる。バ スツと撃つとまたダメと言われる。何かダメか というと「あなた、撃とうと思って撃ってるで しよ。そうではなく、矢に行かせなさい」と。  僕も読んでいてここら辺からだんだん混乱し てくるんですけど「矢は行くべきときに勝手に 行くから行かせない」と。「笹の葉に積もっだ 雪が、どこかでサツと滑り落ちる、そういうふ うに矢に行かせなさい」と言われて、それでま た目の前の藁束をバスツと撃つと「まだ自分で 撃ってるでしよ」と言われる。それがまた1年 も続いて「もう俺、日本での任期が終わるんだ けどな……」と思いながらずっとやっていった ら、バスツと撃つだのを見て阿波研造がある日 ペコリとお辞儀をするんですね。その瞬間に 「今のはあなたではなく、。それ”が撃ちまし た」と言う。見ているとわかるらしいんです。  それでやっと弓矢を的に向かって撃たせても らえるようになる。そうなるとどうしても的に 当てようとしますよね。当たり前ですけど。す ると直前にやってた「矢に行かせる」というこ とがなかなかできない。ということで今度は 「的に当てようとして撃っちやいけない」と言 われるんですね。「あなたが的に当てようとし なくても、的に当たるように勝手に矢が出てい くから、矢に行かせなさい」と言うのを聞いて、 ついにヘリゲルが爆発するんです。「そんなこ と言うんたったら、先生は目隠しをしても当て られるに違いないでしようね」と言ってケンカ 腰になって迫った。  すると阿波研造が「こういう曲芸みたいなこ とは本来は嫌いなんですが、そこまで言うん だったらお見せしましよう」と言って、夜半に 道場へ来いと言うんですね。ここからがクライ マックスなんですけど、真冬の夜半、弓道場に ヘリゲルと阿波研造の二人がいて、火鉢の中で お湯がシユンシユン沸いている。東北の真冬な のでものすごく寒いんです。  的は漆黒の闇の中に沈んでいるんですが、阿 波研造が弓をつがえて撃つと、遠くから「バ シツ」と音がして「あ、当たったな」と。それ からもう1木撃つと、今度は奇妙な破裂音がす るんですね。何か変な音がしたので2本目は外 れたかもしれないとヘリゲルが見にいってみる と、1本目の矢が的のちょうど真ん中にあって、 2本目の矢が1本目の矢を割いて的に当たって いたというんです。  これを見た瞬間にヘリゲルの認知のシステム が変わるんです。自分の思っていた世界観と まったく違う何かがある。そうしてヘリゲルは ヨーロッパに帰ってから「西洋的な近代合理主 義の考え方とまったく違う、まず効果が特定さ れない、トレーニングと成果の関係が説明され ない、何かできるようになったときにはもうそ   れ以前には戻れないという、そういう世界があ   る」ということを『弓と禅』という本に書いた   んです。 楠木 面白いですね。 山ロ ヨーロッパではベストセラーになった本です。 楠木 そうなんですか。それは原作は梶原一騎では   ないですよね(笑)。 山口 完全に違いますね(笑)。多少、脚本を盛って   いるんじやないかという部分もあるんですけど。   これには、もともと日本人が持っていた、因果   関係は必ずしもはっきりしないというなかで訓   練をする「修行」みたいなものがまさにあって、   何かこう、失われてしまったロストアートのよ   うな感じがしますよね。       日本電産・永守重信の人心掌       握力 楠木 うちの父は現役の頃、日本精工という会社に   勤めていて、当時は永守重信さんの日本電産に   ベアリングを売る側にいたんです。 山口 その話は初耳です。 楠木 要するに、永守さんはうちの父のお客さん   だったんですね。当時の永守さんというと新興   企業のすごい経営者だという評判がワーツと出   てきた頃で、僕も関心があって「どんな人な   の?」と父に聞いたら「商売に実に厳し   い……」。    その永守さんに僕が初めてお目にかかっだの   は、確かアナリストーミーティングみたいな会   合だったと思います。永守さんがいて、こっち   側に証券会社のアナリスト、ストラテジストみ たいなのがいて、何かいろんな質問をして答え るみたいな場所で、僕はそこで第三者として何 か意見を言えというので呼ばれていたんです。 それで「この人が永守さんか」と思って、まあ お話は例によってすごく愛嬌あって面白い方で。 それで帰るときに「今日はどうもありがとうご ざいました」と挨拶に行ったら、「君のお父さ んは日本精工の人じゃないの?」と言われたん ですよ。それでびっくりして「え? なんでわ かったんですか?」つて言うと「いや、名前が 楠木だし声がそっくりなんですぐわかったよ。   お父さん、元気?」と言うんですね。 山口 それはすごい。よくわかりましたねえ。 楠木 その後はとくにお目にかかる機会がなくて、   たぶん2〜3年は間があったと思うんですけど、   ある時、また経済産業省の会議か何かでお目に   かかるときがあって、役所のビルに入るとちょ   うどエレベーターで一緒になったんですよ。そ   うしたら永守さんは僕の顔を見た瞬間、いきな   り「お父さん、元気?」つておっしやったんで   すよ。これには驚きました。 山口 超人ですね。 楠木 一度会った僕のことなどもうすっかり忘れて   いるものと思っていましたから、「前にお目に   かかったことがあるんですけど、楠木と申しま   す」と言おうとしていたところに「お父さん、   元気?」ですからね。「よく覚えていらっしや   いましたね」と言うと、「いや、僕は   2000〜3000人の個人データなら全部覚   えられていたんだけど、最近は携帯電話が出て   きて、そこにアドレス帳が大っちやったので、   自分の独自能力を失っだのが残念なんだよ」と。    昔は電話番号、家族構成など、従業員全員の   情報が全部頭の中に入っていたと言うんです。   それで「いやあ、すごいですねえ」と言うと   「いや君もね、僕みたいな偉い人間に覚えても   らってるとうれしいだろう!・」と、また愛嬌の   あることを言うんですよ。なんか二重三重の人   間についての理解の深さというか。ま、とてつ   もない人心掌握力ですよね。僕もそうでしたけ   ど、みんな一発で永守さんにやられて好きに   なっているに違いない。 山口 結局「人間をわかっている」ということなん   でしようね。最近はリペラルアーツがなんだか   論理思考に代わる新しいスキルのように喧伝さ   れていますけど、リベラルアーツつて要するに   「人間をわかる」ための学問ですからね。別に   哲学のコンセプトとか歴史の年号を覚えたって   仕事がデキるようになるわけがない。リベラル   アーツが大事なのは「人間をわかる」ためで   あって、永守さんは永守さんなりの修行を通じ   て「人間をわかっている」という境地に至った   んでしようね。 楠木 永守さんはある意味で「自分が小さい」んだ   と思うんですね。これは必ずしも謙虚とか控え めということではありません。自称「ほら吹 き」でいつも大きなことを言っているような印 象がありますが、大きな人こそ自分を小さく考 えている。だからこそ他者に対して注意が向く。 相手の立場に立ってものを考えることができる。 自分に都合がいいように考えない。自己中心的 に考えない。これが人間洞察の基盤にあると思 います。器が小さな人ほど「自分が大きい」ん ですね。自分のことで頭がいっぱいで、自己を 客観視できない。  自分が小さい人は、頼りにされても安易に人 に頼らない。貸しが多いのに、回収しない。前 にも話に出た小林一三いわく「偉い人というの は貸しが多い人」。実際、僕の経験でも仕事が できる人ほど気前がいいような気がします。 「気前がいい」というのは一般に思われている よりもずっと大切なことだと思うんです。鹿島 茂先生の本から学んだのですが、フランスの作 家であるラーブリユイエールは「徳は勇気と気 前の良さだ。なぜかというと、生命と金銭とい う二大重要事を軽視することだから」と言って います。自分が小さいということは、勇気があ   るのと同じくらい大切なことですね。       センスメイキングとは「人間       洞察」 楠木 最近いい例だなと思ったことのひとつに「S   u・Ic a」の改札機のデザインをした山中俊治   先生(東京人学生産技術研究所教授)の話があります。   山中先生によると「デザインの本質というのは、   それを使うお客さんが無意識に使いこなせると ころにある。その意味でのデザインは最高度の 人間洞察を必要とする」とおつしやるんですね。 だいたいSu・lcaの改札機の形状なんて、普 段、誰も意識して見ていないし誰も覚えていな い。それがいちばんいいことなんだって言うん ですよ。デザイナーというと創造性に満ちてい て自分の個性爆発で……というイメージですが、 実際は自分を限りなく小さくしていかないと、 本当のデザインはできない。  初めにSu・lcaの技術が出てきたとき、切 符を中に入れる改札機はあったんだけれども、 「かざす」という行為についての理解というか、 そもそも概念が人々の中にない。しかもかざし てもらって一定時間そこでスローダウンしなけ ればいけない。そうやって待ってもらわなきや いけないというのが技術的な要請としてあった。 そこをどうすればいいのかということが、Su ・lcaの改札機のデザイン上の重要な問題たっ た。そこで山中先生は人間の本能に立ち戻って 考える。で、「光るとそれに反応する」とか 「ちょっと手前に傾いていると少し速度を落と す」というアイデアを得るんですね。そういう   人間の本能の理解を形状化するということが、   デザインの本質なんだという話です。これも要   するに人間洞察ですね。 山口 これもさきほどの永守さんの話と構造は同じ   で、デキる人というのは総じて「人間をわかっ   ている」ということなんでしようね。「人間」   というシステムを部分化せず、総体として洞察   している。スティーブージョブズは市場調査に   非常に否定的でしたけど、これがウケるかウケ   ないかを直感的に把握できるということは「人   間をわかっている」ということで、それをわざ   わざ調査してデータを集めて「購買意向は○   パーセント」みたいに検証しないと前に進めな   いというのは、「人間をわかっていない」から   ということなんでしようね。 楠木 もうひとついい例だなと思つだのは、レゴブ   ロックの衰退と復活という話。一時期のレゴの   衰退は子どものデータを集めすぎたことが原因   だったというんですね。ずいぶん前の話ですけ   ど、ユーザーである子どものデータ、要するに   ビッグデータのはしりみたいなデータをさんざ   ん集めていったら、明らかに傾向として得られ たのが「最近の子どもは以前と比べて注意が散 漫である」ということ。これはレゴには適して いない。  ではなぜそうなったのかと言えば、テレビ ゲームみたいなものの影響で、高刺激性のもの には即時に反応するという。これについても データとして出てきた。子どもの遊びがどんど んテレビゲームに代替されているなかで、ク チユクチユとやっているレゴみたいなものは、 もう難しいのだというような諦めをレゴのマネ ジメントが持つようになった。だからキヤラク タービジネスでディズニーみたいな会社になろ うとした。  しかし、それによってますます業績が悪く なったんですね。そうしたなかで復活するきっ かけになっだのが「なぜ遊ぶのか」ということ を改めて考えるということだったんです。目に 見える現象だけ、傾向だけを追いかけていくと テレビゲームの優勢は揺るがない。  しかし、集計レベルの平均値ではなくて子ど も一人ひとりをじっくり観察していくと、十分 にレゴに夢中になっていることがわかる。だか らもっとブロックに回帰していったほうがいい んじやないかという話が対抗馬として出てきて、 結局はそれが復活の糸口になった。  これは最近のデータ至上主義の落とし穴みた いな話で、実は世の中にはそういったデータに よる弊害がけっこうあると思うんです。人間洞 察というのは一人の人間の中にあるものすごく 複雑なメカニズム理解みたいなことなので、 データを集計して平均値とか傾向とか相関を見 るということとは、あまりうまくフィットしな いと思うんです。 山口 もともと「遊び」自体がリペラルアーツのど   真ん中のテーマですよね。人間はなぜ遊ぶのか。   オランダの歴史家、ヨハンーホイジンガが『ホ   モールーデンス』という本を書いていますけど。   これって「遊び」が文化をつくったっていうこ   とを論証している本ですからね。一方でデータ   は調査設計者が検証しようとする一面しか示し   ませんから、確証バイアスをさらに強める傾向   があります。やっぱりデータだけで「人間」を   把握することは難しいんだと思います。人間と   いうのは部分としては矛盾していたり整合して   いなかったりするので、部分の足し上げだけで   理解しようとすると破綻してしまいますからね。 楠木 しかも人間ってそれほど一貫していないもの   なので、ますます人間の本性や本能についての   洞察が重要になると思うんですよ。 山口 「役に立つ」ということで価値を出そうとす   ればデータとスキルはとても有用でわかりやす   いんですけど、「意味がある」で価値を出そう   とするとデータもスキルも役に立だない。そこ   で求められるのは「人間性に対する洞察」で、   これがこれからは競争力の中核になっていくん   でしようね。 楠木 人間洞察ということで言うと、前にも話に出   たマツダという会社も僕はいいなと思いますね。   この会社の特徴として、ほかの会社のクルマで   あってもいいクルマはみんなすごく褒めるらし   いんです。 山口 そうなんですか。それは国産車でも? 楠木 ええ、国産車でも海外のクルマでも、その辺   が実に素直というかおおらか。メルセデスが今   よりもずっとコストをかけて造っていた、モデ   ルでいうとW124つていうんですかね。 山口 Eクラスですね。 楠木 それでマツダの人たちは「あの頃のベンツは、   ここがぽんとすごかったよなあ」みたいな話を   嬉々としてするというんですね。この辺がなん   とも上品でいいと思うんです。 山口 これもやっぱり「自分が小さい」という話で   すね。たとえ競合が造っているものであっても   「いいものはいい」と言える度量ですね。    いわゆる「三大幸福論」のうちのひとつを書   いたパートランドーラッセルというイギリスの   哲学者がいるんですが、ラッセルの『幸福論』 の根本にあるのは「自分自身に興味と関心を向 ける人は必ず不幸になる」ということなんです よね。ラッセルは哲学者・数学者として名を成 した人ですが、活動家でもあり非戦論を唱えて 投獄されたりしながらも、最後にはうつ病も 治ってとてもハッピーだった。何度も離婚と再 婚を繰り返しているので、「そりやあお前は ハッピーだっただろう。でも周囲の人がどう だったかはわからないぞ」とも思うんですけど、 それはともかく、彼が人生において重要だった と言っているのは「自分には数学と哲学があっ   た」ということなんです。    つまり謎を解きたい、わからないことを明ら   かにしたいという気持ちが強くあって、常に関   心が外に向いていた。だからこれも楠木さんの   言葉で言うところの、自分がすごく小さいんで   すね。 楠木 そうですね。 山口 とにかく解きたい謎とか、気になっているわ   からないことがあって、それが解けるかどうか   ということでずっと生きてきたら、人生を振り   返ってみると結果的に「まあ、いい人生たった   な」ということになったと言うんです。       データでは見えない人間の       「矛盾」 楠木 警察官なのに万引きしたとか、学校の先生な   のに痴漢で捕まったとか、そういう事件がとき   どきありますね。新聞のコメントとかでは「信   じられない」という声が出てきますが、僕は   「人間ってそういうもんだよな」と思うんです。   もちろん犯罪は犯罪ですが。矛盾が矛盾なく同   居しているのが人間ですよね。そんなに首尾一   貫した、言い換えればつるりとした人はいない。 山口 まったくそうだと思いますね。基本的に「破   綻している」のがデフォルトの人間の状態です   よね。サマセットーモームも「長く生きてきた   けど、これまで首尾一貫している人間なんて見   たことがない」と言っていますし。 楠木 日本経済新聞で読書にかかわる随筆の連載を   したことがあって、そこで書いたことなんです   けど、松下幸之助って本当に言葉が強い人で、 だからこそ『道をひらく』(PHP研究所)という 本が今でもベストセラーになっている。あれは 本当に素晴らしい本だと思うんですよ。言葉に してしまうと「自分の道を生きろ」とか「素直 な心」とか……之‘訛み手からすると「まあ、そう だよね」つていうだけのことになってしまうん ですが、短い文章のなかで選ばれている言葉や 言い回しには本当に迫力がある。これはなんで だろうと思ったときに、『血族の王 松下幸之 助とナショナルの世紀』(岩瀬達哉著/新潮文庫) という人間・松下幸之助の負の側面も直視した 評伝があるんですよ。これがまた面白いんです ね。  松下幸之助さんにはお妾さんがずっと別にい て、一緒に事業をつくってきた奥さんをないが しろにしていたとか。それから、経営者として はある意味健全だと思いますけど、儲けに対す るものすごい執着があったとか。あと時代が変 わっていっても過去の成功パターンに執着して、 どうしても重要な意思決定ができないとか。い ちばんモメだのは、袂を分かった井植歳男さん (松下電器産業=現≒パナソニックの創業メンバー、三洋 電機の創業者)との確執。それから自分の子ども にどうしても会社を継がせたいんだけれども、 上場企業なのでそう簡単ではなくて迷走したり とか。  実際は「素直な心」どころではないのですが、 だからこそ僕はこの本を読んで、ますます松下 幸之助への尊敬の念を強くしました。松下幸之 助ほどの人でも自分の中に矛盾を抱えている。 そういう自分だからこそ、本当に気合いを入れ て念じるように素直な心が大切だと説いた。だ からこそ言葉に力があるし、世の中の人々の心   に訴えたんだと思うんです。        一流の人は「自分が小さい」 楠木 山口さんがご本で書かれていた「大人とおつ   さんの違い」というのも、この話とけつこう絡   んでくるんじやないかと思います。何かこう、   人間理解が平面的な人というのがダメなんじや   ないかなという。一流、二流、三流を区別する   ポイントとして、二流の人というのは「自分が   二流だということをわかっている」けれども、   三流の人は「そういう意識がない」ということ   なんですよね。これがすごく面白いなあと思っ   て。 山口 一流の人になるともう、二流とか三流などと   いう評価自体がどうでもいいし、気にならない   と思います。 楠木 そうなんですよね。 山口 確かに、この話も「自分が小さい」という話   に通じますね。 楠木 あと二流の層の厚さみたいなものって、けっ   こう社会として健全だということですよね。三   流が増えちやうと問題なんだけれども。 山口 僕が本に書いた話はかなり概念的なものなん   ですけどね。 楠木 若い世代がすごく「おっさん攻撃」をする   じやないですか。その気持ちはよくわかるんで   すよ。劣化したおっさんが身の回りにいっぱい   いる。ただ、前にも話しましたが、年齢が若   かったとしても、自制がなくて、今ある出来合   いの価値基準にやすやすと乗っちやうような人   は、若くても「おっさん化」しているわけです   よね。 山口 そうですね。システムに無批判に最適化しよ   うとする、世の中から与えられたモノサシを疑   わずに駆け登ることに血道をあげる、というの   がおっさんの基本行動ですから、年齢にかかわ   らず、例えば就職偏差値の高い企業をひたすら   目指して就職活動している一流大学の学生なん   かは「おっさん」に分類されることになります   ね。 楠木 だから例えば、自分の小ささということで言   うと、ポイントは一般に「謙虚」といわれてい   ることとはちょっと違うんですよ。「政治的な   屈辱は安い。政治的屈辱をやりすごせるヤツが   強いんだ」みたいな話をロシアのプーチン大統   領がしていて。 山口 なるほど、「屈辱に耐える」というのは謙虚   さとか美徳の問題ではなく、損得勘定なんだと   いうことですね。 楠木 政治的な屈辱を受け入れないというのは結果   的にコストが高くつくんですね。日本の戦時の   戦争指導者は、その屈辱に耐えられなかった。   それが結果的にひどいことになったわけで。政   治家に限らず、大人にはうまくいかないことが   いっぱいあるんだけれども、それをニヤリと   笑って受け止める。誰が言っていたのかは忘れ   ましたが、いちばんいけないのは「他人の力を   借りて雪辱を果たそうすること」。 山口 確かに、かつてのドイツもそうでしたね。ナ   チスというのはベルサイユ条約で連合国から与   えられた屈辱を発射台にして議席の過半数を   獲ってますからね。屈辱をバネにしてこれを果   たそうとするとロクでもない結果しか待ってい   ないと。 楠木 そうですね。それとか外交的に他国の力を借   りて雪辱しようとするとか。 山口 屈辱に耐えているという人がいて、それが美   徳や謙虚さの故なのか、損得勘定の故なのかは、   なかなか外から見ていてわからないということ   ですね。例えば岩崎弥太郎なんかは土佐藩時代   には上上の武上から人間扱いされていませんが、   これに必死に耐えて……というか、とくに雪辱   を果たそうとすることもなく、そのまま立身出   世していますね。一方で忠臣蔵の浅野内匠頭な   んかは、まさに雪辱を果たそうとしてお家断絶   になっている。プライドと言えばプライドなん   ですが、これは「自分が小さい」というのと真   逆ですよね。プーチンがそういうことを言って   いるというのは、すごい人間洞察力だな。       センスとは「具体と抽象の往       復運動」 楠木 センスというものの中身は何かということに   ついての僕の暫定的な結論は、「具体と抽象の   往復運動」です。これはいろんな人を横から見 てきたなかで、かなり腑に落ちていることなん ですけどね。  オープンハウスという会社の社長で荒井正昭 さんという人がいるんです。ものすごくイケイ ケどんどんの不動産のパワービルダーの創業者。 イメージは体育会系ですが、僕は荒井さんと話 していてものすごく知的な方だと思ったんです ね。  荒井さんは「いろいろあるけど、要するに」 というフレーズを頻繁に使うんです。いろんな 話がワーツと出たあとに、「まあ、いろいろあ るけど、要するにこれだよな」という結論が スッと出てくる。これが抜群なんですよ。抽象 化というか、論理化というか。ここで言う論理 というのは、その人に固有の「要するにこうい うことだ」という知見を言っているんですけれ ども。  ビジネスというのは、結局のところ具体じゃ ないと意味がない。具体じゃないと指示できな いし、結果は絶対に具体的だし。それにどんな 問題も必ず具体的に現れる。いつも一個の商品 とか一人のお客さんとか、そういう超具体を見 ているんですけど、そういうときに必ず「要す るにこういうことだよな」という抽象化が頭の 中で起きて、そこで得られた論理を頭の中の引 き出しに入れている。この引き出しがやたらに 充実しているというのが、センスのある人です ね。  これはユニクロの柳井正さんを見ていても思 うことなんです。ある商品が計画よりも売れな かったことがあった。こういうときに、センス のない人はすぐ横の具体に飛んで解決しようと するんですよ。つまり「去年はどうだっだの か」とか、「色味とか形はどうだったのか」と か、「競合相手はどうだったのか」とか、「地域 によっての売れ方は」とか……どんどん横の具 体に飛んでいくわけです。具体の地平の上を右 往左往しているだけで、一向に本質に至らない。  だけど柳井さんは絶対にそういうことをしな い。すごく具体的な問題があっても、まず自分 の頭の中の引き出しを開ける。「これってこう いうことじやないかな」と該当する論理を取り 出してくる。で、「どうも問題の本質はここに ありそうなので、こうやったら解決する」と なって、最後はすごく具体的な指示が出てくる。 それが横の具体に滑っているんじやなくて、自 分の中の抽象的な「要するに」のところから来 ている。  これを僕は「具体と抽象の往復運動」と言っ ています。実際にはこれ、所要時間I・5秒ぐ らいなんですよ。センスに優れた経営者は日常 の仕事のなかでこの往復運動を呼吸するように やっているんです。超具体の問題が「要する に」という匸一。肖ですごく高いところまでいく。 この振れ幅の大きさと頻度と、それからスピー ドですね。「要するにセンスつてなんだよ。一 言で言え」と言われても完璧な答えはないんだ けれど、いちばん近似している僕の答えは、具 体と抽象の往復運動能力ではないかということ です。よく「優れた人はブレない」とか「意思 決定が速い」と言いますね。ビジネスでは必ず、 その人にとっての未知の新しい現象が毎日出て くるわけですよね。ところがそれを一度自分な りの論理というか抽象のほうに上げている人に とってみれば、「いつか来た道」というか、「い つかどこかで見た風景」になっている。だから   新しい事象についても、確信を持って素早く意   思決定できるのだと思います。 山口 さきほど「センスはディープラーニングの結   果として事後的に生まれる」という話をしまし   たけど、荒井さんも柳井さんもディープラーニ   ングを通じて得たパターンが膨大にストックと   してあるんだと思います。ディープラーニング   を通じて得た知識や経験を具体のままでストッ   クしておくとほかの状況に適用できないので、   これだと単なる「もの知り」でしかないわけで   すけど、得られた経験や知識を抽象化してパ ターンとして蓄積しているから個別具体の状況 にそれを適用できるということですよね。  側から見ているとそのプロセスはブラック ボックスなので「センス」としか言いようがな いものに見えて、それは生得的なものに思える かもしれないけど、実際には膨大な量のディー プラーニングがそれを支えているんじやないで しょうか。     「根本的矛盾」を直視する 楠木 もうひとつ。僕の分野である競争戦略で言う   と、独創的な戦略の起点には、何かしらその業   界の人たちがこれまで見て見ぬフリをしてきた   矛盾みたいなものがあるんですね。それを直視   するというのがセンスの最たるものではないか   と思っています。    例えば、中古車のぷ貝取専門”で成功したガ   リバーインターナショナル(現在の社名はIDO   M)の創業者の羽鳥兼市さん。従来の中古車業   というビジネスは、個人から中古車を仕入れて、 それをメンテナンスして価格付けして、また個 人に販売するというビジネスモデルです。もち ろん儲けるためには「安く仕入れて」「高く売 る」が原則です。いかに安く買うか、そしてい かに高く売りつけるかが勝負を決めるわけです。 羽鳥さんもずっとそれを50歳過ぎまでやってき たんです。地元で成功して大きな販売センター を6つも7つも持っていた。  それで毎朝、各営業所を自分の車でまわって 発破をかけていくわけですけど、自分のお店に 「高価買取」という看板が出ている。その同じ 店に「激安販売」という看板も出ている。高価 買取、激安販売という看板を毎朝、毎朝見るわ けですよ。それで「なんか根本的に間違ってい る」「筋の悪い商売だな」となんとなく感じて いながらも、1分後には毎日の商売が始まりま すから、「中古車屋さんつてそういうもんだ」 「今日も、高価買取、激安販売で頑張るぞ!・」 というのを10年、15年とやってきた。そうして あるときにようやく結論を得た。「個人に売ら なきやいいんだ!・」つて。これが「買取専門」 という戦略の起点にあったという話です。    どんな業界にも思い込みがあって、本当は矛   盾しているのに「うちの業界というのはそうい   うものだ」と見て見ぬフリをしている。それを   直視するところから、何か新しい戦略が出てく   るということが多いと思うんです。それはやっ   ぱり全体を俯瞰しないと絶対にわからないと思   うんですよね。やっていることのそれぞれ細部   には一理あるものですから。 山口 「高価買取」は買い取りの担当からする 楠木 ものすごくいいことです。 山口 販売の担当からすると、「激安販売」と謳う   ことはものすごくいい。だから、経営のIレイ   ヤー下の階層からすると、そこはもうミツショ   ンですから、「高価買取」も「激安販売」も両   方大事なので掲げている。でも経営者からする   と、全体のシステムの中で「これは両立できな   いよな」というのが見えるということですよね。   楠木さんは「利益は顧客が喜んで払う金額=W   TP(Willing to p包からコストを引いたもの)   でしかない、という話を先だってされていまし   たけど、この例で言えば「WTPは安く、コス   卜は高く」ということを宣言しているわけで、   「利益」という点で考えたら完全に破綻してい   るけれども、一層下の部分で考えるとそれは合   理的だということになるわけですね。これも   「全体の系」が見えていないと気づけない問題   点ですね。 楠木 「全体の系」が見えているかどうかは、ひと   つにはこういうことだと思うんです。    経営の意思決定にしても日々の仕事上の判断   にしても、あることがあることに対して全面的   に優れているとか、全面的に劣っているという ことはない。すべての選択肢はいいことと悪い ことが混ざっている。要するにプロコン (1冬呂)ですね。AとBの選択で、あからさ まにAが正しくてBが間違っているのであれば、 Aを取ればいいだけの話で、それはそもそも意 思決定の問題にはならない。どちらもそれなり に正しく、それなりに間違っているのです。だ から全体の系が見えてなければならない。全体 がわかって全体を動かせる人しか本当の決断は できないということになります。  いちばん有害なのはプロコンを議論したまま どちらも選べない状況に陥ることです。「それ も一理ある……」とか言っていつまでだっても 決めない人がいるのですが、匸理ある」のは 当たり前で、一理もないことなんて世の中には ないんですね。全体の系が見えている人は、む しろ一理だけのためには動かない。全体を理解 したうえで、一石二鳥というか、二理も三理も 追求するわけです。     「抽象的思考」は難しいけど       面白い 山ロ コンサルティング会社ではよく使うチャート   があって、知的な作業をやるときの頭の使い方   のモードのチャートなのですが、横軸に直感と   論理、縦軸の上には分析/具体=AT(自百cal   巨nking =分析的思考)といわれるもの、下には統   (口/抽象=cT(conceptual thinking=抽象的思考)と   いわれるものを置きます。上下としたのは便宜   的なもので、どちらが上位の価値だということ ではありません。論理は積み上げで答えに至る もの。直感は答えをパッとイメージすること。 上は具体的に分ける。下は抽象的にくっつけて いく、物事を「要するに」でまとめていくこと だと言ってもいいでしょう。 ド 一 E    四 方   A  グ丶       C 使 =  ツU        = のい  元     ″       レし       I 頭/  卜 の 析          合   分          続 きぐ          く と考       グ゛ 考 る思       JU  思 す的       一に  的 を析       ル。 象   分          由 業           ― 作      感 な      直 的 知  こうして見たときに、論理や分析については トレーニングが可能たというんですね。では直 感と統合についてはどうやってその能力を上げ ていくかということが、やっぱりすごく議論に なっています。僕はコンピテンシーのサービス を世界中で売っているわけですが、30個ぐらい あるコンピテンシーのなかで、ある意味「それ を言っちやあ、おしまいよ」なんですが、もっ とも上げにくいコンピテンシーというのは実は わかっているんです。分析や論理に関するもの は訓練をすればすぐに上がるんですね。だけど 直感と統合の二つは難しい。でもやっぱり仕事 のうえでは具体と抽象の両方が必要なんですね。 分析したら必ず統合しないといけないし、メッ セージを出さないといけない。あるいは、論理 を積み上げていったら、それが本当に答えに至 るのかどうかということを、本音の片側から正 しい答えになりそうかどうかという「読み」を 入れていくためには、やっぱり直感が必要にな る。  つまり、直感と統合にかかわるコンピテン シーはとても重要なんですが、それをどうやっ   て上げていくかというのはなかなか悩ましいと   いわれているんですね。 楠木 なるほど。 山口 あと論理や分析については比較的トレーニン   グしたときの成長カーブが見えやすく、できる   ようになった感というか、報われた感とか達成   感があるんだと思うんです。 楠木 僕にもどうやったら統合や直感の能力を上げ   られるかというのはわからないですけど。ただ   これまでの自分なりの経験を振り返ってみたと   きに言えることがあるとすれば、抽象化や統合 という知的営みは実は人間にとってたまらなく 「面白い」ことだと思うんですね。例えば一見 すると全然違っている二つのものが、ある切り 囗から見たときに同じに見えたとか、バラバラ のものを統合して最終形から見えるというのは、 人間にとって本来はすごく面白いことだと思う んですよ。よく柳井さんが「あの大は商売の面 白さがわかっていないからダメなんだ」とおっ しゃるんですけど、その人のセンスの有無を的 確に表す言葉だと思うんです。  本当は抽象化や統合は人間にとって面白い。   しかしその面白さをわかるまでがけっこう大変   で、しかもわからないままで終わってしまう人   も多い。ただ、その面白さをわかった人にとっ   ては、面白いことなので自然にやりたくなる。   これが仕事ができるということにつなかってい   くんだという気がします。 山口 以前、大手飲料メーカーから、かつては定期   的に出たヒット商品がここのところなかなか出   ない、その理由を調べてくれというご相談をい   ただいたことがあります。現場で製品開発の仕   事をやっている人たちはトータルで200人ぐ らいいたのかな。その人たちのコンピテンシー を調べてみると、CT(抽象的思考)が、かつて ヒットをパンパン飛ばしていた大先輩の人だち よりも明らかに弱くなっている、ということが わかったんです。  キャリアの問題か採用の問題かといろいろ調 べたんですけれども、わかっだのは宣伝部を経 由している人は有意にCTが高いんですよ。広 告コピーなどは本当に削ぎ落として、削ぎ落と して、「これをいちばん伝えたい」という本質 についてずっと考える仕事なので、CMプラン ナーやコピーライターつてCTが鍛えられるん ですね。さっきも話に出た白土謙二さんも、も ともと電通のCMプランナーなんです。  何を言いたいのかというと、つまりセンスは 鍛えられるということなんですね。じやあどう やって鍛えるのかっていうと、非常にこれ、ま た修行的な話なんですが。  僕がいた頃の電通というのはまだまだのんび りした会社だったので、月曜日の朝はみんな、 9時なんていう早い時間に出社はしないんです よ。だいたい10時半とか‥1111時半とかにパラパラ 集まってきて「朝会やろう」と言って集まって 1時間ぐらい雑談をしているんですね。月に一 回の部会のときには、だいたい「最近、面白い こと何かあった?」と聞かれるんですけど、こ れがもう人事評価なんです。そこでつまんない こと言おうものなら「あいつちょっとヤバイん じやねえか」となってしまう。  そこで言う面白いことというのはどういうこ とかというと、こないだ新聞を読んでいてこう いう記事を読んで、電車の中でこういう景色を 見て、映画でこういうのがヒットしている……   今こういう時代がきているんじやないかってい   うことなんです。 楠木 「要するに」とか、そういうこと。 山口 まさに具体の情報を集めてホーンと裏側に   ひっくり返すと、こういうことが言えそうだっ   ていうことなんですよね。そこで「なるほ   ど!・」と思えるようなことが言えるか言えない   かが、ある種のポテンシャル評価になっていて、   その打席で何度も空振り三振とか見逃し三振し   ているようだと「あいつは向いていないな」と   いうことになるわけです。       抽象的な理解ほど       実用的で実践的なものはない 山口 電通にいたときに、白土謙二さんを見ていて   びっくりしたことがあったんです。ユニクロの   店を視察に行ったときのことなんですが、第一   次フリースブームで沸いていた当時、平日の夕   方の時間帯だったんですね。成城の環八沿いの   店だったと思うんですけど、ワーツとお客さん   がいっぱいいて、お店の中にすごく活気がある。 楠木 千歳船橋のお店ですか。 山口 そうです。それで「いや、すげえな。ユニク   ロの天下、まだまだ続くな」と僕が言って外に   出てきたら、白土さんが「山口さん、このブラ   ンドがこれから大変厳しい状況になるの、気づ   きました?」と言うんです。「えっ? だって、   あんなお客さんは入っているし、みんなカゴの   中に商品をいっぱい入れて、レジもすごい並ん   でいたし盤石じやないですか」と。すると白土   さんが「いや山口さん、このブランドの男性、   女性の衣料品の売上高比率って、何割だかわ かっていますか?」と言うんです。男性のほう が約8割というのはすでに分析されている具体 的情報としてわかっていたのでそう言うと、 「今日お店にいた方、性別で言うとどちらのほ うが多かったと思いますか?」と。確かに、女 性が約9割だったんですね。僕はカゴの中の商 品まで具体的に見ていなかったのですが、白土 さんが「カゴの中身は男性ものがほとんどだっ た」と言うわけです。  来ているお客さんは女性が約9割で、有価証 券報告書を見ると売上高比率は男性物の衣料品 が約8割。それで白土さんは最後に「買い物し ている入ってどんな様子でした?」と言うんで す。言われてみれば確かに、スーパーマーケッ トで買い物をしている感じだったんですね。 「結論はひとつです。あの人たちは自分の服を 買いたくてあそこに来ているんじやないんです。 ファッションというのは本質的に衣料を売るん じやなくて、服を買う喜びがベネフィットです から、自分のための服を喜んでこの店で買いた いと思って来てるんじやないということは、こ のブランドはダンスがいっぱいになったら、必   ずいったん打ち止めになります」と。 楠木 なるほど。 山口 この人はどういう頭の構造をしているんだと   思いましたね。まあでも、プランナーの頭の使   い方なんですよ。着眼点がいろいろとあって、   それぞれ具体的な情報なんだけれども、まとめ   ると「自分のために服を買っていない」「旦那   と子どもの服は安いユニクロで買って、自分は   お金をそこでセーブして週末に玉川高島屋に   行ってユナイテッドアローズで買っているんで   す。だから、いずれはあちらに負けますよ」と。   これはすごくわかりやすい例だと思うんですけ   れど、習慣的にいろいろなものを見て、それが   集まったときにどういうストーリーが描けるの   か。何か起こっていて、この先どういうことが   起こるのかという。つなぐ力”というのは、   やっぱりCMプランナーとして20年間ずっと   やってきていますから、さすがにCTは上がっ   ている気がしました。 楠木 ただ、CTを上げるにしてもAとBとCをこ   ういう順番でI週間ずつやればできるようにな   りますよっていう、標準的な方法ではないわけ   ですよね。 山口 ないですね。これはまさに修行で何十年もの   習慣を積み重ねた結果、事後的に把握できるも   のです。 楠木 白土さんの話はこれぞセンスつていう、仕事   ができる人だっていう例みたいなことだと思う   んですけど、まさに具体と抽象の往復運動です   ね。    抽象化というと何か評論家みたいだというよ   うな批判をされるんですけど、抽象的な理解ほ   ど実用的で実践的なものはないと、改めて思い   ますね。       どうやって自分の土俵を見極       めるか 楠木 話が戻りますけれど、自分の「土俵感」を   持っていないとセンスがセンスでなくなっちや   うというか、センスが空回りしがちだというこ   とを、もう一回指摘しておきたいですね。 山口 それがナンセンスになるというか、かえって   ブレーキになるという。ですから、スキルほど   こでも通用しますけど、センスは戦いどころを   間違えるときわめてネガティブになってしまう。 楠木 そうですね。まずは自分のセンスみたいなも   のがないと土俵もへったくれもないのですが、   そのうえで自分の土俵感、センスの土俵感まで   わかっている。相当高度なレベルですが、これ   が仕事ができるということの重要な要素たとい   う気がします。 山口 土俵を見つけるにはやっぱり場数なんでしよ   うね。 楠木 メタセンスですよね。土俵を外してみて、   「ああ、この辺が自分の土俵なんだな」という   ことがだんだんわかってくる。ただ、場数とい   うのも単純な反復みたいなこととはちょっと意   味合いが違うんでしようね。ある程度いろいろ   なバラエティがあって、あるところではうまく   いっだのに、なんでここではすごく空振りする   んだろう、みたいな。 山口 これは前にもお話ししたことですが、若い人   が「自分の強み」として認識していることはほ   とんど間違っていますね。だからこそ、短兵急 に「これは得意、これは不得意」と断じること なく、いろんなことにトライして、虚心坦懐に 「ウケたか、ウケなかったか」という結果を直 視しないといけない。やっぱり顧客がすごく喜 んでくれたとか、再び発注が来たというのは間 違いなく「得意」なんですよ。逆に言えば「い まいちウケなかった」とか「再発注が来なかっ た」というのは「不得意」だということですね。 ところが、こういうプロセスをすっと飛ばして、 例えば才能診断ツールのようなものに頼ってし まうわけです。 楠木 けっこう流行りましたけど。 山口 あれで自分の強みを再確認して、さらに強固   な独善に陥っていくというのは、とても危険な   話だと思うんです。人間には確証バイアスがあ   りますから、もともと思い込んでいることが危   機に哂されたときにこそ、余計にああいうツー   ルに頼って思い込みを守ろうとする傾向があり   ます。そういうものに囚われて短兵急に自分の   強み・弱みを確定させてしまって、場数を増や   す、いろんな体験をするということをせずに、   抽象的なデータに頼って自分のポジショニング   を決めるというのは、とても機会損失が大きい   と思います。 楠木 才能診断ツールみたいなものについて僕も懐   疑的ですね。自分のセンスやそれが利く土俵に   ついての理解を深めていくのが、仕事のいちば   んおいしいところというか醍醐味だと思うんで。   定型的な診断で「あなたのストレングスはこれ   ですよ」と教えてもらうというのは味気ないと   いうか元も子もない感じ。    洋服に興味がある人はフアッションーコー   ディネーターとかアドバイザーとかつけません よね。なぜかというと、自分でああだこうだと 考えるプロセスが面白いから。それを人に渡し てしまうのはつまらない。それと同じような話 だと思うんですよ。だいたい才能診断ツールを やった入って「当たってる!・」とか言うんです ね。なんだ、初めからわかってんじやねえかっ ていう。自分がもともとわかっていることを再 確認する程度のものなら「ファインダー」とい うのはちょっと言いすぎたと思うんですけどね。 いずれにせよ、自己理解として底が浅い。  僕はいろんな会社と仕事をしてきたんですが、   やっぱり合う・合わないというのがあるんです。   だいぶ前にIBMで集中して仕事をさせても   らっていた時期があって、わりとうまくいって   いたんですね。ところが、これも昔の話で今は   どうだかわかりませんが、その後オラクルから   お話があって経営陣向けのセミナーをやらせて   もらったんですが、こちらが提供する考えは基   本的に同じなんですけども、プルスインクで空   振りするということがあったんです。オラクル   の会議室でわりと寒い空気が漂った。 山口 (笑) 楠木 あれ? 業種はだいたい同じなのに、なんで   こうなるんだろうと。 山口 そこの空振りって、どうやって気づくんです   か。 楠木 いや、もう肌感覚でわかりますよね。 山口 議論にならない。 楠木 「なんだ、こいつは」みたいな。 山口 「誰だよ、こいつ呼んだの」みたいな。 楠木 ええ。それで、じやあ、オラクルとIBMと   いうのは、どのディメンションで違うのかなと   いうのを当然考えるわけですよね。そうすると IBMのような、どこかメインストリームみた いなノリが自分には合っていて、当時オラクル はまだ新興のベンチャーだったんですが、そう いうとことだとダメなのかとか。  だけどメインストリーム系のとあるメガバン クではドン引かれる。じやあ金融はもうダメな のかなと思っていたのですが、三井住友銀行に 行くとフィットがよかったりして。別のITベ ンチャーだとずいぶん盛り上がったりする。 「これってなんなんだろう?」というのは、結 局、場数の持っているバリエーションというこ   とだと思うんですよね。合う・合わないってい   う経験の積み重ねは、僕にとつてずいぶん勉強   になりました。 山口 わかります。 楠木 そのうちに「こういうタイプはもう合わない   な」とわかってくるので、「たぶんあんまり貢   献できないと思いますよ」と、あらかじめ断つ   たりするようになる。 山口 それについては今のところ、どういう言語化   というか抽象化ができているんですか。 楠木 それはですね、例えばいちばんわかりやす   い……僕は電通とかなんですよ。 山ロ ウケないということですか? 楠木 逆です。あくまでも僕の側の感覚ですが、電   通はフィットがいいと感じています。ファース   トリテイリングもイイ感じですね。あと、サン   トリーとか。ま、こっちがそう思っているだけ   で先方はそうでもないのかもしれないけれど。   でも、長いこと続いているということは、まあ   まあうまくいっているのかな、と。なんか一見   違っていそうですけれども、結局、ヒューマン   なところ、人間的な商売、人間的な会社が向い   ているのかなあ、と。 山口 なるほど。 楠木 言い換えれば、テクニカルじやないところ。   あくまでも冷静にカチカチと合理性を追求する   ところは向いていない。    当時のオラクルとIBMの違いは何かと考え   てあとでわかっだのは、IBMというのはB   tOBなんですけれども、すごくヒューマン   な世界だった。大規模なシステムの提案力、営   業力ですからね。白土謙二さんみたいな人が   いっぱいいて、上品で洗練されているんですけ   ど、ものすごい人間的な会社だったんですよ。   そういう面が当時のIBMにはかなりあって。    それに対してオラクルは、もう当時はひたす   ら競争力のあるタマでパンパン押していた。   データペース一本槍の頃だったので、どっちか   と言うとテクニカルだったのかもしれない。 山口 僕の苦手な会社で言うと、たぶん感覚は似て   いると思うんですけど、タテマエで勝負してい   る会社は苦手ですね。 楠木 わかります。それは僕も難しいよね。 山ロ アメリカの会社で言うとGEがもう典型なん   ですけれど。「そうは言ってもさ」ということ   を言うと「そうは言ってもさって、どういう意   味ですか」と、本当に真顔で言われちやうよう   なところが……。これはオラクルもちょっとあ   りましたけど。 楠木 なるほど。 山ロ オラクルの創業者のラリー・エリソンも   「show me go乱目∃g「」と言うだけで、もうみ   んなこうダーつと動いていく。なんかこう、隙   間が全然ない感じですよね。 楠木 なるほど。 山口 ちやめつ気がないというか、ちやめつ気が入   り込む余地が全然ないという感じはありました   ね。すごいアスレテイツクで。       仕事ができる人は       自分の「意志」が先にくる 楠木 センスがある人は自然と当意即妙のうまいこ   とを言う。白土さんなんて、もう「うまいこと   大将」にして「うまいこと大賞」みたいな人で   しようね。改めて白土さんのお話は面白かった   なあと思って、ネットで検索して白土さんが出   てくる記事をいろいろ読んでみたら、白土さん   は自分勝手に一人で電通の中で好きなように最   初から最後までやってきた。特異なキャリアで   す。で、ご本人は「わたくしはI人愽報堂でし   て……」なんて言う。あえて「一人電通」とは   言わない。うまいですね。 山口 うまいなあ。みうらじゅんさんも、言葉を使   うのは重要だというタイプです。彼は自分のこ   とを「一人電通」と言ってますよね。 楠木 あの人も、錬り上げられた生活哲学の人だと   思います。 山口 「ゆるギャラ」とか「マイブーム」とか、あ   れ全部命名はみうらじゅんさんですからね。 楠木 それを多くの人はキャッチコピーをつくる技   術だと思ってるんですよ。だけどそうじゃなく   て、みうらじゅんさんの場合は。生活の総体”   なんですよね。「マイ仏教」なんて、全生活を   かけて出てくる言葉だと思うんですよ。 山口 大阪大学でロボット研究をしている石黒浩先   生という、自分の娘そっくりのアンドロイドを   つくったりする相当エキセントリックな博上が   いるんですが、彼がコンピューターサイェン   テイストのアランーケイと話す機会があったそ   うです。 楠木 「ネットワークがコンピュータだ」みたいな   ことを言った人ですね。 山口 彼は1970年代に、子どもがタブレット端   末を使っている絵を自分の論文で書いている。   「ダイナブック」というコンセプトです。 楠木 東芝のパソコンの商品名ではなくて、「ダイ   ナミックメディア機能を備えた本」のようなデ   バイスというアランーケイの構想ですよね。 山口 未来は通信でつなかっていて、いろいろなソ   フトはグラウトにあるということを、もう70年   代に全部書いているんですよ。それで「この論   文は未来を予測していてすごい!・」と言われた   ときにアランーケイはすごく怒って「予測じゃ   ない」と言うんですね。「オレはこれをつくり   たいと思ってつくったんだ。だからオレが思っ   たような未来になっているんだ」と。    そんなアランーケイと石黒先生が会ったとき   に、石黒先生は研究がうまくいかなくて心が折 れていたらしいのです。アンドロイドをつくっ ても商業価値も生まれないし「オレ何やってん のかな」と思っていた。その時にアランーケイ に会っていろいろ説明して、最後に「アンドロ イドに未来はあると思いますか?」と質問し ちやったらしいんです。そしたらアランーケイ がやっぱりすごく怒ったらしくて「お前、第一 人者の立場として、そんなことをオレに聞いて どうすんだ? お前はアンドロイドをどうした いと思ってるんだ?」と。石黒先生はその言葉 を聞いて「何かそこでガツーンとやられた気が   したんだよね」とおっしやられていました。 楠木 いい話ですね。 山口 非常にいい話なんですよ。「お前はどうした   いんだ?」という。 楠木 アウトサイドーインの人は「どうなるんで   しよう?」ということを知りたいんですけど、   インサイドーアウトの人は「それはどうなるか   わかんないけど、自分はこうしようと思う」と   思考する。つまり自己の自由意志なんですよね。   先年お亡くなりになった堀場製作所の創業者、   堀場雅夫さんが素晴らしいタイトルのご本を書 いていらっしやる。『イヤならやめろ!・ 社員 と会社の新しい関係』(口本経済新聞社)という本 です。ポンドにそのとおりなんですね。誰も頼 んでいない。仕事というのは自由意志でやるも のです。君主制下で王様に命令されてやるもの ではない。自由意志というのは商売の根本的な 原理原則にして、仕事の生命線だと思います。  僕は意志が先にくるのが仕事ができる大だと 思っていて、「自分としてはこう思う」を貫く。 自分で面白がっていれば大に話したくなる。そ うするとだんだん人の理解も深まってくる。石 黒先生もアランーケイもそうだと思うんですけ ど、彼らの考え方がだんだん広まっていって、 実際にその話に乗ってくる大が増えてくる。ス トーリーが実行されていく。こうした流れの基 点にあるのは、個人の意志。それが結果的に正 しいかどうかはわからないけど、自分はそうし ようと思う。意志というのは、そういうことで す。  そういう人のもうひとつの特徴は、最初の段 階で正解を求めていないことです。構えとして 「ひょっとしたら、これイケるよな」みたいな。 山口 いい意味でのゆるさがあるんですよね。 楠木 僕が柳井さんからいちばん学んだのもその点   で、あの方はいつも戦略を考えるときに   「ひょっとしたら、これはすごく儲かるかもし   れない……」が起点にある。「絶対にうまくい   くのか」ということを求めないんですよ。いつ   も「ひょっとしたら」で考える。「ひょっとし   たら世界一になれるかも」と考えたのがユニク   ロの始まりたったとおっしゃるんですね。「確   率は難しくてO・Iパーセントかもしれないけ   どゼロじゃない。ひょっとしたら世界一になれ るのだから、その方向で考えてちょっとやって みよう」と。  それが話が面白いということだと思うんです よ。それはプレゼンテーションースキルじゃな い。話が面白い人というのは、「自分はこう思 うんだけど」という話をしているのです。話が つまらない人というのはアウトサイドーインで 「こういう予測になっていて、こういう影響で いつ頃までにこうなる」という話し方をする。  ひどいなと思うのは、会社の中でつまらない 話をする人がいる。聞いている人がつまらない   のは好みの問題だからいいと思うんですけど、   ところがなかには自分の話を面白いと思つてな   い人がいるんですよ。人前で自分でも面白いと   思つていない演説をする。自分でもつまらない   話に人がついてくるわけないですよね。自分で   もつまらない話に客がついてくるわけないと思   うんですよ。ということは、自分でもつまらな   い話をして、人を動かして会社を巻き込んで失   敗する。これはもはや犯罪行為ですよね。 山口 迷惑なだけです。 楠木 そういう人を会社の中で見つけたら、「犯罪 者!・」と声をかけてくれと僕は言っているんで す。心の中で、ですけどね。本当に囗に出すと、 こっちか犯罪者になっちやうから。そういう人 が会社から一掃されるだけで、売上げや利益は 大きく上がると思うんですよ。それだけ根本的 な問題だと僕は思っています。     仕事ができない人の「過剰在     庫」 楠木 アウトサイドーインに関連して付け加えると、   「これは役立ちそうだ」とか言って、勉強好き   な人がいますね。大量にいろんな知識を得て、   いろいろなツールを使ってきちんと整理して蓄   積していく。でも永遠に使われない部品みたい   になっていて製造ラインも動いてない。 山口 だけど在庫はすごい。 楠木 在庫過剰。インサイドーアウトの人というの   ははっきりとした必要があって、そのときに知   識を取りにいく。  ファーストリテイリングに本社のコーポレー トプランニングで経営管理系のことが異様に上 手な部長がいるんですよ。システムをつくって 回したり、予算の立て方はこうしてみようとか。 この人はファーストリテイリングがかつて買収 した靴小売りの会社に就職したんですね。それ で今ファーストリテイリングにいらっしやる。 就職してすぐにけっこう頑張ったら店長になれ た。でも「ここまで来れたんだからいいや。店 長で満足だ」とはならなかった。店長になって みると、カネ勘定ができないと店の経営ができ   ない。「これではダメだ」と思って経理の勉強   をしたら、翌日からすぐ使える。「なるほど、   こういうことか」と面白くなって、ますます勉   強する。 山口 そういう勉強は定着しますよね。 楠木 その靴小売りの会社はどんどん成長して、新   規出店の資金が不足するようになる。その頃、   彼は本社で働いていて、お金が足りないので銀   行に貸してもらいに行かなきやいけない。ここ   でPL(Profit and )oss statement =損益計算書)だけ   じゃなくて、Bs(Balance Sheet =貸借対照表)も わからなきやダメだということを肌で感じる。 PLやBSがわからないと銀行では話にならな いので、財務も勉強する。で、その知識を仕事 ですぐに使うんですね。  その後、靴小売りの会社がIPOをするとい う話になって、彼はすでに中枢メンバーになっ ていたので、内部統制とかIRとか、資本上の ルールも勉強しなきやいけない。ちょうどその 頃に会社がユニクロに買収された。  買収されたとき、当初は「なんだよ」と思っ たらしいんですけど、その頃すでに日本を代表 する高成長の企業と評判になっていたユニクロ を見てみると、彼の目から見て予算システムは あまり洗練されていなかった。買収された当初 は自分の役割が決まってなかったのでけっこう 暇だったらしいんですけど、その時に自分でエ クセルですぐに使える予算システムを勝手につ くろうと思った。すると今度はいろんなシステ ムの勉強もしなきやならない。そうやって5年 ぐらいやってるうちに、計画づくり、プランニ ングで頼りにされる人になっていた。中国事業 を立ち上げるときには「中国へ行って経営の   ペースをつくってくれ」と言われる。中国で商   売の基盤をつくっているうちにマーケティング   も必要になる。で、今では経営管理を軸足にさ   まざまな分野で頼りにされるマネジヤーになっ   た。これこそインサイドーアウトの勉強法です。   「今すごく勉強してます」と言って、セミナー   に出まくるのもいいけど、それだとアウトサイ   トーインで意味のない在庫ばかりになっちやう。   そんな知識はすぐ腐ってロクでもないことにな   る。 山ロ インプットの仕方が上手な人というのは何を   知りたいのかわかってると思うんですよ。よく   ある話で、「最近、離職率が増えてきている。   なんかエングージメントというのがキーワード   になっているらしいから、ちょっと離職率の問   題のプロジェクトを立ち上げてくれないか」と   言われた人が、離職率とかエングージメントと   かいうキーワードで何を出すか。「エングージ   メント経営」とかいうキーワードを使ってくる   んですよね。 楠木 どういうワードを持ってくるかもセンスです   からね。 山口 そうそう。センスがいい人というのは「エン   グージメント」とかいうキーワードに踊らされ   ない。ウチの会社を愛してくれない人が増えて   いる。組織に対する愛着はどうやったら持続す   るんだろう。逆に言うと「この組織のためなら   死んでもいい」という人を、どうやってみんな   つくっているんだろう、と。   「極論するとオウム真理教だな」と考えると、   オウムつてどうやって家族から出家させてきた   んだろうといった具合で、要するにその人がも   のすごく知りたいと思っているエッセンスから   出てきた抽象度の高い学びがある。だからすご   く面白かったりするわけですよ。 楠木 面白いですよね。 山ロ センスがいい人というのは自分が何をわかり   たいと思っているのかを認識している。自分に   何かいま知識として足りないのか。これは役に   立つ、これは役に立たないということが、もの   すごくシンプルに整理できている。    足りないものがはっきりしない状態のまま、   周辺のキーワードをとにかくワッと勉強して   「I週間勉強して、来週報告なんだけど困った」   と途方に暮れている人がけっこういるじやない   ですか。何を知り、何に答えを出したいという   点がはっきりしないまま、ブワッとインプット   する人はやっぱり厳しい。 楠木 厳しいですよね。それもプロキシですり替   わっちやってるんですよね。だけどそうやって   勉強していると刹那的には安心するんですよね。   敵はプロキシにあり、ということです。しかも、   これは強力な敵です。仕事は常にプロキシにと   り囲まれている。このことをよく踏まえて、そ   れでもなお成果への筋道を通して仕事をする。 昔も今もこれからも、これが‐‐1仕事ができる」 ということだと思います。 おわりに  「スキルのデフレ化とセンス       のインフレ化」はあらゆる       ジャンルで進行している                 山口周  不確定性原理を発見した20世紀最大の物理学者の 一人、ヴェルナー・ハイゼンベルクは自身の伝記に 対して『部分と全体』という題名を付けている。前 景となる個別エピソードを「部分」という言葉で、 20世紀物理学の進歩と発展という後景を「全体」と いう言葉で象徴的に表しているわけだが、延べ10時 間近くの時間をかけて楠木先生と「スキルとセン ス」という問題について議論し、今ここでほぼ仕上 がった原稿を改めて読み直して思っだのは、「スキ ルとセンス」の問題もまた、そのまま「部分と全 体」の問題と置き換えて整理できるのだな、という ことだ。  もちろん「部分」なくして「全体」はあり得ない。 しかし、いくら「部分」の品質を高めても「全体」 としてのシステムのパフォーマンスが向上するとは 限らない。むしろ部分への注意が高まることで視野 が局所化してしまえば、システム全体としてのパ フォーマンスは低下してしまうだろう。  「スキルとセンス」についても同様のことが言える。 言うまでもなく、「部分」を十全に成立させ、機能 させるためには「スキル」は必要だ。逆に言えば 「スキル」が必ず具体的な個別活動と紐づく以上、 「スキルは部分化する宿命」にある、ということだ。 したがって、いくら「部分」の機能を向上させたか らといって、それで「全体」がうまく成立し、機能 するとは限らない。俯瞰的な視野からシステムの弱 点をつかみ取り、時流に合わせてシステムを改変し ていくには「全体」を大きな枠組みとしてそのまま に捉える「センス」が不可欠になる。  したがって「スキル」と「センス」のどちらがよ り重要なのかは、その時々の状況によって異なる。 本書を注意深く読んでいただければおわかりいただ けると思うが、改めて注記すれば、本書の本意は 「スキルよりセンスが大事だ」ということを主張す る点にはない。両者は共に重要だが、その重要性は 文脈や立ち位置によって変化する、ということだ。  そして、改めていま現在の状況に照らして考えて みれば、昭和期に恐ろしいほどにうまく機能したシ ステムがさまざまな箇所で不具合を起こしており、 システム全体の改変が必要な状況にある。このよう な状況において、個別の「部分」のパフォーマンス を機能・向上させるための「スキル」の獲得だけに 注力することは、本当に得策なのだろうか。これが 本書の通奏低音となる問題意識なのである。  しかし、このような状況においても、相変わらず 「スキル」は愛好されている。世の中の変化が見通 せない以上、スキルくらいは身につけておきたいと いうことなのかもしれないが、実際にはもう少し夕 チの悪いバイアスが作用しているように思う。  世の中はどんどん変化していくのに、人のマイン ドはなかなか変わらない。結果、世の中のあり様と 人のマインドのあり様のズレは時間がたつほどに大 きくなり、そのズレがある閾値を超えた瞬間に莫大 なエネルギーを放出して均衡状態に戻る。そして、 往々にしてこのエネルギー放出には多くの混乱と悲 劇が伴う。これは地震のメカニズムとまったく同じ である。  バブル崩壊はその典型例と言える。「土地に投資 しておけば間違いがない」という社会通念は戦後か ら昭和後期にかけて形成されたが、この通念と社会 のあり様との間に発生した歪みが経済合理性の枠組 みで吸収できない閾値を超えた瞬間に巨大な揺り戻 しが発生し、多くの悲劇と混乱をわが国にもたらし た。  スキルと財の価値は需要と供給のバランスによっ て決まる。スキルがここまで求められ、もてはやさ れるのは、需要に対して供給が追いつかなかったた めだ。つまりスキルはかつて「金になった」のであ る。高度経済成長期の土地と同じように「投資して おけば間違いがない」のがスキルたったわけだ。  しかし、土地もスキルもそれだけで富を生むわけ ではない。本来、富を生み出すには様々な要素から なる「全体」としてのメカニズムやストーリーがあ り、土地もスキルもそのメカニズムやストーリーを 構成するひとつのヒースであるにすぎない。ところ がこのヒースに関する需要と供給のバランスが崩れ ると、メカニズム全体の整合性を置いてけぼりにし てヒースが価値インフレして一人旅に出かけてしま う。しかし結果は無残だ。放蕩息子の帰還よろしく、 一人旅に出たヒースは裸足にボロ布を纏って帰郷す るしかない。お父さん、僕が馬鹿でしたI。  いま求められているのは「儲かる仕組み」と「社 会課題の解決」を「全体」として構想し、その構想 によって人のモチベーションを引き出せるような人 物、本書で取り上げた経営者で言えば阪急グループ の事実上の創業者である小林一三のような人材だろ う。こういう経営者はスキル教育をいくらやっても 輩出することは難しい。構想力は数値化することが できないし、体系的な教育方法もないからだ。これ は日本における経営者教育の大きな課題だと思う。 しかしだからこそ、まずはこの時代における「セン スの重要性」を認識することが必要なのである。  閑話休題。「センスとスキルというテーマで一緒 に本をつくりませんか?」と楠木先生からお話をい ただいた際、真っ先に僕が思い出しだのは作曲に関 する自身のこれまでの葛藤と考察だった。  ここでは専門的な話には踏み込まないが、いわゆ るクラシックの世界における作曲には和声法、対位 法、管弦楽法などの膨大なスキルの体系がまとめら れており、これらを初歩から地道に学ぶことで一応、 スキル的には「作曲ができる」と胸を張って言える 状態にまで持っていくことができる。音大の作曲科 はまさにこれらのスキルを体系的に学ぶことを目的 にしているわけだが、ではこれらのスキルを身につ けたとして、作曲家・ミュージシャンとして活躍す ることができるかというと、必ずしもそうではない。  これは中学から高校の時期にかけてアカデミック な作曲技法を集中的に勉強した自分が身をもって感 じたことだが、体系的な作曲の技法を知っていると いうことと、人の心を捉えて放さない、その大なら ではの個性的な音楽を生み出すというのは、もう悲 しくなるほどに関係のないことなのである。スキル があってもセンスがなければインパクトのある作品 世界を創り出すことはできない、というのは私自身 の挫折体験から導き出した命題でもある。スキルが 評価されるのは与えられた楽譜を正確に演奏するこ とが求められるスタジオミュージシャンの世界だが、 そちらも現在はコンピュータへの置き換えが急速に 進んでおり、「スキルのデフレ化とセンスのインフ レ化」はここでも怒涛の勢いで進行している。人間 のミュージシャンに求められているのはますます 「センス」や「味」といった、数理記述や言語化か 難しい要素になりつつあるのである。  これはアートの世界についても同様である。ZO ZO前社長の前澤友作氏が123億円で落札した シャン=ミシェルーバスキアはアカデミックな絵画 技法を学ばず、ストリートアートをそのままアトリ エに持ち込んで世界的な評価を獲得した。現在の アートの世界では正統派の絵画スキルよりも人を魅 了する一発のコンセプトを生み出せるセンスが重要 になっているのである。ここでも「スキルのデフレ とセンスのインフレ」が起きているのだ。  これはビジネスの世界に当てはめて考えてみても 同じことだろう。現在は「正解が過剰になり、問題 が稀少化している」社会である。その逆、つまり 「問題が過剰で、正解が稀少」な社会であれば、与 えられた問題に対して正解を出すスキルを持ってい る人物は高く評価され、経済的にも成功しただろう。 しかし現在はその逆、つまり「正解が過剰で問題が 稀少」な社会になりつつある。ましてや現在は人工 知能の価格が急速に下がりつつある時代である。こ のような状況では、ますますスキルの相対的な価値 は低下し、コモディティ化していくことになる一方 で、社会から誰も気づいていない新しい問題をすく い取り、それを解決することで儲ける仕組みを構想 できるセンスには高い価値が認められるようになる だろう。  最後に、改めて本書制作の機会をくださった楠木 建先生にこの場を借りてお礼を申し上げたい。私に とって非常に貴重な、学びの多い機会を与えてくだ さり、どうもありがとうございました。また、編集 を取りまとめていただいた宝島社の宮川亨さんはじ め、関係者の皆様にもここで謝意を表します。